昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(新しい順)

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目は口ほどに物を言いという言葉がありますが、今日は本当に目が印象的な女優さんをご紹介。画像はベアトリス・チャンラー(ミニー・アシュリーという芸名も)さんです。1880年生まれの彼女は米国の舞台女優。後年は映画にも出演しました。非常に現代的な顔立ちでくりくりした目がこぼれそうです。
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「またこんな所で油売っとるんか🤬行くぞ!」 「固いこと言うなよ~www」 放蕩息子と父という風情ですが、これはかの有名な哲学者ソクラテスとその弟子アルキビアデスです。アルキビアデスはアテナイの政治家。頭が切れる上に超美男で細マッチョ。男女問わずモテモテの方でした→(続)
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埼玉の昭和喫茶大好き人間の聖地、蕨駅(わらびえき)の喫茶「クラウン」さんに行ってきました。お店に入るといきなり吹き抜けを貫く巨大なシャンデリアがお出迎え。店内も昭和ライクな照明だらけです。野菜一杯のホットドックとコーヒーのセットを注文。酸味強めのコーヒーが大変美味でした。
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死後4日目にしてイエスにより蘇らされたラザロ。画像はその様子を描いたレンブラントの「ラザロの復活」です。奇跡は基本輝かしいものですが、この奇跡だけは個人的に陰惨なイメージを感じます。ラザロの表情を見ると、黄泉の国で「何か」を見た彼を引き戻す行為が果たして正しかったのか疑問です。
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ムンクといえば😱←ですね。人を不安にさせる作風は彼の特徴ですが、この絵はとても悲しい気持ちにさせられます。画像は「The Sick Child」。結核により14歳で早世した姉ヨハンナを描いた作品です。嘆く母を、総てを諦めた優しい表情で見詰める姉。ムンクはどんな気持ちでこの絵を描いたのでしょうか
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画像はジャン=レオン・ジェロームの「アレオパゴス会議のフリュネ」(1861)です。フリュネはあだ名で本名はネサレテ。彼女が許されたいきさつについては様々な説があります。
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中世欧州で頻繁に食べられていたコレはメドラー(セイヨウカリン)と言います。当時主流の果物でしたが、熟成というか腐らせないと食べられない為、やがてリンゴや梨にとって代わられました。面白いのはこれのあだ名でその名も「open ass」。今でも欧州では公園や森でメドラーを見られるそうです。
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寝る前にかわいい現代画をご紹介。画像はミヒャエル・ゾーヴァ(独・1945生)の「Potato Warehouse」です。マラソンで駆けるジャガイモ達を人参のギャラリーが観戦。ナスはピクルスの車を止めてジャガイモ達を守ってますね。ゾーヴァはこうしたほのぼの系が得意で、日本で展覧会も開かれました。
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18~19世紀、米英では「Pedestrianism」という地味なスポーツが大人気でした。ただ競技場をぐるぐる歩くだけ。しかし内容は平均総歩行距離が600キロ以上、所要時間は6日以上と超ハードでした。賭けの対象ともあって会場は毎回満員御礼。現代の価値で8千万以上の優勝賞金を貰えた大会もあったとか。
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トレンドにミュシャが上がっていたので展覧会かと調べたら、ある名誉教授職にある方が「ミュシャは二流の画家」と仰ったそうです。悪意の切り取り発言かなと思いましたが、ツイートを見たらそうでもない模様。私のような素人には一流二流の判断は出来ません。でも、悲しい気持ちになりました。
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母親は有難い存在。ユダヤにはこんな言葉があるそうです。「神はどこにでもいることができなかったので、母を作った」。 画像はジェイムズ・サントの「 Mother and Child」(1852)。幼い子にとって、母親って神様と一緒なのですよね。
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画像はVictor Vasnetsovの「シリンとアルコノスト」(1896)です。これはロシア民間伝承の生き物で、黒いシリンは悲しみを、白いアルコノストは幸福を歌います。二匹は一対の生き物で住処は冥界。時に幸福をもたらす事もありますが、彼女らの歌に心を奪われた男性はみな忘却と死に至るそうです。
