226
差別や蔑視は、それがたとえ目の前にあってすら、それを視る視点を持っていなければ、そこにあることすら気づけないものです。
特に、女性差別、女性蔑視は家庭内にすら存在し、幼少期からそれに慣れてしまうことや、メディアや表現の中で自然にそれに無自覚になってしまう側面があります。
227
美談にしてしまえば、矮小化され再発してしまいます。
それが起こるのは、我が子にかもしれないのです。
228
自分が守られなかった子供、自分を守らせてもらえない大人は、他者にもそれを求めるようになることがあります。
そうなると負の拡大再生産となります。
「自分も大切、他者も大切」この順番で少しも悪くありません。
229
自称子ども食堂。
こんなものまででるとは。
貧困対策には国、行政が責任をもってとりくまなきゃならないことなんだよ。
なんで税収が過去最高の国で子供が飢えているんだよ。
ryukyushimpo.jp/news/entry-157…
230
例えば、この性別役割固定のこの話になると必ずと言っていいほど出てくるものが、「自分の方が大変だ」といった言葉や感覚です。
少し冷静になって考えればわかりますが、仕事の上で大変なことと、家事や育児に参加しないことはまったく別個の問題です。
231
◆マウンティングという依存
典型的なDV行為のひとつに、
「オレが何で怒っているかわかるか?」
という恫喝があります。
これは怒りや攻撃的な姿勢とともに発されることもあり、それを言われる側はとても怖さを感じます。
232
僕自身もまったく同じことを言われて10年続けた子育てのブログをもう書けなくなりました。
「政治について触れず子育てのことだけ言えばいいのに」と。
多くの人が悪意なく「政治的なことに触れるのはよろしくない」という価値観を持たされて生きているのでしょう。 twitter.com/Albizia_jewelr…
233
一方で、主語を大きくしなければ成立しない言論というのも存在しえます。
端的なのは、被差別者がその差別構造を訴えるときです。
そうしたとき、「主語を大きくしない」というスタンスがある種のモラル、一般通念として成立してしまっていると、トーンポリシングとして機能してしまいます。
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子供、大人とも、憲法25条にあるように健康で文化的な生活をおくれるよう社会が福祉的な責任を果たす必要があります。
そうした税の再配分は、誰もが幸福追求権を持った福祉国家であるためにとても大切な支出です。
235
先日、加害変容プログラムGADHAさんのこちらの講演を聴きました。
このなかで、特に以下のふたつの言葉が印象的でした。
・「この社会に生きていると攻撃的な心理体系を身につけてしまう」
・「ケアの欠如がすでに加害である」
youtube.com/watch?v=3jHRIO…
236
もし現在の日本に「保守」なる人達がいまもいるのだとしたら、「子供になんてことをさせるのだ」ともっとも怒りの声をあげるような問題ではないでしょうか。
本来、保守とは「子供にひもじい思いはさせない」など地に足のついた価値観を多分に持っていたはずです。
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男性はしばしばミソジニーを「本能」で正当化しようとする言説に惹かれるようです。
それは、つまり人間ではなく動物であるという人間性の否定になるので現代的な価値観の上の議論になかなか到達しません。
また「本能」というのは一般に多用されますが、作業仮説の一種として実はあいまいなものです。 twitter.com/tkmpkm1_mkkr/s…
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washingtonpost.com/world/asia_pac…
日本の学校における頭髪指導、下着の指定についてワシントンポストで報じられています。
頭髪指導に関して、差別的であると表現されています。
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厚労省だってそんなことは本当はわかっているんだよね。
しかし、ケア労働=女性の仕事+女性蔑視の価値観ゆえに、専門職としての待遇改善はしたくない政治によって抑えつけられている。
だから、こうした欺瞞的な政策ばかり打ち出してお茶を濁してる。
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以下のツイート、事情ご存じない方もいると思うので少し解説すると、共通テストを受験する生徒に痴漢などの加害をしても試験に遅れないために事を荒立てないとわかっているので、その日に性犯罪が多発するというこれまでの経緯があります。 twitter.com/kidayui/status…
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最近、というかこの4月に入ってからだけでも企業経営者や責任のある地位にいる人の失言のニュースをあいついで見たが、その人達に共通して見えるのが、人権意識の欠如感、よりうがった見方をすれば、対人関係=上下関係という認識の中で、自身が上であることを前提とした他者認識がうかがえた。
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「だんしゃなめんな」の講談社といい、今回の小学館といい、組織や権威というのは悲しいかな人を頽落させてしまう。
だから理念は大切。しばしば理念尊重することを現実的でないとくさす人がいるが、理念が現実につながっていることが見えないとは、それこそ現実的でない。
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「貧すれば鈍する」とはいうけれど、落ちていくのに底はないもんだな。
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日本に侵略されたアジアの国の人達は「あなたたち日本人は」と語る必要があるし、
沖縄の人達は「あなたたちヤマトンチュは」と
アイヌの人達は「あなたたち和人は」と
また、女性の差別構造を訴える当事者は「あなたたち男性は」と使うことが許されなければ、
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人権概念は個人尊重を出発点として、複数の個人の集まりとしての社会性を考えるものです。
子供以前に、大人の問題として「私が大切」を獲得させてもらえなかった人がたくさんいることもひしひしと感じます。
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僕自身も男性なので男性の言葉に触れることは多いです。
その中で典型的にでてくると感じるものが、苦労自慢です。
・こんなに残業した
・こんなに睡眠時間を削って働いた
・こんなに休まず働いた
・こんなに切り詰めて働いた
・こんなに我慢して働いた
(“働いた”の部分が“勉強した”の場合も)
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これが現実。
女性にとって男性は潜在的な加害者として存在してしまっている。それは男女それぞれの個人の問題ではなく、ミソジニーが長く続いた社会構造が作り出したもの。
これ男性は女性に腹を立てる問題ではない。社会構造をみてみよう。 twitter.com/higiri45988237…
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それらに乗る形で自己防衛しても、それは社会的に他者から、女性から信頼を得られるものにはなりえないでしょう。むしろそれは、自己憐憫的なあり方として敬遠されるものとなってしまうのではないでしょうか。
目の前にあるものを見る。
まずはそこからです。
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しかし、この本質にあるのは「個人の自由」なのです。
歴史を振り返ると、婚姻制度と性的関係を掌握することが権威、権力の根底に常にありました。
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感謝を求めるメンタリティには、こうした自身の立場の追認(自己承認)の側面が透けてみえる。
他者への認識を、相手が誰であれ立場がどうであれ、人と人として対等という認識を確立している人であれば(つまり対人関係を上下関係としてとらえていない人であれば)、