例えば、この性別役割固定のこの話になると必ずと言っていいほど出てくるものが、「自分の方が大変だ」といった言葉や感覚です。 少し冷静になって考えればわかりますが、仕事の上で大変なことと、家事や育児に参加しないことはまったく別個の問題です。
結婚は一般に人生をともにすることを誓い合った同士でするものです。 家政婦やベビーシッターになるためにするわけではありません。
育児に参加しようとしない配偶者は、人生をともに歩むに足る人間にみえることはありませんし、家事に参加しない大人は、自分の生活のことを自分でできない、しようともしない未熟な自立していない人間とみなされます。
日々の家事や育児というのは、生活する上で避けることのできないものごとです。「お金を稼いでいればそれが免責される」と思い込むことはできますが、それはむしろ、自身の人間としての成熟や自立をスポイルしてしまいその人の人生における自己実現をさまたげることにつながってしまいます。
それでも、恩に着せることやお金で家族を支配しようとする人もいます。不満を、不機嫌さや悪態をつくことで周囲に吹き出していく人もいます。しかし、その人は家族からより信頼を失っていっています。
その人達はいまどうなっているでしょうか。 子供からも配偶者からも信頼されず、離婚に至ったり、家庭に居場所をなくしている人が少なくありません。 にもかかわらず、「誰のおかげで生活できたと思っているのだ」とルサンチマンをつのらせ、より煙たがられる存在になっている男性もいます。
そもそも、「男性は金を稼いでいればよいのだ」という過去の価値観が、男性の幸福や自己実現を阻むあやまった考え方でした。 収入を得るのは、人の生活の一部でしかありません。
いくら配偶者が専業主婦だったとしても、その夫は育児をまったくしなくてすむのでしょうか? ひとついえるのは、「父親」であることからは下りられないということです。 それこそ昭和世代の夫は、家事育児に参加せず金だけ稼いでくればいいのだという感覚が一般的でした。
2022/09/16 ◆妻が専業主婦なら夫は働くだけでよい? この数日、「夫は外で働いているのだから専業主婦なら家事育児をひとりでこなして当然だ」といった複数のツイートがTLに流れてくるのを目にします。 これを目にした別の人が、こうした周回遅れの意見に染まっては気の毒です。
自分を大切にするためには、NOを言えること、ときに悪態をつくことすら必要になってきます。 こうした個のあり方を、日本の社会では、マナー論、モラル論、お気もち論などで簡単に封じ込めることが可能になっています。 そうして、自分を大切にできない人を拡大再生産しているかのようです。
人権概念は個人尊重を出発点として、複数の個人の集まりとしての社会性を考えるものです。 子供以前に、大人の問題として「私が大切」を獲得させてもらえなかった人がたくさんいることもひしひしと感じます。
「○○ができるあなたが好き」でも、「私の価値観に当てはまるあなたが好き」でもなく、「あなたと私はどんなに近しくとも別個の独立した価値ある存在であり、私の評価如何に関わらずあなたの存在には価値があるのだ」
「私が大切。だからあなたも大切」 自己と他者を人として同列に考え、他者に起こるよくないことが自分にも起こらないようにしたいというのが人権の基礎的な価値観だと思います。 「私が大切」を奪われれば、他者つまりは社会を思う思考も同時に奪われてしまいます。
僕が生きてきたこの社会は、もっと頑張れ、自己犠牲しろ、お前より苦しんでいる人はたくさんいるといった自身を矮小化させるメッセージばかり多く、自分を大切にしていいんだというメッセージを実感的に感じることがほとんどありません。
自身を大切にしないことを獲得させられた人は、他者をも大切にできないメンタリティを同時に構築してしまいます。
2022/09/12 最近、他者のあり方を問うことの傲慢さと無益さを感じつつも、どうしてこうまで他罰的、冷笑的、弱者への想像力の欠如が一般化してしまったのかを考えずにはいられない自分があります。
国民を子供を服従させたい人にとってはここが本丸。 性教育を奪うとなにが起こるかというと、NOを言うことができない人間、自分のことを自分で決定できない人間を作ることができます。 そして女性蔑視を助長し、男性中心主義的な社会、ひいては権力者に有利な権威主義的な社会を作れるからです。 twitter.com/nagano_t/statu…
自称子ども食堂。 こんなものまででるとは。 貧困対策には国、行政が責任をもってとりくまなきゃならないことなんだよ。 なんで税収が過去最高の国で子供が飢えているんだよ。 ryukyushimpo.jp/news/entry-157…
2022/08/24 ◆最近の教育の流れに感じるあれこれ 昨日のオンラインサロンで、最近の子育ての潮流、そこからの教育格差の懸念についてお伝えしました。 昨今、世の中に流れる教育についての情報をみていると、ある種の傾向が感じられます。
2022/07/21 【保育、教育】承認欲求について 専門性ある仕事をする上で、あまり目立たないけど重要なポイントに承認欲求の問題があります。 対人の仕事、特に「人のためにする仕事」には、この承認欲求という魔物がひそんでいます。 子供を相手にする仕事は、それが暴走しやすい仕事でもあります。
◆宗教と家庭 保育士をやっていれば、宗教(もしくはエセ医学、エセ科学なども)がらみで家庭や子育て、人格上の問題につながるケースに接することが山ほど出てくると思う。 保育であずかる子供、保護者。 そして同僚である保育士に。
この婚姻制度にさまざまな条件をつけることは、個人の自由、つまり自分の人生を自分で選択していいということを制限するものです。 だから、24条をなし崩しにすると、個人の自由を制限できる国となり、その分だけ権威、権力の力が強まります。
よって強権化したい政権も、人を支配したい種の宗教もここに手を伸ばしたいのです。 逆に考えると、夫婦別姓や同性婚を許容することは、こうした権力を強化することの逆につながります。 それらは個人の自由をより広げる選択となるわけです。
日本の憲法24条は、そうしたものを排除しています。 当人同士の同意だけで結婚できるものと定めることによって、結果的にそれは個人の選択の自由を明確に現しています。
それは政治的、慣習的、宗教的など。 例えば、身分制度が結婚を阻んだり、持参金のあるなしで結婚が阻まれたり、教会が認めなければ結婚、性行為、出産が非難の対象になったり。 これらは現在に至るもいまだに続いています。