昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(リツイート順)

126
19世紀末、ロンドンの煙突掃除夫とその助手の少年です。多分親子ではありません。煙突は狭く大人が中に入るのは大変。そのため体の小さな子供が重宝されたのですが、太ると煙突に入れない為、ろくに食事を与えられない子が多かったようです。また煤で肺を病む子も多く、子供には大変厳しい職業でした。
127
あひるのジマイマは卵を孵すのが苦手。いつも代理母の鶏に卵を孵してもらっています。しかしそれでは母の立場が...と思った彼女は自宅の農家以外の場所での孵化を決心。親切なイケメン狐と出会い、彼の小屋で孵化にチャレンジする事となりました。小屋は何故か鳥の羽が散乱しておりフッカフカです→続
128
体調を崩したため江戸川区の某病院に行きました。救急搬送口のフォントがなかなか癖強めでした。でもやってきた救急隊員に「大変なんだぞ!」という雰囲気が伝わるから悪くないとも思いました。これがほんとの「緊急字体」ってやつですね。
129
きなこ飴の柔らかいのが今食べたいです。なのでロバート・F・ブルームの「The Ameya」(1893)をご紹介します。米国生まれのブルームは1890年来日。西洋画の技法を使い明治の日本の様子を細かに描写し、現代の我々にその美しい風景を遺してくれました。のれんや看板、キモノの美しさは要注目ですよ。
130
方向オンチの強い味方カーナビ。実はこの文明の利器が1930年代にも存在しました。「 Iter Avto」(イタリア製)と名付けられたコレは表示画面が布。各地域のルートを記した巻物をこのナビにセットすると、車の速度に比例して巻物がスクロールしていくという仕組みでした。
131
15万枚以上の写真を撮影していたのに、その作品を全く世に発表しなかった写真家。それがヴィヴィアン・マイヤー(2009没)です。乳母を本業にしつつ、彼女はニューヨークやロスを中心にして生涯写真を撮り続けました。大量のネガが見つかったのは彼女の死の直前。その死によって彼女は伝説となりました
132
リモートワークじゃお仕事に集中できない!そんなお悩みを持つ貴方にお勧めなのが「アイソレーター」(米・1925)です。ヘルメットは完全防音。前しか見えないから書類から視線が外れず、高濃度酸素の供給により思考力も格段にアップするとか。特許まで取りましたが、何故か普及はしなかったようです
133
ネトフリの「ウェンズデー」大人気ですね。これは1960年代に制作されたドラマ「アダムスファミリー」のキャラ、おさげ髪の女の子ウェンズデーに焦点を当てたお話。そして彼女の名前は童謡「 Monday's Child」が元ネタです。「水曜の子供は災いに満ちている」とありますが彼女なら大丈夫でしょう。
134
明治の日本の風景を西洋画、しかも水彩で残してくれた有り難い女性芸術家がエラ・デュ・ケイン(英・1943没)です。19世紀末、彼女は作家の妹フローレスと中国、日本、エジプト等を旅行。その風景をまとめました。ビクトリア女王は彼女の絵を気に入り、20点以上をコレクションしていたそうです。
135
フランス王シャルル6世(1422没)は狂気王と呼ばれています。元々は賢明な人でしたが20代に発狂。自分の体がガラスで出来ていると思い込み、妻子の名を忘れ、あげくに家臣に襲い掛かりその命を奪いました。画像はシャルルが悪魔祓いを行っている様子を描いたと言われるもの。彼の指先には悪魔が→続
136
公園に椅子を用意し佇む二人。しかし男はレースの結果に、女は楽しいメールに夢中になってお互い目を合わせようともしません。これは1907年の未来予想図。電信が無線化することによって、将来私達はこうなると言っています。100年以上経った今、スマホによって私達は実際この通りになりました。
137
1930年代、カルフォルニアで行われた「セクシーレッグスコンテスト」の写真だそうです。女性がズタ袋を被っているのは顔に印象を左右されないため。あくまで脚の魅力を公平に審査する目的らしいですが、もうちょっとなんとかならなかったものか。KKKっぽくて恐怖さえ感じます。
138
もういくつ寝るとお正月。そしてお正月と言えば凧ですが、そもそも江戸時代凧は「いか」と呼ばれていました。いか揚げは大変な人気でしたが、落下した「いか」が次々と屋根を破壊。幕府はいか禁止令を出したのです。のち庶民の「いかじゃなくてたこならセーフ」という謎理論で現在のたこが定着しました
139
お金持ちで気前が良く、画力も抜群。そんな理想的画家がカイユボット(1894没)です。貧乏画家揃いの印象派メンバーの絵を買ったり、展覧会の資金を提供したり等々。内部的対立はあったものの、彼は印象派を資金面から支えました。画力についてはこれを見れば一目瞭然。床板の質感などもう光の魔術です
140
1926年、ミシュランの宣伝カーとミシュランマンの勇姿です。ミシュランマンのイメージはミシュラン兄弟の弟エドワールが考案したもの。1898年に公式キャラとして世に出ました。今と違いグラサン着用で鼻があり、謎のおちょぼ口が付いてます。しかし笑顔はありません。子供が見たら泣きそうです。
141
完全密封のダイビングスーツを初めて作ったのは英国の John Lethbridge氏。1715年のことと言われています。以来人類は様々な失敗を重ねながらスーツを作成。そのスチームパンクな姿は後世のロボットデザインに大きな影響を与えました。左写真のスーツ、ウルトラセブンのキングジョーに似てませんか?
