人と比べて変わる幸せが『相対的な幸せ』 人と比べても変わらない幸せが『絶対的な幸せ』 人と比べて得る幸せは淡くもろい 人と比べても変わらない幸せは硬く微動だにしない、 永久的な“幸せの本来の姿”である。
私のことを『希望先生って呼ぼうかな〜』とか言ってくれてる人、 呼んでください〜喜びます! 難病寝たきりになっても保健師はできることに気づいたから、 私はこれからもずっと医療者でも音楽家でもあり続ける。 二足の草鞋を履いてどこまでも歩もう。 …いや、三足でも四足でも何足でも履こう。
難病寝たきりの私、あまりに現状が苦しいから、 『今この瞬間を生きる』スタイルで気力振り絞って生きてきた。 たまに現実を感じて絶望するけれど、また夢の世界を創りだすことで前に進める。 夢は無くてもいいけどあるといざというときの心の支えになるから 私は夢をどんな時も心の片隅に置いている。
難病寝たきりの私は、健康だった頃は自由に動けたのにやりたかった事を実現しなかった。 環境が与えられても考え方を変えない限りは先には進めなかったあの頃。 性格と環境はどうあがいても変えられないことを知って 考え方と行動だけが唯一変えられると知って今がある。
難病で寝たきりになった私は人生に絶望した。 何もかもできなくなったところからできることを見つけ出してきた。 …そんな私は今作曲家・ピアニストをしている。 病気が治ったからではない。寝たきりのまま叶えた。 どんな人間でも自分の思っていること以上のことができることを病気が教えてくれた。
今日は誕生日のお祝いです。 事故で寝たきりになった現状は今も 受け入れられないけど、 お祝いできるようになった心と周りの支えに感謝します。 みなさんのあたたかい励ましや応援があって今の私がいます。 いつも本当にありがとうございます。 そしてこれからも私と音楽をよろしくお願いします。
『芽』🌱5/24 🎊デジタルリリースしました🎊 争い事はなぜ起こるのだろう…。 平和で世界中の全ての人が幸せに暮らせる世界を祈り、 この歌を世界に届けます🕊✨ 配信先▶︎ linkco.re/prz4vdMm
人生で選択に迫られた時は、『もし1ヶ月後に死ぬとしたら何をするか、しないか。』といった、『極端な時間制限付き』で考えている。 すると、おのずと1番大切なことが見えてくる。 埋もれている『本当に大切なこと』の見極めはそうやってつけていく。 自分が大切に思うことに命を燃やして生きたい。
難病寝たきりの私が看護師をしていたとき、先の長くない患者さんは口を揃えてこういった。 「好物を食べておけばよかった。もう受け付けない。」「〇〇と行きたかった場所に行っておけばよかった」「会っておけばよかった」この時、皆求めていたのは夢のような世界でなく、『当たり前の日常』だった。
元気だったら、もっと違うことを求めたのかもしれないし、 その心は本人にしか分からないことだけど、 『わかったこと』は『当たり前の日常』は 一番身近にありながら、 一番気付かれずにひっそりと、 一番憧れる位置に最期まであり続けるということ。
命をロウソクに例えた話がある。 ロウソクは自分を燃やし溶けていく時間と同じだけの時間、 周りに何かを遺すための『火を灯す時間』が与えられている。 その時『灯した火』は自分自身の火が消えてもなお 誰かの心で光り続け、 そしてまた次の誰かの心で輝き続ける。
難病寝たきりの私は思う。 衣装の素晴らしい点は、 『身にまといさえすれば、その気になってしまう』ところだ。 今の病状では到底ピアノを演奏できるような病状ではないのに、 ドレスを着ればピアニストになれる。 あるはずのない力が湧く。 だから私はピアノを演奏する時 どんな時も衣装を着る。
