昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(リツイート順)

お化粧バッチリ。髪型キッチリ。さあデートにと思って出掛けたら、香水を忘れちゃった!そんなうっかり女子に重宝されたのが香り自販機です。これは1950~60年代に米国で流行したもの。コインを入れてレバーをプッシュすると一吹きの香水が噴霧されます。シャネルNo5などが搭載されていたようです。
メメント・モリ(死を思え)。意訳すると「いつ死ぬか判らんから今をきちんと生きよう」という意味になります。でもきちんと出来ない人もいる。そんな駄目人間にはカルペ・ディエム(今日の花を摘め)という言葉がお勧めです。これは意訳すると「どうせ死ぬならいつ楽しむの?今でしょ!」となります。
バレンタインデーも近いので、ゴディバのマークにもなったゴダイヴァ夫人にまつわるお話。夫の圧政を諌めるためマッパで街を行進する事になった夫人。絶対覗くなよ!とお触れが出る中、スケベ仕立屋のトムは街でただ一人覗きをします。これがピーピングトムの由来。彼は天罰で失明したと言われています
ヴェロニカさんがイエスの汗を拭いたら布に彼の顔が写った。いわゆる聖顔布の伝説ですが、画像はClaude Mellan(1688没)の手によるその聖顔布の銅版画です。これ凄い技法が使われてまして、イエスの鼻先からスタートした一本のらせんが、太くなったり細くなったりすることで一枚の絵が完成してます。
友人によるとこの絵を「ナニコレ?」と思う人は猫を解ってないとか。画像はピエール・ボナールの「白猫」(1891)です。ボナールは北斎や国芳に影響を受けた仏画家で、日本かぶれと呼ばれました。浮世絵的2D表現で伸びをする猫を表現した様ですが、友人は「実際こういう形になる!」と主張しています。
この写真(1893年)実は犯罪者写真です。写っているのはフランソワ君。わずか生後23ヶ月で彼が犯罪者写真に納められてしまった理由は、父のアルフォンス・ベルティヨンがフランスの犯罪者写真のシステムを標準化した人だから。ちなみに彼の罪状は「かごの中の梨を全部かじった」事だそうです。
美しいヴィーナスの光沢ある肌に、見事な和彫の桜吹雪。この不思議な彫刻を作っているのはイタリアのアーティストFabio Vialeさんです。大理石に刻まれた入墨は表層ペイントではなく、吹付け加工によって石に染み込ませたもの。きめ細かい肌に入墨は映えるものですが、大理石の肌とは着眼点がいいです
美しく精緻な筆致ですが、この肖像画は近代や中世のものではありません。紀元前1世紀から紀元後3世紀頃の大昔の肖像画です。古代エジプトでは、死者のミイラと共に生前の姿を描いた板絵を埋葬する習慣がありました。その板絵が出土された姿がコレなのですが、この時代にこの技術力。信じがたいです。
脱いだら凄いは昔流行った言葉ですが、実際この人は凄いです。彼女はLuisita Leers(1909-1997)。ドイツ出身の空中ブランコの名手でした。恵まれた容姿と肉体を持つ彼女はヨーロッパのサーカスで大活躍。この時代筋肉女性は他にも居ましたが、顔と体の「ギャップ萌え」で彼女の人気はダントツでした
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ファンタジー映画でエルフが着る衣装のようですね。画像は英国ビクトリア朝時代のアーチェリー用衣装。ファニー・ギブン夫人が所有していたものだそうです。ふわりとした袖とスカートはなんだか羽織袴みたい。これで弓を絞る姿はさぞかし凛々しかったでしょう☺️
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これ、凄いです。何が凄いってこの網、一塊の大理石から削り出されてるが所が凄い。画像はフランチェスコ・クイローロ(1762没)の「Il Disinganno」です。 クイローロは当時、この作品の仕上げに複数の協力者を使いました。しかし網の部分については皆「いや、無理」と手伝いを断ったそうです。
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魔女テイストふんだんなこの衣装。これは1930年代までポルトガルのアゾレス諸島で着用されていたアゾレアンフードです。色は藍色で頭頂部は鯨の髭で固定。女性の伝統衣装として使用されました。フードは地域によって形状も多少違うようです。神秘的ではありますが、向かい風には極端に弱かったとか。
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腹が立つ程暑いです。エアコンフル稼働してますが、一昔前はエアコンなどありません。そんな時人々はどうしたか。もう、芝生で寝転ぶしかありませんでした。これは1911年NYが熱波に襲われた時の様子。冷たい地面を求め多くの人が寝転んでいます。二千人が死亡しましたが、この時の最高気温は41度だとか
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決して左から読んではいけません。画像は大正4年の絵本「狸のポンチ」です。ここで言うポンチとは軽妙な絵という意味で、当時風刺漫画などをポンチ絵と言いました。内容は狸のレジャーを描いており、文福茶釜よろしく綱渡りをしたり、金○袋を気球にして空を飛んだりと狸たちは楽しそうです。