142
youtubeで最も効率的に閲覧数を増やせる動画とは、そう、子供と動物です。そんな鉄板ネタを描き続けたのがチャールズ・バートン・バーバー(英・1894没)。彼は動物画家として名を揚げ、ヴィクトリア女王の依頼で王室のペットを描くほどまでになりました。時代を問わず人間は「かわいい」に弱いですね
143
1941年、ポケット一杯に石を詰めた女性が英国で入水しました。その人はヴァージニア・ウルフ。数々の名作を書き上げた彼女は長年鬱を患っていたのです。夫に宛てた遺書は”世界一美しい”そうですが、私はこの言葉の方が刺さります。「急ぐことも輝くことも誰になることもない。ただ貴方であればいい」。
144
日を浴びて気持ち良さそうにお昼寝するわんちゃん。目の前の雀たちが自分のご飯をついばんでも彼は全く気にしていません。一見平和に見える光景ですが犬小屋の下をご覧あれ。そこには目を爛々と光らせるハンターが...。ヘンリエッタ・ロナー=クニップ(1821生)の作品。雀達の無事を祈ります。
145
13歳で妓楼に売られた境遇にもかかわらず、多くの傑作を残した西洋画家。それが潘玉良(右上)です。身請け後上海で西洋画に目覚めた彼女はその出自から母国で差別を受けます。止む無く海外(パリ)に移住した彼女はその後世界で活躍。しかし二度と母国の土を踏むことはありませんでした(1977没)
146
19世紀末米国の片田舎、家族だけで壮大な空想世界を創造した人たちが居ました。ネルソン三兄弟です。農夫であった彼らは三大陸から成る異世界を構築。その異世界の住民に向け60冊以上の戦記や新聞、雑誌を刊行しました。しかし2013年に資料がガラクタ市で発見されるまで、誰もこの事を知りませんでした
147
お正月も三日目。お仕事の事は「めんどくせー。考えるだけでめんどくせー」という人もいるのでは?せめて今日はダラダラ過ごそうとの思いでブリューゲルの「怠け者の天国」をご紹介します。彼らはCockaigneという中世の架空の楽園の住人。ここでは寝ているだけで美味しいものが天から降ってくるのです
148
出来の悪いネズミの剥製に見えますが、これは爆弾です。英国が二次大戦時に開発したもので、ドイツ占領下にある欧州工場施設の破壊を目的に作られました。ボイラー近くに置いておけば、作業員が死骸と間違え火口にポイ。そしてドカンッ!という訳。しかし情報漏洩により実戦投入は実現しませんでした
149
猫には9つの命があるそうです。3つは遊び、3つは放浪し、最後の3つで人間と過ごすとか。 画像は1860年の童話「The nine lives of a cat」です。猫は沈められたり撃たれたりと8回もピンチに見舞われますが、果敢に切り抜けます。そしてとういう9度目、寿命に追いつかれ静かに命を閉じるのでした。
150
失礼クリエイターとも揶揄される怪しいマナー講師が跋扈している昨今ですが、昔の日本では基礎的なお行儀をちゃんと学校で教えていたようです。画像は大正9年、麻布小学校での襖の開け方訓練会の様子。これだけの大観衆が見詰める中での襖の開け締めは、かなり緊張感があったんじゃないでしょうか。