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差別のない誰もが生きやすい社会、ここに向かうには、私たち一人一人が自分は関係ないと思わず、最大限の想像力を持って差別と向きう、そんな社会への視野を持たなければいけません。マジョリティ層にその意識が薄い今の日本社会はとても危険だと私は思います。
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私が博士を取った学科の学科長だった著名な男性教授は愛人の存在を公言しており、妻がハラスメントを受けた研究室の教授は愛人の元に公然と通い、私がアメリカに渡る前にいた研究所には教え子の複数の女性にアプローチする既婚の教授が知る限り2人いました。2人ともその後、高い役職に出世しました。
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例えば性差別を考えた時、妻に家事育児を全てさせ自分は愛人を作る、そんな人が学科長だったりする状況で、男女共同参画など実質的にありえず、その学科の中でハラスメントが起こる事も必然です。そしてそんな業界は、女性という半数の可能性を失うばかりか、その古さに絶望する男性研究者も失い、
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今の選挙のシステムでは「誰がやっても同じ」と国民が諦めたら同じ人ばかりが当選し、同じような政治が続いてしまいます。しかし、私たちが諦めず、飼いならされず、しっかり選挙に行き自分たちの声を届ければ、私たちの事を考えた多様性に溢れた政治は実現します。
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新内閣、これまで通り女性は少なく平均年齢は驚く程高い。多様性の欠片もありません。首相含め政治なんて「誰がやっても同じ」、と言われる事が多いですが、実際は、「同じような人しかやってないから同じ」なんです。この違いは大きいと思います。政治に多様性のない国に、多様性は生まれません。
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社会に迷惑をかけたり波風を立ててはいけない。ここへの強すぎる意識と誤解が日本社会を様々な重要な変化から遠ざけていると感じています。例えば、社会的な弱者が差別などを訴える場合に、そんな強い言い方またやり方では社会には受け入れられないとその訴え方をマジョリティ側が指南したりします。
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女性閣僚たった10%。研究業界でも学科長や学長などの役職の女性比率はとても低いですし、会社役員等も同様だと思います。この差が就職から家事育児も含め機会が平等に与えられた中で対等な評価を受けている状態での差ではない事は明らかです。こんな差別的な社会はいい加減もう変えていきましょう。
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私の住むオーストリアを含め海外では閣僚の性別も年齢も日本とは比べものにならない程多様性に富んできています。これは多様な意見を政治に取り込む為のごく自然な方向性だと思います。日本ではこの流れに反し続けておきながら多様性と口には出します。しかし事実としては、多様性の受容は進みません。
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そして国籍関係なくその国に「住む」人を守るのが国が行うべき事です。こんな当たり前の部分に疑問を持ってしまう状況を作ってしまっているのは、国際社会や人権などに対する教育が不足している影響ではないかと感じています。誤解が広がらない事を願います。
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日本に住む外国人に日本人同様の福祉を受けさせるのは間違い。こんな信じがたい考えを持っている人が少なくないようです。例えば私はオーストリアに住み納税しており、選挙権を除けば、オーストリア人と同様の福祉に医療を受けコロナ禍における様々な補償も受けています。「住む」とはそういう事です。
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日本に性差別なんて全然ないという男性からの声をよく聞きます。でも、例えば育休を取る女性や飲み会でサラダを取り分ける女性が男性より多く、政治家や上司また結婚しても苗字を変えない男性が女性より多い。そんな日常を当り前と感じながら差別がないと思うなら、それは差別に興味がないだけです。
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でもそれは同時に「男なら〇〇」という男性性に自身を縛り付ける思考でもあり、男性自身の自由をも奪います。結局、差別のある社会で安心して自分らしく生きていける人なんていません。差別がない、そんな狭い部屋の安心にすがるより、皆が生きやすい真の安心がある社会を目指すべきだと私は思います。
