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顔と体に全く別の性が宿っていますね。彼はバーベット(本名ヴァンダー・クライド )です。1898年に米国テキサスに生まれ、ドラァグクイーンの空中ブランコ乗りとして話題を呼びました。のちパリに渡ると彼の名声は欧州で一気に大ブレイク。かの「ムーラン・ルージュ」にも出演を果たします→(続)
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パリの夜の女王になったバーベットは、ジャン・コクトーやマン・レイら有名人とも交流。コクトーはエッセイの中でこう評しました。「彼の中に女性を見る人、彼の中に男らしさを見る人。その皆に彼は愛される」。 しかし1970年、彼は慢性的に体を襲う痛みの症状に耐えられず自殺しました。
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人が空を飛んだり布を被った男女がキスしたり。ルネ・マグリット(ベルギー・1967没)の世界は摩訶不思議です。一言で言えばシュルレアリスムという事になりますが、彼にはそれ以上の哲学を感じます、画像は「Sentimental Conversation」(1945)。さて二人?は何を話しているのでしょうか?
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コンプライアンスが問われる時代ですが、余りに人の声に敏感なのもいかがなものか、というお話です。ロバを売りに街に出た父子。途中通行人Aに「何で誰もロバに乗らんの?」と言われます。なるほど!と子がロバに乗りますと、今度はBが「親を歩かせるなんて」と意見。父子は交代します→続く
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これはウォルター スコットの詩「ヘルベリン」に記録された出来事を描いています。登山に出掛けたご主人と犬。しかしご主人は高所より落下して亡くなってしまいます。そこから三か月間、犬はご主人の遺体から離れず、カラスやキツネから遺体を守り抜いたそうです。… twitter.com/i/web/status/1…
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ヴィクトリア朝時代のコルセットは激細。これはウェストを細く見せるだけでなく、下からオッパイを持ち上げる目的もありました。しかしあまりに細さを求めた為か健康被害が続出。内蔵を痛めたり肋骨を折る女性も居たとか。… twitter.com/i/web/status/1…
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これは古代バニロニアの神ベルス(ベル)に捧げられる花嫁を描いています。花嫁は毎日行われる美人コンテストで選ばれ、翌日には別の人に替わりました。捧げられた女性の運命ですが、下にライオンが居る事から何となく解りますね。 ただ、毎日美人を捧げるなんてかなり無茶苦茶な話でして→(続く)
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子供時代は一日が長かった。それはほんのちょっとした事でも楽しむことが出来たからかもしれません。画像はソフィー・アンダーソンの「 Touch And Go To Laugh Or No」(1857)。草でくすぐられて、笑ったら負けという遊びなのかな。二人が微笑まし過ぎておじさんは涙がでそうです。
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シャーウッドの森の英雄ロビンフッド。この画像はその最後を描いています。体調不良により尼僧の瀉血治療を受けることにしたロビン。しかし尼僧は敵に通じており、彼は致死量の血を抜かれます。死を自覚した彼は最後の矢をつがえ、こう言うのです。「この矢が落ちた所に私の墓を掘ってくれ」→続く
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「mene, mene, tekel, upharsin」(メネ、メネ、テケル、ウファルシン?)。この謎の言葉、西洋ではそこそこ知られるフレーズだそうです。 画像はレンブラントの「ベルシャザルの饗宴」。バビロニア王ベルシャザルが開いた宴会で突如神が現れ、誰も読めない文字で上記の言葉を書きつけた様子です→続
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アラクネは凄腕の織物名人。その腕は神をも凌ぐと言われました。これでは立場が無いのが織物を司る女神アテナ。彼女は老婆に化け「調子のんなや」とアラクネに忠告します。しかしアラクネは忠告などどこ吹く風。その生意気な態度にアテナはブチ切れ、正体を現して言います「織物勝負じゃい!」→続く
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見事な織物を完成させ自信満々のアテナ。しかしアラクネの織物は神のそれさえも超えた出来栄えでした。負けを自覚したアテナは神様のくせに大人げなく逆切れ。アテナは「神に対して敬意が足りないのよ!」とアラクネの織物をビリビリに破り捨て、彼女を棒でボコボコにするという暴挙に出ました→続く
