そもそも口を開くことすらできなくなってしまいます。 それらはその経緯ゆえに、もっと強い口調になることも当然あるでしょう。 こうして考えると、弱い立場にある人の口をふさぐトーンポリシングになる、そうした側面、可能性を「主語を大きくしない」は含んでしまっているといえるでしょう。
2022/05/12 ◆子供を苦労させるという無自覚の子供蔑視 苦労させること、苦痛を与えることが教育要素であるとする感覚が、世の中には意識・無意識の内に無数にあるようです。 そこには子供蔑視がわかちがたくあります。
現実にそうしたことが起こる以上、その心配もそもそもまったくいわれのないことではないからです。 「保護者には男性が子供に関わることの不安がある。あって当然。なぜならそうした現実が過去にも現在にもたくさんあるから」
>RT 日本では「政治についての意見を言うのはよろしくない」という「モラル」が一般的な通念として流れているみたいだよね。 「政治についての意見」という看板だけど実際のところは「権力批判するな」なんだよね。 少なくない人が権威主義の中で自分の地位やアイデンティティを維持しているのかな。
日本の対人関係文化は、上下関係を前提として構築されているので、人と接する上で「他者を対等の人とみなす」という認識を獲得するのは難しい。 例えば、仕事の上などの利害関係のない人であったとしても、相手の立場や年齢の上下によって言葉使い(主語すら)が変わるという文化の中で生きている。
2022/08/24 ◆最近の教育の流れに感じるあれこれ 昨日のオンラインサロンで、最近の子育ての潮流、そこからの教育格差の懸念についてお伝えしました。 昨今、世の中に流れる教育についての情報をみていると、ある種の傾向が感じられます。
日本の憲法24条は、そうしたものを排除しています。 当人同士の同意だけで結婚できるものと定めることによって、結果的にそれは個人の選択の自由を明確に現しています。
男性保育士の数が増えるにつれて、実際にこうした児童への性加害の問題は少なからず表面化してきました。 たった一人でもそうした人がいれば、まったく関係無い人であってもその同業者がそうした目を向けられるのは当然のことです。
この婚姻制度にさまざまな条件をつけることは、個人の自由、つまり自分の人生を自分で選択していいということを制限するものです。 だから、24条をなし崩しにすると、個人の自由を制限できる国となり、その分だけ権威、権力の力が強まります。
感謝を求めるメンタリティには引っ張られにくいのではないだろうか。 >相手が誰であれ立場がどうであれ、人と人として対等という認識 例えばそのひとつには、人権意識がある。
しかし、ミソジニストとおぼしき人達から寄せられる大量のそれは、Bという意見の開陳になるのではなく、Aの打ち消しに終始してきます。 通常はこれを議論とはいいません。 というよりも、それをしたところで問題としている事象に関してなんの(保守的にしろ変化的にしろ)成果も生み出さないからです。
◆学問の男性性 また、話しの切り口は離れますが、男性のそうした自己防衛を既存の思想に仮託して行うのもあまり理知的とはいえないかもしれません。 なぜなら、学問の男性性、アカデミズムの男性性、哲学・思想の男性性という提起がすでになされている社会にあるからです。
よく知られる話かもだけれども、古代ローマ帝国が滅びた理由が度重なる蛮族の襲来や外敵ではなくて、奴隷身分から上昇できない制度に固定化したためと。 日本もこのままだと格差でどうにもならなくなるんじゃないかな。
2022/07/21 【保育、教育】承認欲求について 専門性ある仕事をする上で、あまり目立たないけど重要なポイントに承認欲求の問題があります。 対人の仕事、特に「人のためにする仕事」には、この承認欲求という魔物がひそんでいます。 子供を相手にする仕事は、それが暴走しやすい仕事でもあります。
unicef.or.jp/kodomo/kenri/ 「子どもの権利条約」4つの原則 ・命を守られ成長できること ・子どもにとってもっともよいこと ・意見を表明できること ・差別のないこと 4つの権利 ・生きる権利 ・育つ権利 ・守られる権利 ・参加する権利
「人として対等」という他者認識を持つためには、こうした素の対人関係理解を乗り越えなければならないので、日本の文化の中で人権意識の獲得はひとつハードルがあがっていると言える。
この点、児童ポルノの氾濫なんてもっとも「保守」が目くじら立てるような案件だったはずだよね。 僕みたいな個人主義、自由主義の人間はむしろ表現規制なんか大反対だもの。 失われた30年で、本当にいろんなものがあべこべになったこと。
この社会で少子化が解消するわけないよね。 なんだか社会的に自傷行為をしているとでもいうような。 twitter.com/HuffPostJapan/…
健康上、安全上の問題を考えたら子供にさせてはならないことですが、そうした知識が関係者、報道機関になかったのでしょうか。 子供の人権に関する視点が社会的に足りていないのではとたびたび感じます。
そのように無意識に対人関係理解に「上下」が組み込まれてしまう。 (人によってはそこに依存してしまう。「なぜ自分がわざわざやってやっているのに感謝されないんだ」のように)
被差別者や、権力構造に対して弱い立場におかれている人に、「主語を大きくするな」を要求することが是とされてしまうと、その人達にその問題(例えばその差別)に与する人と、そうでない人の選別の労を負わせることになります。
自己犠牲を他者から強いられていると、人は「意地悪」になっていくんですよ。 だから、福祉施設はモラルハラスメントが起きやすいです。 21世紀なんだから、自己犠牲などの精神性でケア労働を展開するの卒業しましょう。 ケア労働の専門性を。
上記後段やや修正 本来、保守とは「子供にひもじい思いはさせない、遊ばせ、勉強させ」「人を孤立させない」など地に足のついた価値観を多分に持っていたはずです。