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日本の問題点を指摘した場合によく聞く「嫌なら住まなきゃいい」。これは悲しい言葉です。今の多様性の弱い日本では、社会を動かす力を持つ偏った人達が自分たちのいいように社会を動かしています。そして多くの人が「嫌なら変える」これが許されるのはその限られた人だけだと思い込まされています。
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社会は個の集合体で、それぞれ違う個が補い合うことで成り立っているので、個人が社会に合わせて変わる方向がマジョリティになると社会は機能しなくなります。誰もが自分らしくなく幻の「不変の社会」に縛られ、社会を変えようとする動きには圧力。とても苦しい未来に向かっていると感じています。
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日本で啓発本が売れる理由の1つとして「変わらない社会の中でうまくやるべき」という考えがあるのではないかと思います。でも、何か生き辛いと感じた時に、生き易い社会に変えるのではなく、社会にフィットさせて幸せを感じられるように自分を変える、これが当たり前となってしまう社会は危険です。
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人間は一人では生きられないから社会を作って生きる動物なので、個人の幸せは社会から得られます。皆で生きやすい社会を作る、この当たり前であるはずの基本に帰る事が個人の幸せへの最も簡単な道筋だと思います。
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この小倉氏の発言はただただ酷い。このように夫婦になると性含め妻は夫に従う立場になると当前のように考える、こんな100年前のような思想を未だに持つ人が、飲み屋で同世代に話すのではなく、テレビでキャスターとして発言しているという日本の現状は、1秒でも早く変えなければ未来はありません。 twitter.com/mrr_nn/status/…
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コロナで家にいてケア労働が増えた結果、女性研究者の論文投稿が減っています。リモートの仕事が増え、リモートの会話が苦手な吃音障害者に過剰な負担がかかっています。社会が変わる時に大切なのは想像力を持ち差別と向き合う事です。でなければ変化の先にあるのは差別の強化になってしまいます。
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保育園の迎え等の為に時短勤務をやってきたけど子供が小学校に入るタイミングで会社が時短を認めてくれなくなるから辞める事になるのかキャリアを悩んでるという話を聞いていたその女性の夫が、うちは家事育児を平等にやっている幸せな家庭ですという書き込みをしているのを見てとても気分が悪いです。
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研究でも東大には優れた思考力を持つ研究者もいますが、知識に縛られてしまう人もいます。いずれにしても、この思考力が問われる時代に、日本で1番と位置づけられる東大を後者こそ東大生のように扱うメディアの方向性は、知識を詰め込む形の化石のような「勉強」を肯定する危険な風潮だと思います。
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日本のテレビでは「東大」がブームのようで少し見てみたら、「豆知識を並べる=頭いい」のような構成でその古さに愕然としました。知識というのは調べれば誰でも手に入るので、それを元に何を考えるかが大切なのであり、ネットの普及した今の時代は特にこの「思考力」の大切さが増しています。
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自己啓発、自己責任、これらの他者ではなく自分が変わる自分が対応する事に集中するように促す考え方は、まだ民主主義や人権などが確立していない百年以上前に出てきた考え方です。もう時代は進んでいます。私達は、自分が生きやすい社会や環境を堂々と求めていいんです。それはワガママとは違います。
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現在、アメリカと日本それぞれに進む比較的大きなプロジェクトの計画に参加させて頂いていますが、その差に驚き日本の科学の未来が不安になっています。両計画共に若手中心の意欲に溢れた素晴らしい計画なのですが、その差は、シニア世代がそれを応援するか潰してしまっているかに顕著に現れています。
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家事や育児について、今までやってなかったスキルのない自分いきなり始めても云々といつまでもやらないのに、何歳までに転職すべき、幅広いスキルを身に着けるべき、迷ったらまずは始めてみるべき、などと仕事に関しては当り前のように新しい事に前向きな男性を何人も見て来ました。