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これ、凄いです。何が凄いってこの網、一塊の大理石から削り出されてるが所が凄い。画像はフランチェスコ・クイローロ(1762没)の「Il Disinganno」です。 クイローロは当時、この作品の仕上げに複数の協力者を使いました。しかし網の部分については皆「いや、無理」と手伝いを断ったそうです。
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画像は「アンリ2世の暗号本」と呼ばれるものです。アンリ2世は16世紀の仏王。彼が暗号機として実際これを使ったかどうかは不明ですが、美しいですね。 ちなみに彼の妻カトリーヌ・ド・メディシスは預言者ノストラダムスの信奉者。彼もうそうしたオカルトに傾倒していた可能性はあります→続
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悲劇の恋人といえばロミジュリ。彼らのデビューは16世紀ですが、それより前にも「元祖悲劇の恋人」という銘菓の名前みたいな響きを持つ方々が居りました。その名は「パオロとフランチェスカ」です。 乙女フランチェスカ(13世紀)は政略結婚によりリミニ領主ジョヴァンニに嫁ぐ事になりました→続
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昭和初期に使われていた略語をちょっと紹介して寝ようと思います。いずれも今は死語です。 ●コスメル:コスメでめかしこむ ●テリツク:ヒステリー ●どーまり:どうもありがとう ●モジ:「モダンジジイ」つまり不良老人の事 ●ナイホク:ナイフとフォークの事 どーまり、軽くていい響きですね😄
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おや?これはクリムt...。などと思った貴方は立派なクリムト好きです。画像はウクライナのクリムトとも呼ばれるヴィクトル・ザレツキー(1990没)の作品。彼は一本筋の通った漢で、ソ連社会主義の中にいて決して指導者を描こうとしませんでした。描くのは常に美しい女性と、労働者だったのです。
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画像は1908年(明治41年)、ドイツ生まれのアメリカ人写真家アーノルド・ゲンテが日本を訪れた時の写真です。彼は日本に六か月間滞在し、風景や行事、そして人々を記録しました。江戸末期から明治にかけての人物写真は「やらせ」も多いですが、これはリアルガチである模様。子守、大変そうですね。
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女性の体は美しい。そんなことは百も二百も承知ですが、ただドバァ~ッとアップで美しい裸を描けば”美しい絵”になるかというと、そういう訳でもありません。このハロルド・ナイト(1961没)の「Dosmare Pool 」は「裸体の描き方」がいかに大切かを教えてくれます。見てくださいこの上品な美しさを。
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12~16世紀、西欧では馬上槍試合が盛んに行われました。長い木製槍で突き合う光景を映画で見た人も多いでしょう。でも槍片手だと重いし、ゆらゆら安定しないし。そうだ!最初から鎧に槍を嵌めちゃえばイインジャネ?そんな発想で作られたのが神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世のこの鎧(15世紀)です。
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死者に見えます。画像はHugues Merleの「洞窟のマグダラのマリア」(1868)です。彼女はキリストに唯一「女として」愛されたと言われる女性。キリストの磔刑後33年間洞窟で一人余生を過ごしました。彼女の心は、愛するキリストの昇天と共に死んだのではないか。この絵を見るとそう思えてなりません。
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3月ももう終わり。4月から新天地で生活を送る若者も多いでしょう。そんな子の旅立ちを見送る夫婦の光景を描いたのがAdolph Tidemandの「末っ子との別れ」(1867)です。末っ子ともあって父母は既にかなり高齢。伸ばした母の手と、息子の手を握りしめ離せない父の姿が切ないです。解るな~その気持ち
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これはビクトリア時代の超珍品本「Victorian Blood Book」です。正式名称は「Durenstein」。1854年に英のジョン・ビングレイ・ガーランドにより作成されました。ウイリアム・ブレイクやその他もろもろの本から挿絵を切り貼りし、コメントを付けた上で挿絵に血の装飾をつけたというものです→続く
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なお聖職者の妻帯は、当時絶対の禁止事項では無かったようです。
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まず尼僧とチョメした場合、その聖職者は7年間に渡り年40日の苦行(パンと水だけで過ごす)をしなければなりません。「暗闇でついうっかり妻と間違って」妻の姉や妹とチョメした場合は真剣な懺悔でOK。一般信者とのチョメもちょっとした懺悔でOKのようです。地域差もあるでしょうが結構ユルいですね