豆大福(@ma_daifukuan7c)さんの人気ツイート(いいね順)

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いきなり直虎クラスタを沸かせる家康公 #青天を衝け #おんな城主直虎
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あぶり餅は、長保二年(1000年)平安時代に京都に蔓延した疫病や災厄を鎮めるために、一条天皇の手によって、紫野の地に今宮神社が建立されたのと、ほぼ同じ時代に売り出されたといわれる #麒麟がくる
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蘭奢待は正倉院に収蔵されており、目録上の名称は「黄熟香」 全長156cm、最大径は43cm、重量11.6kgの沈香。沈香の中でも良質のものが伽羅となる。 足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取っており、信長や義政らの切り取った跡には付箋が貼られている #麒麟がくる
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後に渋沢栄一は、大沢源次郎の捕縛について新選組と論争した時に「土方歳三が割合にも理屈のわかる人間で自分に同意してくれたため事が治まった」と語っているが、新選組と渡り合った事で自分が「案外、気骨のある男だ」と幕府陸軍内部で評判になった事もちょっと自慢ぽく語っている。 #青天を衝け
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今回の今井宗久の茶道の所作の美しさを見て、数年前に某バラエティ番組での茶会の作法を格付けする問題で、陣内孝則さんがほぼ完璧だったのを思い出した。 #麒麟がくる
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種子島の鍛治の棟梁であった八板金兵衛は美濃国関の鍛冶職人だった。 天文12年(1543年)種子島時尭より、国産の鉄砲を製造するよう命じられ、天文14年(1545年)にわずか2年で火縄銃の国産化に成功。 #麒麟がくる
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それぞれの書評 土肥実平 「とても読めたものではない」 和田義盛 「絵は可愛いが、頼朝の求めるものではない」 北条義時 「内容が細かすぎて全く頭に入ってこない」 源義経 「シンプル イズ ベスト」 #鎌倉殿の13人
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美濃に伝わる狐の昔話 日本霊異記に妻の正体が狐であったという話がある。その子孫が美濃の狐の直(きつねのあたい)の祖になったともされている。 安倍晴明の出自といわれる信田(しのだ)妻の系統の伝説として各地の旧家に伝えられた。 #麒麟がくる
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めっちゃシリアスなシーンなんだけど、伸びかけ月代のリアルな表現に笑ってしまった。 #青天を衝け
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この金ヶ崎の戦いで、共に殿を務めた事が十兵衛と秀吉のターニングポイントになるわけだけど、その後の両者の明暗がしっかり分かれてしまうのが皮肉といえば皮肉 #麒麟がくる
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朝倉義景、二条晴良、柴田勝家、織田信忠。 テセウスの船からヤバすぎる面々がくる。 #麒麟がくる
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新一万円札・渋沢栄一、 現一万円札・福沢諭吉、 旧千円札・伊藤博文、 旧五百円札・岩倉具視 アメリカの50ドル紙幣・グラント元大統領 に続き、新千円札・北里柴三郎が最終回に登場。 #青天を衝け
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井伊直弼、死の帳面(DEATH NOTE) 吉田寅次郎(松蔭)の名前もあり #青天を衝け
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室町時代には砂糖が輸入されるようになったが、庶民に手の届くものではなく甘味といえば、米を主材料に大麦、小麦などを加えて糖化させた『水あめ』を使用。菓子としてではなく、調味料としてしか認識されていた。 本格的に水あめがお菓子として売り出されたのは江戸時代に入ってから。 #麒麟がくる
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大隈重信の口癖 「あるんである」 を忠実に再現してるの流石。 #青天を衝け
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オサキギツネはキツネの憑き物。 九尾の狐が那須で殺生石に化けた後、僧が祟りを鎮める為に殺生石を割り、その破片の一つが上野国(群馬県)に飛来し、オサキになったという伝説がある。 曲亭馬琴が編集した奇談集『兎園小説』によれば、尾が二股に裂けている為「尾裂」と表記されている。 #青天を衝け
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ネットで脅迫する輩に聞かせたい言葉。 #青天を衝け
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渋沢栄一のお孫さんが祖父との思い出を語る記事に 「遊びに行くと榮太樓の梅ぼ志飴を口に入れてくれました」 とあるのを読んだのだが、高松凌雲役の細田善彦さんの実家が榮太樓總本鋪なので、こういう繋がりって面白いと思った。 #青天を衝け
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借金情報に詳しい闇金サイトウくん #麒麟がくる
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「国友鉄砲記」によると、天文13年(1544年)将軍足利義晴が、細川晴元を通して国友村の鍛冶、国友善兵衛らに鉄砲製作を命じ、半年後に二挺を完成させたといい、それを国友鉄砲鍛冶の始まりとされている。 #麒麟がくる
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玉藻前は美福門院がモデルともいわているので、美福門院が平治の乱の際に平清盛を支持した事を考えると、平氏でありながら頼朝に従った上総広忠や千葉常胤が追討軍に指名されたのも何か意味があるのか? ちなみに三浦義明は九尾の狐の体から勾玉を抜き取ったため、子孫まで祟られたという伝説もある。