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『平家物語』によると、戦は両軍の「言葉戦い」から始まったとされる。
頼朝軍からは北条時政が、大庭軍からは大庭景親が出てお互いに相手を罵り、自らの正当性を主張した。
言葉戦いは味方の武勇を誇り敵を貶める伝統的な戦の作法であり、だいたいが相手の悪口を言い合う事だった。
#鎌倉殿の13人
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猪飼さん再登場嬉しい!
(しかも、みたらし団子付き)
猪飼さんと栄一の交流は長く続き、晩年に鵜飼さんが栄一から病気見舞いに菓子折を貰った時、「これは渋沢が俺にくれたのだから他の人には決して食わせない。俺一人で食う」と言って、一人で大事に食べたという話がある。
可愛すぎる。
#青天を衝け
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「早く跡継ぎを頼むぞ」と頼朝が政子に言っているのを聞いている亀の表情がすごい。
江口のりこさんはすごい。
#鎌倉殿の13人
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「祖父はまじめな顔をして、お頼みすると言い出した。あれだけの人物から本気になって、ほんとうに頼むと言われるとホロリとなっちゃう。それで、しょうがありません。承知しましたと言ってから、不意に涙が出て困ったのを覚えて居る」
と渋沢敬三の伝記にある。
#青天を衝け
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土方歳三の散り際が哀しすぎるので、ゴールデンカムイのように生きていた説にして、最強カッコいいジジイになって晩年の栄一と再会するというブッ飛んだ設定にしてもらっても大歓迎。
#青天を衝け
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茶の席でろくな事が起きない大河
#麒麟がくる
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小山力也さんはインタビューで酒井忠績の写真を見て、ご自分に似ていると仰っていたが似ているといえば似ているかも。
小山さんの方が断然、格好良くていらっしゃるが。
#青天を衝け
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『徳川慶喜公伝』を編纂するにあたり、「一章脱稿するごとに、公(慶喜)の御許へ呈してご覧に入れると、喜んで丁寧にお目を通され、時には御自筆で附箋をなされ、これはこうであるけどこうではなかったと、修正意見をお記しになった」
と栄一は語っている。
再現してくれて嬉しい。
#青天を衝け
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これは人によっては鼻持ちならない言葉になるが、草彅剛の徳川慶喜なら、そうだろうと納得してしまう台詞。
#青天を衝け
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慶喜の最期が、これほど泣けるなんて思わなかった。
徳川慶喜が、こんなにも愛おしい存在になったのは、草彅くんだったからこそ。
表情、言葉、体から流れ出る感情、全てが忘れられないものとなった。
草彅くんに心からの感謝を。
#青天を衝け
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徳川家康役の北大路欣也氏は、2011年の大河『江』でも徳川家康を演じていたが、天璋院役の上白石萌音ちゃんは同じ『江』で家康の孫、徳川和子を演じていた。
#青天を衝け
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銀札の再現に力入れ過ぎてて感動
#青天を衝け
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草彅剛の徳川慶喜の闇が思ったより深くて見応えがある。
#青天を衝け
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この寂寥感を滲ませた笑顔が、本当にすごい。
草彅くんの表現力が深すぎて、毎回驚かないシーンが無い。
#青天を衝け
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まるで別人のように取り巻く状況による表情が移り変わる。
この義昭なら滝藤賢一を配役した事に深く納得。
#麒麟がくる
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サブタイトル「矢のゆくえ」
二重に回収。
#鎌倉殿の13人
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芦田愛菜ちゃん、2011年の大河「江」の千姫からの9年振りの白無垢姿。当時7歳。
前回はひたすら可愛く、今回はひたすら麗しい。
#麒麟がくる
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大政奉還を実際見たわけじゃないけど、徳川慶喜が草彅剛に降りてきてるだろうと思わせるまでの威厳と品格。
#青天を衝け
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この眼ができるから「麒麟がくる」の織田信長は染谷将太なんだと思わずにいられない
#麒麟がくる
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高松凌雲は幕府や徳川慶喜への恩義に従い、榎本武揚らに合流し箱館戦争に医師として参加。
敵兵も共に治療される事に対して反発が生じたが、凌雲はパリ留学で学んだ精神を胸に毅然とした態度でこれを制した。
これは日本最初の赤十字活動といわれている。
#青天を衝け
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この表現のために、朝倉景鏡に手塚とおるが選ばれたに違いないとまで思う
#麒麟がくる
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近衛前久は1564年当時28歳。
藤原北家の流れをくみ、五摂家の筆頭格の家柄である名門近衛家の長男に生まれ、11歳で内大臣、17歳で右大臣、18歳で関白左大臣の位についたスピード出世の超エリート。
書に秀で和歌の才能もあり馬術や鷹狩も得意という、文武両道の出木杉くんのような人。
#麒麟がくる
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富岡製糸場の伝習工女、和田英の『富岡日記』に
「尾高様(惇忠)が時々工場の食堂で食事をする事があったが、ある時に臭いのする御飯が配られたのを見付け、調理の責任者が呼ばれ大騒ぎになり、その後は決して悪くなった物が出る事は無かった」
とある。
やっぱり、あにぃはすげえ
#青天を衝け