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女性の体は美しい。そんなことは百も二百も承知ですが、ただドバァ~ッとアップで美しい裸を描けば”美しい絵”になるかというと、そういう訳でもありません。このハロルド・ナイト(1961没)の「Dosmare Pool 」は「裸体の描き方」がいかに大切かを教えてくれます。見てくださいこの上品な美しさを。
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画像は1908年(明治41年)、ドイツ生まれのアメリカ人写真家アーノルド・ゲンテが日本を訪れた時の写真です。彼は日本に六か月間滞在し、風景や行事、そして人々を記録しました。江戸末期から明治にかけての人物写真は「やらせ」も多いですが、これはリアルガチである模様。子守、大変そうですね。
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おや?これはクリムt...。などと思った貴方は立派なクリムト好きです。画像はウクライナのクリムトとも呼ばれるヴィクトル・ザレツキー(1990没)の作品。彼は一本筋の通った漢で、ソ連社会主義の中にいて決して指導者を描こうとしませんでした。描くのは常に美しい女性と、労働者だったのです。
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昭和初期に使われていた略語をちょっと紹介して寝ようと思います。いずれも今は死語です。 ●コスメル:コスメでめかしこむ ●テリツク:ヒステリー ●どーまり:どうもありがとう ●モジ:「モダンジジイ」つまり不良老人の事 ●ナイホク:ナイフとフォークの事 どーまり、軽くていい響きですね😄
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悲劇の恋人といえばロミジュリ。彼らのデビューは16世紀ですが、それより前にも「元祖悲劇の恋人」という銘菓の名前みたいな響きを持つ方々が居りました。その名は「パオロとフランチェスカ」です。 乙女フランチェスカ(13世紀)は政略結婚によりリミニ領主ジョヴァンニに嫁ぐ事になりました→続
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画像は「アンリ2世の暗号本」と呼ばれるものです。アンリ2世は16世紀の仏王。彼が暗号機として実際これを使ったかどうかは不明ですが、美しいですね。 ちなみに彼の妻カトリーヌ・ド・メディシスは預言者ノストラダムスの信奉者。彼もうそうしたオカルトに傾倒していた可能性はあります→続
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これ、凄いです。何が凄いってこの網、一塊の大理石から削り出されてるが所が凄い。画像はフランチェスコ・クイローロ(1762没)の「Il Disinganno」です。 クイローロは当時、この作品の仕上げに複数の協力者を使いました。しかし網の部分については皆「いや、無理」と手伝いを断ったそうです。
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画像はVictor Vasnetsovの「シリンとアルコノスト」(1896)です。これはロシア民間伝承の生き物で、黒いシリンは悲しみを、白いアルコノストは幸福を歌います。二匹は一対の生き物で住処は冥界。時に幸福をもたらす事もありますが、彼女らの歌に心を奪われた男性はみな忘却と死に至るそうです。
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母親は有難い存在。ユダヤにはこんな言葉があるそうです。「神はどこにでもいることができなかったので、母を作った」。 画像はジェイムズ・サントの「 Mother and Child」(1852)。幼い子にとって、母親って神様と一緒なのですよね。
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トレンドにミュシャが上がっていたので展覧会かと調べたら、ある名誉教授職にある方が「ミュシャは二流の画家」と仰ったそうです。悪意の切り取り発言かなと思いましたが、ツイートを見たらそうでもない模様。私のような素人には一流二流の判断は出来ません。でも、悲しい気持ちになりました。
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18~19世紀、米英では「Pedestrianism」という地味なスポーツが大人気でした。ただ競技場をぐるぐる歩くだけ。しかし内容は平均総歩行距離が600キロ以上、所要時間は6日以上と超ハードでした。賭けの対象ともあって会場は毎回満員御礼。現代の価値で8千万以上の優勝賞金を貰えた大会もあったとか。
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寝る前にかわいい現代画をご紹介。画像はミヒャエル・ゾーヴァ(独・1945生)の「Potato Warehouse」です。マラソンで駆けるジャガイモ達を人参のギャラリーが観戦。ナスはピクルスの車を止めてジャガイモ達を守ってますね。ゾーヴァはこうしたほのぼの系が得意で、日本で展覧会も開かれました。