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これ以外も礼儀に欠いた対応をされる率が明らかに男性の方が高い。これを妻だけに起こる偶然の連続と見る事もできますが、そんな奇跡的な確率を信じるより、女性というだけで仕事で下に見られる事が日常的に起こる、日本社会の現在地はまだそこだと認識する方が未来にとって前向きだと私は思います。
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日本に差別なんてないなんて夢物語はありません。もしないと感じるなら、差別がないのではなく、見ようとしなければ見ないで済ませられる立場にいるだけです。差別をなくすには、まず差別がある事をマジョリティが認識する事が前提でありそこからスタートです。
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妻の日本の仕事関係者とのやり取りを見ていると、対応の丁寧さに明らかに性別による差があります。先日も、妻が仕事を発注した先の会社の男性が、妻が女性だと分かると、丁寧さを欠いたメールを送って来たり、緊急性のない確認の電話をこちらの深夜の時間にかけてきたり、非常に失礼な態度でした。
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タカラトミーの件、表現の自由と擁護する声があるようです。これに限らず表現の自由という言葉を勘違いして使う人は少なくないですが、その勘違いの根本は、この言葉を何か外から与えられた宇宙の法則のように扱う点にあると思います。人間社会の倫理は社会を成り立たせる為に人間が作ったものです。
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表現の自由とは、犯罪が助長されちゃうけどそういう宇宙の決まりだからしょうがない、というものではなく、少なくとも現行の表現の自由は、弱者の表現を守り差別や犯罪を防ぐ目的で導入された考え方です。もし仮に、これが差別や犯罪を加速させるようなものであったら、その倫理は修整が必要です。
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それが分からずこの言葉を使っている場合もそれを分かっていてあえて悪意で使っている場合もあると思いますが、いずれにしても、差別とは何か犯罪をなくすにはどうすべきか、つまり社会をどうしたいか考えるいう社会を作らないと生きられない人間にとって最も大切な部分を軽視すべきではありません。
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女性の一人暮らしは危険。男性用下着を外に干すと安全。女性が暗い夜道を歩くのは危険。女性専用車両。これらが当たり前のように言われる現状で、なぜ差別なんてほとんどないという解釈ができるのでしょう。
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なぜ危険?なぜ安全?なぜ必要?差別に性犯罪が当たり前のように蔓延しているからでしかありえません。それをなぜ軽視?差別に性犯罪を軽視しているからでしかありえません。そんな意識がもしマジョリティなのであればそれは恥ずべき社会だと私は思います。
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日本ではジェンダーにしても人種にしても、マジョリティの立場から被差別側を態度がおかしい云々と批評する事が横行していますが、差別とはマジョリティの意識が変わらなければ原理的になくならないものであり、日本社会は、変わろうとしないマジョリティにもっと目を向けなければいけないと思います。
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妻が仕事で日本に一時帰国する度に国内外の日本人から言われる「えっ、一人で?」「子供は誰が?」「行かせてくれるなんていい旦那さんだね」といった男性である私が同様に出張に行く際には言われない言葉は全て、「家族を置いて一人で出張=悪い事」と言う罪悪感を女性に与える社会からの圧力です。
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しかし、男性が生活し仕事をしていても感じる事がない圧力を女性があらゆる場面で感じているという現実は確実にあります。そしてこの圧力の根源にある「仕事=男、家=女」の古い価値観を作ってきた中心にいる男性がここからの脱却を本気で考えなければ日本社会は永遠に変われないと思います。
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日本で女性がキャリアを築く為にはこういった数々の圧力を乗り越えなければいけないという現実に私たち男性はどれほど気づき、何をしてきているでしょうか。私は正直に、妻と暮らすまでこのような圧力を自分の中で強く問題視できていなかったですし、今でもまだ理解が足りていないと思います。
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また男性にも、男は仕事といった圧力があるという見方もあると思いますが、そもそもこういった男性性の問題は上記の女性性の問題と表裏一体であり、反対の事象ではありません。さらに、社会の主導権が男性にある現状において問題は平等ではありえず、男性が何もしないで解決する問題ではありえません。