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ウクライナ侵攻について思うところあり、この絵を紹介します。これはロシア帝国の画家イリヤ・レービンの「イワン雷帝とその息子」(1885年)。暴力的な雷帝が激情にまかせ息子を打ち殺し、我に返って嘆いている場面です。大きな過ちは後で後悔しても取り返しがつかない。今のロシアに言いたいです。
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有名な写真ですが、終戦記念日ですので改めて紹介します。彼らは第72振武隊の少年兵。あの神風特攻隊員です。隊員の大部分がまだ十代の子供でしたが、この翌日出撃し空に散って行きました。自分の死を直前に控えながら、笑顔で子犬の小さな命を愛でる彼ら。人の親として泣かずにはいられません。
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男女がフェンシングの試合をするこの絵、違和感ありますね。実は右のおばさま、元男性です。この人はシュヴァリエ・デオン(1810没)。前半生は男性の姿で仏の外交官兼スパイとして過ごし、後半生はカミングアウトして女性として生きました。フェンシングの試合はお小遣い稼ぎで行っていたようです。
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偉い猫のお話です。1421年、オランダで大規模な洪水が発生しました。洪水の後人々が呆然としていると、川上からドンブラコとベビーベットが。その上には赤ん坊と猫が乗っていました。見ると猫は川の流れでベッドが沈まぬよう、跳ねてバランスを取っています。人々はすぐベッドを引き上げました→続く
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中世西欧の本にはたびたび「キラーラビット」というウサギが出てきます。人間を襲い首をはねたり皮を剥いだり、彼らの行いは悪逆非道です。何故こんなキャラが出てくるかですが、これはいわゆるギャップによる笑いが狙い。本来無力なウサギがやりたい放題することで無力な平民はスカッとするのです。
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美貌はただ天から与えられるものにあらず!かのモンローでさえ日々の努力を怠らなかったと解るのがこの画像です。1952年にホテルでトレーニングに励む姿ですが、当時はこのように筋トレに励む女性はかなり少数派でした。何でこんな事するの?と聞かれ彼女はこう言ったとか。「私は重力と戦ってるのよ」
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毎年のネタですが、今年はまだ誰も扱っていないようなのでお先に。画像は明治33年、日本で最初にサンタクロースを扱った絵本と言われる「さんたくろう」です。「北國の老爺 三太九郎」というちょっと格好いい名を持つ彼。恩ある親子にオモチャで恩返しする義理堅い男として描かれています。
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円山応挙のわんちゃんは可愛いことで有名。画像はその応挙が愛知県の明眼院の杉戸に描いたという「朝顔狗子図」(1784)です。この絵、全体を見ると杉戸のかなり下の方に描かれておりまして、その理由は小さな子が見やすいようにではないかと言われています。おっさんはその理由だけでもう泣きそうです
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「生活に潤いが足りない。若い女の太ももなんて見たくない!」。1940年代、そんな米国婦人のリクエストに応えたのがテキサスのダイナー「Log Lodge Tavern」です。この店では短パンと革ブーツの青年が筋肉質の太ももをご婦人方にサービス。毎週金曜の夜は黄色い歓声が店に溢れました。ご婦人嬉しそう!
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17世紀のベネチアでは公共の場で盛んにマスクが使われました。その種類は様々ですが、中でも玄人の女性が好んだのがモレッタです。これは黒い仮面で、口で噛んで固定するタイプ。よって喋れない訳で、モレッタを着けると「黒い仮面に白い肌が映えるミステリアスな沈黙の美女」が誕生する仕組みでした。
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昔の本は分厚くて重いです。ですので、何冊もの本を使って調べ物をするのはかなりの労力とスぺースが必要でした。そんな大変さを解決してくれたのがこの回転式図書閲覧機。300年ほど前のもので、今でもメキシコの図書館に展示されています。言うなればウェブブラウザのご先祖様みたいなものですね。