こうした「自分が否定されている」という自己防衛的な反応の実際の多くは、実のところコミュニケーションの欠如が介在している。 コミュニケーションをとらずに、自分のことをわかってほしいというのは、思春期にありがちなメンタリティであるが、大人はそれを乗り越えたいものだ。
「女はわきまえろ」を言い方を変えているだけ。 ジェンダーギャップ120位の国だけはある。 twitter.com/hiroshima_pref…
・高収入 様々な人がいますから一概にはいえないかもしれませんが、時代の流れとしては確実に女性は自立、自活を求める方に向かっていますので、男性の高収入に依存したいという人は減っています。 互いに働いて生活に不自由なければそれでよいという考え方がむしろ一般的なものではないでしょうか。
性差別のひとつに「性をモノ扱いされる」があります。 近年では一般化している、モノの擬人化(女性化)という表現方法はその逆の構造になっており、それそのものが性差別でないとしても性差別をカジュアルに浸透させる呼び水となるリスクを持っています。 twitter.com/colabo_yumeno/…
2022/09/12 最近、他者のあり方を問うことの傲慢さと無益さを感じつつも、どうしてこうまで他罰的、冷笑的、弱者への想像力の欠如が一般化してしまったのかを考えずにはいられない自分があります。
僕が生きてきたこの社会は、もっと頑張れ、自己犠牲しろ、お前より苦しんでいる人はたくさんいるといった自身を矮小化させるメッセージばかり多く、自分を大切にしていいんだというメッセージを実感的に感じることがほとんどありません。
そもそも、「男性は金を稼いでいればよいのだ」という過去の価値観が、男性の幸福や自己実現を阻むあやまった考え方でした。 収入を得るのは、人の生活の一部でしかありません。
憲法25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるが、文化的ということが理解されていないのだろう。 捨てる弁当を食べさせればよいという、人を見下した価値観がそこにあることに人はなかなか気づけない。
ブラックフェイスがコメディから出てきたように、差別は、実のところ娯楽と密接な関係がある。 娯楽と差別が結びついてしまうと、人々はそこに差別のあることに鈍感になってしまう。 また、娯楽を守ろうとして結果的に差別を守ろうとしてしまう。
さらなる問題は、「私が大切」と思えるようにならないと、「誰しもが大切」にはならないという点。
特定の子ばかりをかまったり、合理的な理由のない身体接触をしたり。女児に対してだけでなく男児に対して起こることもあります。 もちろん、大半の男性保育士がそうでないことも理解しています。 しかし、「自分はそんなことはしない!」と主張しても、解決にならないし、信頼も得られません。
本当は相手の支配をする必要はありません。 性的関係においても対話と同意を大切にすることで、パートナーとの関係はプラスになっていきます。
こうした社会で女性が男性に警戒の目を向けるのは当然のことです。 それを失礼と非難したり、それをされる自分を哀れむ前に、そうした社会とその構造に目を向けることがすでに現代においては必要とされています。
僕のかつての同僚にこんな人がいました。 職員全員が残業をして職員会議をします。終わるのは20時~21時です。 女性のその同僚は、急いで帰らなければと言っています。聴けば、家で夫と大学生の息子がご飯を待っていると・・・。
【子育て】子供をからかう行為,加害的行為 人によってはしばしば子供をからかったり、バカにしたり、容姿をあげつらったりする行為を悪意なくすることがあります。
僕はこうしたことの専門家ではありませんが、多くの人の育児、家庭の相談を受ける過程で女性が男性に求めている実際のところ、どうしたことを不快に思っていたり、どうしたことで信頼関係を築けたり、逆に不信におちいったりするのかを生の声で聴いてきました。
この記事について「生徒がいい教員だと言っている」を判断材料にしている大人の人がいるようだけど。 子供では判断できないことがあります。 特に、生徒から教員というのは子供の持つ信頼感ゆえに、不適切な行為があっても子供自身それが理解できなかったり、それを他者に伝えていけないと思うなど。 twitter.com/hoikushioto/st…
男性のイノセンスさ(無謬性)は大きなポイントだと感じます。 世に流れる表象でも「いつまでも少年の心を持った男性」のような価値観が称揚されているけれども、現実の対人関係では悪い意味で「子供ぽい」になっていること少なくないようです。 twitter.com/u2PZgv85MkSGAm…
なぜなら、自立のなさを表しているし、依存していることを意味するから。パートナーは互いに支え合うものだから、ある種の依存は悪いことではないが、こうした一方向の依存はされる側にとってはいいようのなく重たいもの。 だから、ケアは相互であることを大人になる過程で身につける必要がある。
2022/06/08 ◆「主語を大きくしない」の違和感 「主語を大きくしない人が好きです」という言葉を見かけました。 その言葉は、昨今の流行のようでもあり、おしゃれでクールできれいでかっこいいです。「私はやたらと人を批判しない人ですよ」というある種の善人さもかもしだすことができます。
こうやって優生思想やレイシズムに親和的な新自由主義的価値観が広まっていくんだなと思うと暗澹とした気持ちになる。 感化されてしまうだろう人が、少なからずいるだろうことも感じる。 twitter.com/T9FQ756Gxihytu…
日々の家事や育児というのは、生活する上で避けることのできないものごとです。「お金を稼いでいればそれが免責される」と思い込むことはできますが、それはむしろ、自身の人間としての成熟や自立をスポイルしてしまいその人の人生における自己実現をさまたげることにつながってしまいます。
>RT このオムツ持ち帰りの件なんか端的だけれども、保育ってド直球に「政治」案件なんだよね。 女性差別的な意味そのまんまの「女子供」な地域や議会だと、保育に予算はつかないので質は低いまま。 職員の意識も古いまんま。
【男性が幸せになるために】異性とのつきあい方|保育士おとーちゃん @hoikushioto #note note.com/hoikushioto/n/… 僕のnoteに、加筆修正版をまとめました。
>ちょっと羽目を外してしまっただけだから、許してやってほしい。彼らには将来があるのだから。そんな言葉によってないことにされてきた被害はこれまでどれだけあるだろう。 twitter.com/ogawatam/statu…