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ある小学校でフォートナイトのボイスチャットがきっかけのいじめ騒動が起きた
その対応に連日22時過ぎまで学校が対応
被害者側とされる児童の保護者が納得できず対応が長期化
そもそもフォートナイトの対象年齢は12歳以上で12歳以下は保護者の監督の元でのプレイという想定
これは学校対応案件なのか?
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民間の人は驚くかもしれないが、学校には年度末に教職員に対して「次年度の希望学年」を調査して、それを「人事に反映させる」という文化がある。そして「人気のない学年」が出てきたときに「異動してきた教員」をそこに当てはめるということもよくなされる。異動予定のワイはガクガク震えている。
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思い通りにならない子どもに「社会に出たらきっと困る」なんて言う先生がいるけどさ、学校よりも社会の方が器が大きいんだよね。社会には「様々な人の様々な居場所」はたくさんある。学校なんて「教室」に馴染めないだけで、もうそこには居られない。こんなの博打じゃないか。
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修学旅行の班決めの方法を話し合うときに「自由がいい」と言う子は間違いなくクラスの中で「発言力がある子」だ。その子は「自由からの恩恵が受けられる層」である。自由とは一部の階級の特権になりがち。その階級以外に不自由を強いることで、一部の層の自由な振る舞いが担保されていることが多い。
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「子どものたちの50m走のタイムを春と秋に測って、その伸びた差の部分を体育指導の成果として研究紀要にまとめよう」という先生が前にいたんだけど、彼には「発達」という概念が無かったのかなと思う。おそらく学校で見られる成果の内「指導による成果」よりも「発達による成果」の方が多いはず。
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忘れ物を執拗に叱る教員だって、あれを「子どもの自己責任」だと思っているからだよね。でも果たして「子どもの忘れ物」は「自己責任」なのでしょうか。「保護者」とか「家庭」とか「環境」とか、子どもでは「どうしようもない要因」に忘れ物が誘発されていると少しでも考えられたら、あれだけ叱れない
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僕は学級の子どもたちを「ガラス細工」を扱うように接する。壊れたガラスは元には戻らない。
「これくらい言ってやっても大丈夫だろう」と怒鳴りつけて、子どもの心を壊してしまう教員はあまりに多い。
壊した責任なんか取れやしないのに。
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「はい、○○小学校のめがねです。」
「教育委員会の○○です。2コール以内に出てましたし、しっかり名乗っていますね。合格です。」ガチャ
#本当にあった怖い話
#夏なのでね
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「叱る」という行為を「子どもが泣くまで」をワンセットだと考えている教員の思考が怖い。大の大人が、小さな子どもを「泣かせようとしている」なんて虐待だろう。「泣く」が反省の表出だと思っているならそれは大間違いで、当然、泣かなくても人は反省はできる。その先生も泣かされてきたのかな。
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保護者「私は、この子を家庭でしっかりと見ることができています。なのに、教育でお金をもらっている先生が私と同じくらいに見れないのはおかしいと思います!」
先生「えっと、お母さん、教室にはあなたのお子さん以外に39人の子どもたちがいましてね‥」
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出勤者の7割削減に一番効果的なのは「全国一斉学校休校」だよね。子どもの居場所がなくなれば、子を持つ保護者は家に残らざるを得なくなる。
何年か前にやってましたよね?いきなり。あのときよりも遥かに危機的状況だと思うのですが。
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先日ドッジボールをしたときに「得意グループ」と「苦手グループ」に分けて行った。分けた基準は子どもたちの自己申告である。すると、双方のグループで満足度が高かったように見えた。男女で分けることは多いかもしれないが、ドッジボールの技能に性差はないはずだ。
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「叱らない」先生になるためには必要な素地がある。それは子どもたちに「好かれている」ことである。なぜなら、子どもは「自分が好きな先生」の前で「良くないこと」をしたくないものだからだ。自然と「叱る」場面は少なくなる。ちなみに、子どもたちに好かれる一番大切なことは「丁寧に関わる」だ。
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僕の学級経営のコツは「自分がご機嫌である」ということに尽きる。だって担任の先生が「不機嫌」だと、子どもたちだって嫌でしょ。「人が不機嫌なときにする選択はほとんど間違える」という言葉も大好き。つまりは、そういうことなんだよね。でも、学校の先生って自分に厳しいから、割と不機嫌なんだ。
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僕は子どもたちの「つまらない授業は受けない」という考え方には反対です。これは「欲しくないから買わない」という「経済合理性」の考え方だからです
「学び」という言葉の意味は「学ぶまでその価値がわからない」ものです。その価値がわからないものを「買う」なんて、我々はしません。
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「マスクは絶対に付けない」という強い思いがある家庭のお子さんが、別の学年の子どもに「ソーシャルディスタンス!」と、からかわれたことが辛くて学校に来れなくなってしまった
「マスクを付けない自由」と「感染拡大防止」
「親の考え」と「子どもの世界」
どこでバランスを取ればいいのか悩む
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「自分に割り振られた仕事をしっかりとした上で、毎日定時退勤をしています」と発言すると「組織にはグレーゾーンの仕事があって、お前が帰ったあとに、それをしている人がいるんだよ」というクソリプが飛んでくるのですが、そういう「がんばり屋」のせいで業務が一向に減らないのではないでしょうか
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昨日、僕が書いた本が発売されました!
「居心地の悪くないクラスづくり」という本です。
子どもたちの登校ハードルを少しでも下げたいとね考えたら僕の実践です!
「まえがき」載せます!
もし良ければ読んでください!
note.com/megane654321/n…
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九九を覚えていない子に【かけ算の筆算】をどう教えるのか。正解は「九九表を渡す」
算数は積み重ねの勉強なので、過去の「積み残し」があれば、その上に学習を積めなくなってしまう。積み残しには「個別支援」で下駄を履かせてあげないと、その子の学習権を奪うことになる
自己責任論は教育の放棄だ
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うちの学校は3年連続で「産休代替講師」が来ていません。だから3年連続で「教務主任」が担任を引き継いでいます
これを聞いて「なんだ校内操作でやりくりできる」と思っていたら大間違い
「あと一人」誰かが休めば間違いなく詰みます。つまり「学校崩壊寸前」です
そして、こんな学校だらけなのです
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「誰も置いていかない教育」はけっこう危険だと思ってる。これには「わからない子どもが置いて行かれて可哀想」との教育者の思いがあるのだが、実は「放っておいた方がいい」こともよくある。むしろ「誰も置いていかない」という正義の指導によって「追い詰められる」ことの方が厄介なのである。
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僕は子どもを「あだ名」では決して呼ばない。それは「あだ名で呼ぶ子」と「呼ばれない子」の線引きが持つ意味を知っているからだ。そもそも先生が子どもを「あだ名で呼ぶ」ということには「人権侵害である」という認識もある。その辺の感覚は鈍感になりたくない。
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「教育実践」をできていない先生が多い。そういう先生は「先生ごっこ」をしてる。「先生ってこんな感じだよね」「隣のクラスはこんな感じだよね」「私の子供の頃はこんな授業だったよね」。これらは全部「おままごと」の延長線上である。「自分の言葉で語れるか」。教育実践はここに尽きると思う。