一年生の児童の保護者になって強く感じているんだけど、一年生の宿題は本当に「保護者頼み」である。保護者が側で見ていて、子どもが困ったら助けてあげることが前提のような難易度の宿題が多い。音読だって「誰かが聞いてくれる」が前提。一昔前の「専業主婦」が当たり前の時代はとっくに終わっている
「なにか容れ物に入っていないと流れていってしまうものを【液体】と呼びます」というEテレのピタゴラスイッチの説明が好き。 子育てをしていると、このような「液体って何?」みたいな問をよく投げかけられる。5才児でもわかるように説明するスキルは、子どもたちの語彙力を増やすと信じてる。
自己紹介します! 小学校教員の【めがね旦那】です 【学校の「当たり前」を疑う】ツイートを発信しています 今年の7月には普段のツイートのような内容の本を出版する予定です 普段のツイートを載せておきます
卒業式の校長先生の式辞がどうしてつまらないのか。それは「用意された原稿を読み上げているだけ」だからです 学校の先生の「自分の授業がつまらない」という悩みは、まさにこれなんです。子どもたちに「用意された答えを言わせてる」だけの授業なんです 授業の脱線話が一番面白いのはこれです 続く
小学生の保護者になって改めて気がついたけど、毎週末の、 ・上靴を洗う ・給食着の洗濯とアイロンがけ は大変な仕事だよ これを全家庭の保護者に強いるとか、学校は何を考えているのだろうね しかも「できない家庭」の責任は「子どもの自己責任」にされてしまうことも多いし、何が公教育だよって感じ
「あの日、先生に怒鳴られたことが今の僕の宝物です」と怒鳴られた児童が思うのは自由だが、「今、怒鳴られた経験が絶対にお前を強くする」なんて自分勝手な妄想を先生という立場の人間は絶対にすべきではない。 怒鳴る行為は暴力です。 公教育は子どもを守らないといけない。
体育の指導でいちいち子どもたちをピシッと並ばせるのは【手段の目的化】である。目的はあくまで「話を聞かせる」であるのならば、子どもたちは各々が聞きやすい姿勢で構わないはず。学校は軍隊じゃないんだから。学校は整列させすぎ問題。数人のために何回も「前ならえ」させられる子どもたち。
「教師は世間知らず」という言説にはあまり共感ができないけども、「教師は社会経済的地位(SES)が高い層が多い」から「SESが低い層の子どもに共感できない」という言説には納得せざるを得ない。自身の受けてきた教育をもって教育だと認識するのは危険である。そのバイアスを軽減するための教育社会学
息子発熱のため明日休ませて欲しい旨を伝えると管理職から言われたこと ・担任が休むと保護者が不安になる ・頼める親族はいないのか ・奥さんが担任ではないのだから代わりに休んでもらえば良い ・担任を引き受けた時点で休めないことを覚悟しろ ・周りの子育て世代はもっと休まない努力をしている
ちなみに、ここまで親切に教えると、次の授業からは「先生を裏切りたく無い」という思いが子ども側で勝手に起動してくれるから、二度としなくなる。
言いたいことは言わせてもらうけど、濃厚接触者の判断を学校がするようになって、陽性者が出るたびに管理職と担任が中心になって調査をするんだけど、その際には「当該学級は給食時に黙食だったかどうか」は大事な指標なんだよ。それ次第で濃厚接触者が爆増するんだよ。個人の思想の話じゃねえんだよ。
【おはようを言わない子】 僕のクラスには、毎朝一番早く登校してくる女の子がいる。彼女は、こちらが「おはよう」と言っても返事をしない。多くの先生だったら、これは指導対象になるだろう。つまり「あいさつには返事をしましょう」である。でも、僕は彼女を指導しなかった。… twitter.com/i/web/status/1…
先日「子どもが登校したのに学校へ来ていない」という事案が発生した。両親と空きコマの先生数人で校区内を探して、2時間後に見つかったのだが、これは学校対応案件なのだろうかと疑問に思った。仮に誘拐案件だとしたら「初動捜査」が大切なのに、素人が2時間も捜索をしていていいのだろうか。
一斉休校をしないと文科省が判断したみたいです。各地域の実態に合わせて判断してくださいということです。 これは「主体性を尊重した器の大きい判断」では決してありません。「責任逃れ」です。GIGAは「一斉にさせる」くせに、休校など責任が問われそうなことは、「それぞれで判断して」なんてズルい
1年生の息子の算数を見ていたら湧いてきた疑問
僕のクラスがうまくいってる理由なんて単純明快で「僕がいつもご機嫌でいるから」に他ならない じゃあ僕のクラスがうまく行かなくなるのはどんなときかと言えば「僕が忙しくてイライラしているとき」なんだよね だから、僕が一番意識しているのは「子どもの状態」ではなくて「自分のメンタルヘルス」
小学校教員11年目の冬のボーナス(手取り) みんな教師を目指そう! #教師のバトン
一斉休校に関して文科省が判断せずに、各教育委員会に休校の判断を任せるというのは間違っています。「各地域によって実態が違う」というのは「感染状況の話」でこれは「教育の話」では無いからです。高度に政治的な判断を各教育委員会に任せるなんておかしいでしょう。
とても小さいお弁当を食べている人を見て驚くことがある。人はこんなにも食べる量に違いがあるのかと。「残さず食べる」というのは大切な指導だとは思うが、その前提が「全員が同じ量の給食」であるのならばそれは食の細い子にとっては「虐待」に近いものがある。給食指導で毎日苦しんでいる子がいる。
「たてる、かける、ひく、おろす」で有名な四年生で習う「わり算の筆算」には【短除法】というやり方もあるのです。
娘が保育士から日常的に「ドンくさいマン」と言われていると聞いて驚いている。メディアで保育園の不祥事が取り上げられていることもあるし、そういうことにセンシティブになっていると思っていただけに余計に。それでも、娘は保育士さんのことが大好きみたいなので、特段問題にするつもりはないが
めがね旦那の妻が作った「新年度やることリスト」を大公開! 僕とは性格が真逆のキッチリした性格の妻が「新年度が不安な小学校教員」に送ります! #新年度に向けて #Twitter新任研
新任の頃は、新人指導担当の厳しい指導が辛すぎて毎日「仕事の辞め方」を調べていた僕。「なんでこうなるまで言わなかったの?!」とすごい剣幕で言われても「どの程度で相談したらいいか」なんてわからないんです。毎日23時過ぎまで残業しても終わる気がしない仕事量の中で、心を麻痺させるしかなかった
卒業式は小学校で行われる行事の中でも特に「式典」という要素が強い行事である。「冠婚葬祭での振る舞い方」を学ぶ機会は人生では少ないので、しっかりと学ばせたい。 しかし、このことを分かっていない先生の指導では子どものたちの「緩みや弛み」が目立つ。式典は「普段の生活の延長線上」では無い
子ども第一で学校教育を考えるのならば今年度については「9月始まり」か「翌4月始まり」の2択 中途半端に学校を再開して、行事を削減し、急ぎ足で学ばせ、何も実りの無い消化試合のような1年間にさせてはダメだ ゆとり世代のように「不幸な世代」という語られ方を「コロナ世代」にはさせてはならない