難病で寝たきりになってからも変わらず愛情を注いで育ててくれた母に感謝の気持ちを込めてこの曲を送ります。 母と二人三脚で、本当にたくさんの作品を作ってきたなぁとしみじみ。 一人では出来なかった作品の全てが今ここにあります。 今までありがとう。そしてこれからもよろしくお母さん。#母の日
今日は #看護の日 ということで、カミングアウトします。 実は私、事故に遭う前は、看護師と保健師をしてました。 寝たきりになってから作曲家とピアニストになりました。 全く想像もしなかった不思議な人生を歩んでいます。
【お知らせ📢】 なんと!!このたび、 ヤマハ月刊ピアノ7月号に『ひかり/星野希望』の楽譜を掲載いただけることになりました。 これからこの曲がどのように羽ばたいて行くのかとても楽しみです。 #月刊ピアノ #ひかり #星野希望
今日は事故寝たきり5周年のお祝いです。 そして健康だった私の命日です。 今まで沢山の涙を流した。 今も受け入れられないけど こうやってまるでおめでたいことが起こったかのように お祝いできる心と周りの支えに感謝します。 だから今日は、実際は『お気の毒に』ですが 『おめでとう』の日です。
看護師や保健師していたことを封印して過去の出来事にしてしまうのではなく、何かしら活かすことができたらなぁと思っている。 直接臨床で活躍することはできなくても、 『私にできる』医療の形があると信じて。 …だから私は白衣の似合う作曲家目指してます🩺
難病で寝たきりになってからも変わらず愛情を注いで育ててくれた父に感謝の気持ちを込めてこの曲を送ります。『花束の手紙💐』 どんな日も支えてくれて、応援してくれてありがとう。 貴方の心はどこまでも広く温かく、私の憧れです。 これからもよろしくね。お父さん。 #父の日 #父の日に手紙を
養護教諭の知人といじめ問題の話をしてて、 「日本では、いじめられている方をカウンセリングする。」 「海外では、いじめている方をカウンセリングする。」 って話が、ここ数日で一番感銘を受けた。
#パソコン持っててよかったこと 病気で寝たきりになった 最悪だ ずっと孤独だったが PCでDTM音楽を始め、自作曲演奏し、CD作成し、演奏会配信し、 気がつけば昔以上に多くの心の支えとなる素敵な方々に出逢えた まだまだPCは無限の可能性を秘めている 私の足となってどこにでも行けるのだ 最高だ。
いじめの話題で「いじめられる側にも問題がある」て言う人いるけど、看護学生時代、先生に汚物処理室に1日3時間閉じ込められてた。心当たりなさすぎて聞いたら理由が「あなただけ目付きが悪く、足音がうるさいから」でした。そんな呆れる理由でいじめてくる人が存在する。 #看護師 #看護学生 #いじめ
事故で寝たきりになって、もう座ることも出来なくなって、一生ピアノは弾けないと諦めていたし、死にたい以外の感情なくなったけど、親がこれ作ってくれてピアニストになることができた。もう少しだけ頑張る!
『事故で寝たきりになるとは怖いね。』と言われることがあるけど 手術が成功して元の生活に戻れることを何よりも望んでいた、かつては。 度重なる手術に身を捧げたが叶わなかった。 本当は悔しい。戻りたかった。 元に戻れないなら、自分を奮い立たせて『叶う夢』を叶えていくことにした。
病気で寝たきりになってから、 「私はあなたと違って忙しいから」って健康な人に言われたことがある。 寝たきり=ひま って一体誰が決めたの? 私は1日中ベッドの上で過ごしているけど、病気と闘いながらも、 やることいっぱいあるし、作りたいものたくさんあるし、 結構忙しい生活送ってる。
5年前事故で寝たきりになった当初は、「もし事故に合わなければ〇〇だったのに。」あったはずの未来を失ったことに落胆していた。 5年たった今、寝たきりには変わりないけど、5年前にあったはずの未来が時間の経過で全て過去になったことに気づいた。0からまた新たに未来を創り上げていこう。
『花は咲く🌸』 たくさんの想いを込めて…🎹😢🙏 #東日本大震災から11年 #花は咲く ※寝て演奏しているのは #脳脊髄液減少症 という病気のためです。
私は事故で寝たきりなる前に『明日できていたはず』のことを 実にたくさん置いてきた。 明日が来ないことを知った。 人間が人間の形でこの世に存在できる時間は限られている。 だから、人間でいられる間は出来るだけ後悔が少なくなるように 『この瞬間を生きる』 自分にとっても人にとっても。
難病寝たきりになった私、病気が治ってからピアノを弾こうと思っていたが、3年経っても治らなかった。…で諦めてどうしたか。 『ピアノを弾くのを諦めた』のではなくて『病気が治って座れるようになってから弾く』…そっちを諦めた。その瞬間未来が切り開けていった。何を諦めるかの選択が何よりも大切
難病寝たきりになった私の後悔。『いつかやろう、今じゃなくてもいい』と思えることほど『今』やっておけばよかった。『いつかやろう』と言える時点で、『いつでもやろうと思えばできる条件が整っているということ』だったから。 出来なくなって『いつかやろう』が恋しい言葉になった。 『今』やろう。
難病寝たきりの私には、夢がある。 たどり着くための方法は何度でも『諦めて』変えていく。 一見『夢のために諦めないでしがみついてる』ように見えて 実は『上手くいかないことは諦め手放しまくってる』 諦めないことの大切さは教えてくれるけど、諦めることの大切さは誰も教えてくれない。日々決断
事故で寝たきりになり、明日は突然絶たれると知ってから『明日は必ずしも来ない』心構えで生きてきた。ありがとうはすぐに伝える。恩返しは来ないかもしれない未来に賭けるような話じゃなくて、この瞬間『今』できることで返していくことが私にとっての『生きる』なのだ。 『また今度』の今度は『今』
寝たまま弾けるピアノ 昔← →今 今の形態になって弾けるようになるまで3年掛かったけど、 3年かかった価値はある。 私を「難病寝たきり病人」から「ピアニスト」にしてくれた。 「弾けるようになった」じゃなくて「弾けるようにした」 このピアノ、もっと広まるといいな。
難病寝たきりの私ですが、 ネットの発展のお陰で、 『ベッド上に皆さんを招き入れる』といった 新しい形の音楽家になる夢を叶えてきた。 こういう夢が叶う時代のもとに生まれたことに感謝して、 支えてくれるみなさんに『今日もありがとう』 『ベッド上から世界へ!』…が私の音楽家としての夢です。
難病寝たきりの私は『死』に救われた。 病気の苦しみから逃れるために『死』を決意し、 『死ぬ前にやりたかったことをやってから死ぬ』ことにした。 やりたかったことをやっていくうちになんと夢ができてしまった。 『死』が『死』を遠ざけた。 …そんな私は今、ピアニストをしている。生きている。
難病寝たきりになって 私には『イス』が必要無くなった。 座れなくなったからだ。 『ピアノ』が必要になった。 ピアニストになったからだ。 『〇〇できるようになってから〇〇する。』という考えが一般的だが、 できるようになる『条件を待つ』のではなく できるようになる『条件に向かう』のだ。
難病寝たきりの私、 寝たきり初期は『病気が治ったら〇〇しよう』と沢山の夢を描いた。 …結局治らなかった。ある時、何かを始めるのにベストな条件が揃うのを待っていたら何もできないことに気付いた。 『条件が揃うのを待ってから叶えらる夢』より『条件が揃う前に叶えらる夢』の方がはるかに多い。