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この屈辱にアラクネは自殺、アテナはさすがに気が咎めたのか、自作の糸で好きなだけ織物が織れるようにと彼女を蜘蛛に変えたそうです。アテナの行為、ちっともフォローになってませんね。 【補足】 アテナが激怒したのはアラクネの織物の内容が神を侮辱するものであったからという話もあります。
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This isアールデコ!画像はデミトリ・チパルス (1947没)の作品です。ロシアやフランスのダンサーの影響を受けた彼はブロンズで布の質感と躍動感を大胆に表現。象牙で人物の表情と肉体を切り取りました。この象牙とブロンズの組み合わせは非常に好評で、オークションでは常に高値を付けています。
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フィンランドの伝説では、死者は「トゥオネラ」という幽界に行くそうです。悪人でも善人でも行き着く先はそのトゥオネラ。そこは世界の最北端に有り「暗き川」で現世と隔てられているとか。画像はアクセリ・ガレンの「トゥオネラ川のほとり」(1903)。皆裸になって川を渡り、幽界へ行くのでしょうね
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ゼルダの伝説。世界的に有名なこのゲームのタイトルの由来になったと言われているのがゼルダ・セイヤーです。彼女は「華麗なるギャツビー」の作者F・スコット・フィッツジェラルドの奥様。その生き方は自由奔放であり、夫に「アメリカで最初のフラッパー(進歩的な女性)」と呼ばれました→続く
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しかし、美男美女で知られる二人の結婚生活は幸福ではありませんでした。エゴをぶつけ合い、そのエゴのせめぎ合いを互いが小説として発表する。そんな生活で二人は疲弊していきました。そして1940年、夫はアル中で死亡。ゼルダも1948年に入院していた病院で火災に巻き込まれ死亡しました。
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お綺麗ですよね。ピシッと決まったファッションも素敵です。画像はハーバート・ジェームズ・ガン(英・1893~1964)の「Pauline Waiting」(1939)。ポーリーンはガンの愛妻で、彼女をモデルにした絵はどれも高い評価を得ました。この絵では焦点が彼女に集中し、後はぼんやり。愛ゆえの手法でしょうね
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中世の聖職者は下半身がユルい人が多く、尼僧や信者とのチョメチョメは結構日常茶飯事だったようです。当然発覚すれば反省は必要ですが、具体的にどんな反省をすればいいのかが難しい。10世紀の神聖ローマ帝国司教バーチャードは、こんな困った聖職者が行うべき反省例を教本で例示しています→続く
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まず尼僧とチョメした場合、その聖職者は7年間に渡り年40日の苦行(パンと水だけで過ごす)をしなければなりません。「暗闇でついうっかり妻と間違って」妻の姉や妹とチョメした場合は真剣な懺悔でOK。一般信者とのチョメもちょっとした懺悔でOKのようです。地域差もあるでしょうが結構ユルいですね
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なお聖職者の妻帯は、当時絶対の禁止事項では無かったようです。
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これはビクトリア時代の超珍品本「Victorian Blood Book」です。正式名称は「Durenstein」。1854年に英のジョン・ビングレイ・ガーランドにより作成されました。ウイリアム・ブレイクやその他もろもろの本から挿絵を切り貼りし、コメントを付けた上で挿絵に血の装飾をつけたというものです→続く
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3月ももう終わり。4月から新天地で生活を送る若者も多いでしょう。そんな子の旅立ちを見送る夫婦の光景を描いたのがAdolph Tidemandの「末っ子との別れ」(1867)です。末っ子ともあって父母は既にかなり高齢。伸ばした母の手と、息子の手を握りしめ離せない父の姿が切ないです。解るな~その気持ち
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死者に見えます。画像はHugues Merleの「洞窟のマグダラのマリア」(1868)です。彼女はキリストに唯一「女として」愛されたと言われる女性。キリストの磔刑後33年間洞窟で一人余生を過ごしました。彼女の心は、愛するキリストの昇天と共に死んだのではないか。この絵を見るとそう思えてなりません。
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12~16世紀、西欧では馬上槍試合が盛んに行われました。長い木製槍で突き合う光景を映画で見た人も多いでしょう。でも槍片手だと重いし、ゆらゆら安定しないし。そうだ!最初から鎧に槍を嵌めちゃえばイインジャネ?そんな発想で作られたのが神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世のこの鎧(15世紀)です。