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中世欧州で頻繁に食べられていたコレはメドラー(セイヨウカリン)と言います。当時主流の果物でしたが、熟成というか腐らせないと食べられない為、やがてリンゴや梨にとって代わられました。面白いのはこれのあだ名でその名も「open ass」。今でも欧州では公園や森でメドラーを見られるそうです。
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画像はジャン=レオン・ジェロームの「アレオパゴス会議のフリュネ」(1861)です。フリュネはあだ名で本名はネサレテ。彼女が許されたいきさつについては様々な説があります。
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ムンクといえば😱←ですね。人を不安にさせる作風は彼の特徴ですが、この絵はとても悲しい気持ちにさせられます。画像は「The Sick Child」。結核により14歳で早世した姉ヨハンナを描いた作品です。嘆く母を、総てを諦めた優しい表情で見詰める姉。ムンクはどんな気持ちでこの絵を描いたのでしょうか
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死後4日目にしてイエスにより蘇らされたラザロ。画像はその様子を描いたレンブラントの「ラザロの復活」です。奇跡は基本輝かしいものですが、この奇跡だけは個人的に陰惨なイメージを感じます。ラザロの表情を見ると、黄泉の国で「何か」を見た彼を引き戻す行為が果たして正しかったのか疑問です。
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埼玉の昭和喫茶大好き人間の聖地、蕨駅(わらびえき)の喫茶「クラウン」さんに行ってきました。お店に入るといきなり吹き抜けを貫く巨大なシャンデリアがお出迎え。店内も昭和ライクな照明だらけです。野菜一杯のホットドックとコーヒーのセットを注文。酸味強めのコーヒーが大変美味でした。
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「またこんな所で油売っとるんか🤬行くぞ!」 「固いこと言うなよ~www」 放蕩息子と父という風情ですが、これはかの有名な哲学者ソクラテスとその弟子アルキビアデスです。アルキビアデスはアテナイの政治家。頭が切れる上に超美男で細マッチョ。男女問わずモテモテの方でした→(続)
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目は口ほどに物を言いという言葉がありますが、今日は本当に目が印象的な女優さんをご紹介。画像はベアトリス・チャンラー(ミニー・アシュリーという芸名も)さんです。1880年生まれの彼女は米国の舞台女優。後年は映画にも出演しました。非常に現代的な顔立ちでくりくりした目がこぼれそうです。
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乳粥娘スジャータさんのお話です。 苦行でHPがほぼゼロになった仏陀になる前の修行僧シッダールタ。ヘロヘロになって菩提樹の下で休んでいる所に村長の娘スジャータさんがやって来ます。彼女は菩提樹の神様に「男子を生ませて」と願い事をしており、その通りなったのでお礼参りに来たのでした→続
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しかし、木の前に居たのは神ではなく小汚い僧侶。それでも彼女は「こういう神様もアリね♪」と富裕層特有の鷹揚さで乳粥を捧げます。彼女の乳粥を食べた事でシッダールダは苦行を放棄することになりますが、これをきっかけに彼は苦行の無意味さを知り、悟りを開くのでした。流石「褐色の恋人」です。
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ケロリン錠Sのお陰で熱も落ち着いています。派手な絵を解説する体力がないので落ち着いた版画をご紹介します。画像は吉田博の「料理屋の夜」(昭和8)です。粋な料理屋から出てきたのはお客の酌を担当した玄人のお姐さんでしょうか。提灯の灯り、心が落ち着きますね。濡れた路面の表現も素敵です。
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コープスクイーンの伝説のお話。14世紀、ポルトガルの王子ペテロはカスティーリャのコンスタンスと結婚しました。しかし彼はコンスタンスの侍女としてやって来たイネスにビビビと一目ぼれ。嫁ほったらかしでイネスに入れ込みます。やがてお嫁さんは死亡。王子はイネスと結婚しようと試みます→続く
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コロナで頭がフワフワしている今、何故かこの方の絵が愛しくなってきました。画像はアンリ・ルソーの「The Football Players 」(1908)です。遠近感がおかしいとか、足が宙に浮いてるとか言われている彼。しかしこの楽しそうなおじさん達を見ると、そんな細かい事もうどうでも良くなってきます。
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誰も居ない筈のこの部屋。でも、何か不吉な存在を感じませんか?画像は”クリスティーナの世界”で有名なアンドリュー・ワイエスの「The Witching Hour」(1977)です。閉められた部屋で何故か左になびく蝋燭の炎。よく見ると部屋全体までもが左に傾いています。窓の外には潜むのは魔女、なのでしょうか