寝たきりになった!ピアノ弾こう!…とすぐになれたわけではなく、 そこには3年間の空白がある。 3年は死ぬこと以外何も考えられなかった。 ロープやナイフを握り締めて涙を流し日々を過ごした。 この身体に命がある事を呪った。 「どうせあの日死んでたから!」を 今を楽しく生きる口実にしている。
難病寝たきりの私は思う。 悲しみは「受けいれて、乗り越える」ものと思われがちだけど、 無理に乗り越えなくてもよくて、 それが出来ない自分がダメだとかも思わなくてもいい。 「寄り添って一緒に歩むことも『できる』もの」だと思ってる。 そうしたから 今日もこうやって生きることができている。
私は難病で寝たきりになる前、保健師をしていたのですが、 寝たきりになってもうできなくなったと思い込んでいたけれど、 それは自分が『できない』という選択をしていたことに気付いた。 そういう自分の決めた概念に縛られて生きていくのはやめたから、 前は保健師じゃなくて 『今も』保健師してる。
難病寝たきりの私は思う。 『夢見ないで現実見ろ』って言葉があるけど 現実が生き地獄の場合は『現実見ないで夢見ろ』がなんとか生きれる。 私は健康な時に一度夢を手放して、 皮肉なことに、寝たきり生き地獄になったことで、 手放した夢をこういった形で取り戻すことができた。
孤独は辛い。寝たきりになったら一生家で世の中と隔離されて生きていくのだと思っていたし、実際そうで何年もベッドにいるけど、 科学技術の進歩でネットやPC駆使して色々なことをさせてもらえているのは大変ありがたいし幸せなことだと思う。 もう一歩踏み出して、私は元気だった頃の私に近づきたい。
寝たきりピアニストが弾く🌹ホール・ニュー・ワールド ”A Whole New World” ディズニーの名曲🏰✨
事故で難病寝たきりになった私、病気が治ってからピアノを弾こうと思っていたが3年経っても治らなかった。…で諦めてどうしたか。 『ピアノを弾くのを諦めた』のではなくて『病気が治って座れるようになってから弾く』…そっちを諦めた。その瞬間未来が切り開けた。何を諦めるかの選択が何よりも大切
本当は病気が治ってから色々なことがしたかったし、治療で治せるものなら心の底から治って欲しかった。寝たきりピアニストで活動を始めようと決めた当初「この複雑な心境を抱えながら前に進めるのか?」…そんな思いもあったけど、続けてこれたのは聴いてくださる皆さんがいたからです。ありがとう☺️
私が難病寝たきりになって1番努力してきたこと。それは、 耐えられないほどの苦しいことがあって、 耐えられないほどの悲しいことがあって、 その耐えられないほどの気持ちの矛先を 全く真逆の『芸術創造的なものを創ること』に向けてきたことだ。 これからもずっと作曲家ピアニストであり続ける。
何年も難病寝たきりであるということは 時が経つにつれて『ピアニストの私しか知らない人に出逢う』ってことで、それを素晴らしく思えるような生き方ができたならいいな。 『昔は良かった』と言うのは簡単。 『今が最高』と言うのは簡単なことではないけど、『言える』時ができたなら、それは『最高』
あまりに長い間、難病寝たきりで生きてきたから、 元気だった頃の自分が『どんな人間で、どんなことをして生きてきたのか?』鮮明に思い出せる時は過ぎてしまったけれど、 もしも昔の生き方が鮮明に蘇って来たならば このように新しく作品を創り出すことは出来なかったであろう。
寝たきりピアニストが弾く🌹 【リトル・マーメイド】 パート・オブ・ユア・ワールド"Part Of Your World" ディズニーの名曲🏰✨
難病寝たきりの私、 ○○できるようになったら○○しよう…これを一切取り払うことで、心の置かれる環境が変わった。 今までできていたことができるようになったわけではなく、 変わったことは『心』で、 だだできるようになる『条件を待つ』のではなく できるようになる『条件に向かった』だけ。