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日本のようなそこにある差別が当り前という空気の中で男性として生活していると、もしそこに女性への視野や想像力を持たないのなら、子供が生まれる=キャリアの危機、人が密集している=痴漢の恐怖、苗字を変える苦労といった様々な苦労を自分の事として直接感じなくても生きていける事がありえます。
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つまり、差別に興味がなければ、差別が解消されなくとも問題を感じずに生きている立場にある訳です。その立場から、差別への興味がないという自分の気持ちを、差別がないという解釈にすり替える事は、興味を持つと見えてしまう苦しみをあえて見ないというとても幼稚かつ卑怯なやり方だと思います。
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分からない事があります。私は日本人ですが、海外から日本の問題点を指摘すると、日本をディスって快感を覚えていると言われる事があり戸惑います。どこに快感を覚える要素があるのでしょうか。
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ネイマール選手の日本人選手への差別疑義が出てますが、欧州にいると、アジア系の人に対して中国人と括って茶化したりする差別をよく受けます。このような人種差別には断固として抗議しなければいけません。しかし、こちらでは抗議どころか、中国人に間違えられたと怒る日本人に頻繁に出会います。
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真面目に生きると損。このダサい言葉が私は嫌いです。真面目に生きる人がいるからこそ社会は成り立っており、真面目にやるなんて損と言っているふざけた人も、現実としては真面目に生きている多くの人に支えられ生きています。皆が互いを尊重して真面目に生きる社会、私はくそかっこいいと思います。
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好きではない表現に昔よく、子供に見せられない番組、というのがありましたが今はどうでしょう。私の個人的な感覚ですが、今の日本の番組は、例えば未だに母親ばかりがご飯を作っていたり、偏りがある表現を子供にいちいち説明しないといけない為に私が疲れるので見せたくないという番組が多いです。
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日本の自殺率はG7で1番高く、事故死よりも多く、若者の死亡率では1番高いという本当に悲しい状態にあります。ここに統計上のトリックなどありませんし、断じて社会が目をそらしていい現実ではありません。生きたいと思える社会を求める権利を私たち全員が持っているという基本を忘れてはいけません。
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例えば私も吃音障害で苦しむ中で、社会は空気としても制度としても助けてくれず、「普通」はこうあるべきという同調圧力に「普通」から外れてるとされる人への不寛容さ、また辛い状況でも自己責任論で片付けられる冷たさをたくさん感じてきました。でも確実に言えます。これらを感じさせる社会が悪い。
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皆が互いを尊重し、存在しない幻の「普通」などに惑わされず多様性に溢れる誰もが生きやすい社会。人を大切にする政治。これらは当たり前に求めていいものです。躊躇う理由など何もありません。大切な自分の為に大切な人の為に、生きやすい社会に変えていきましょう。
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今の政治における少子化対策という言葉に私は無意味さを感じています。今生きている人が生きやすくない社会で、今生きている人の命に人生また人権を大切にしない政治で、これから生まれてくる命を「対策」として論じるのは根本がおかしい。まずは未来に希望を感じられる政治、全てはそこからです。
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多様性に鈍感である事の幸せ、これはあります。でも脆い。そしてこの脆さの軽視は危険です。例えば、職場では非正規に女性が多く女性ばかりが育休を取るのを見て家では妻に世話をしてもらう。そんな日常に疑問を感じず仕事にも家族にも恵まれ幸せだと感じて生きる。でもその価値観の中だけで生きると、
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女性の苦しみを放置するだけでなく、いざ自分が仕事で苦しむ状況になっても、男なんだから頑張らないといけない、仕事を辞めるのは負けで恥ずかしい、そんな視野で自分を苦しめ、助けを求める事も、助けがある事も見えなかったり、人生にある多様な可能性に気付けない危険があります。
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「プロフェッショナルな仕事」におけるパートナーが行う「内助の功」の社会的な美化は性差別のある現在ではとても危険だと思います。まず、プロとして仕事をする過程で、食事など自分が生きる上で必要な事に労力を割けないのであれば、それは自己管理という面からプロとは呼べないと思います。