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あの子たちが『曽我兄弟』なら、『その話はいい』ではない。
#鎌倉殿の13人
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空を飛んだBMXを作ったのは、大阪にあるKUWAHARA BIKE WORKS。
スピルバーグ監督が子役達に、「どんな自転車に乗りたい?」と尋ねると、声を揃え「KUWAHARA BMX」と即答したので決定した。
連絡を受けた社長は、どんな映画かわからないまま40台のBMXを送ったという
#ET
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小栗旬と大泉洋のサービスショットを楽しみにしていた方には残念かもしれませんが、平安時代は上層階級では入浴時に湯帷子を着ていたんですね。元々、日本のお風呂は蒸し風呂が主流だったので、麻の単衣を汗取りのために着ていたのです。
これが後に浴衣と呼ばれるようになりました。
#鎌倉殿の13人
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意外すぎる廃藩置県の詔の演出に、こっちの方がうろたえるで。
#青天を衝け
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そっくりなのは、むしろ髪型。
#鎌倉殿の13人
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上総広忠と千葉常胤には、三浦義村と和田義盛の祖父である三浦義明とともに、鳥羽上皇の命で妖狐・玉藻前を討伐したという伝説がある。
那須野に赴き、九尾の狐となった玉藻前を三浦義明が矢で射抜き、上総広忠が刀で斬った。
その後、玉藻前は那須の殺生石となる。
#鎌倉殿の13人
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同じ画面に『なつぞら』の山田兄弟に、仮面ライダーメテオと仮面ライダービルドとトッキュウ1号に、現一万円札と新一万円札が揃っていて大渋滞。
#青天を衝け
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りく様が提案した後妻打ち(うわなりうち)は、平安中期頃から江戸時代の初期頃まで、庶民から身分の高い女性まで広く行われており、最古の記録は、平安中期の藤原行成の日記『権記』の「藤原道長の侍女が30人の女たちを引き連れて、夫の不倫相手の家を壊しに行った」という記述になる。
#鎌倉殿の13人
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渋沢栄一は総額25両も猪飼勝三郎から借りていたが、給金の中から少しずつ返していた。猪飼はその度に褒めてくれ、栄一はそれを後年ずっと恩義に感じ、明治になって猪飼の息子が大蔵省に入った時には力になったという。
#青天を衝け
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蘭奢待の再現率のすごさに、美術さんの努力の程がうかがえる
#麒麟がくる
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小山力也さんはインタビューで酒井忠績の写真を見て、ご自分に似ていると仰っていたが似ているといえば似ているかも。
小山さんの方が断然、格好良くていらっしゃるが。
#青天を衝け
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徳川慶喜の静岡時代の趣味の一つに自転車があるが、駿府に住んでいた時には家臣たちと一緒にサイクリングしていた(家臣は走ってお供)
走る家臣に靴を買うようにと3円ずつ支給していたらしい。
なお自転車走行中、美人にみとれて電柱にぶつかったというマンガみたいなエピソードがある。
#青天を衝け
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『平家物語』によると、戦は両軍の「言葉戦い」から始まったとされる。
頼朝軍からは北条時政が、大庭軍からは大庭景親が出てお互いに相手を罵り、自らの正当性を主張した。
言葉戦いは味方の武勇を誇り敵を貶める伝統的な戦の作法であり、だいたいが相手の悪口を言い合う事だった。
#鎌倉殿の13人
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この狂気の表情対決が凄すぎる…
#麒麟がくる
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インモルテル(イモーテル)は、和名をムギワラギクといい、乾燥した土地でも育つ事から「不滅」の意味を持つインモルテルという名前が付いた。
鮮やかな黄色の花は、乾燥させても色や形が変わらないため、英語では「エバーラスティング(永遠)」とも呼ばれている。
#青天を衝け
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渋沢栄一は自伝で
「平岡円四郎であるが、この人は全く以て一を聞いて十を知るといふ質で、客が来ると其顔色を見た丈けでも早や、何の用事で来たのか、チヤンと察するほどのものであつた」
と述べている。
この才気が身を助け、そして滅ぼしたのか。
#青天を衝け
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今のところ、まともな坊主が一人もいない。
出家すりゃいいってもんじゃないらしい。
#鎌倉殿の13人
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近衛前久は1564年当時28歳。
藤原北家の流れをくみ、五摂家の筆頭格の家柄である名門近衛家の長男に生まれ、11歳で内大臣、17歳で右大臣、18歳で関白左大臣の位についたスピード出世の超エリート。
書に秀で和歌の才能もあり馬術や鷹狩も得意という、文武両道の出木杉くんのような人。
#麒麟がくる
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猪飼さん再登場嬉しい!
(しかも、みたらし団子付き)
猪飼さんと栄一の交流は長く続き、晩年に鵜飼さんが栄一から病気見舞いに菓子折を貰った時、「これは渋沢が俺にくれたのだから他の人には決して食わせない。俺一人で食う」と言って、一人で大事に食べたという話がある。
可愛すぎる。
#青天を衝け
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このエンジェルスマイルサイコパスな源義経が、一ノ谷、屋島、壇ノ浦とどんなクレイジーな戦いを見せるのか想像しただけで楽し……
いや、恐ろしい…。
#鎌倉殿の13人
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三野村利左衛門は文字は平仮名しか読めなかったが、渋沢栄一は彼を「無学の偉人」と称し、「あのくらい学問もしないで、制度について不思議な才能を持っている人はいない。そしてそれを説明するときに丸をいくつも書く。三野村のまるまると言ったら有名なものだった」と評している。
#青天を衝け
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今回、後半は草彅剛の一人舞台と言っても過言ではなかった。
『青天を衝け』のもう一人の主役は、徳川慶喜であると実感。
#青天を衝け
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「祖父はまじめな顔をして、お頼みすると言い出した。あれだけの人物から本気になって、ほんとうに頼むと言われるとホロリとなっちゃう。それで、しょうがありません。承知しましたと言ってから、不意に涙が出て困ったのを覚えて居る」
と渋沢敬三の伝記にある。
#青天を衝け