(@yu_nkb0319)さんの人気ツイート(リツイート順)

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二つの瞳。 2連化され再び蘇ったスナックカーと、もう二度と光を宿すことのない鮮魚。
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毎年、6月から9月末までの期間中は運用が固定化されていた3000系SC01 昼間は車庫止で朝晩のみの運用。それを毎日ひたすらにループ。 制御器の発熱の関係で夏場の昼間には運用できないという話を風の噂で聞いたことはありましたが、正確な理由はわからないまま。
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上本町地上ホームへの12200系の乗り入れが消滅。 始まりと終わりの駅。数多の思い出を乗せて上六に発着した伝統色の特急列車。往時を偲ばせる光景は過去のものに。
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中間車のみでも走れるし、入換車や教材車の代わりさえやる。なんでもこなす13000系は底無しの魅力。
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近鉄12200系NS47 廃車搬出 1月末に役目を終えたNS47が廃車解体のため帰らぬ旅へ。 屋根上機器が一掃され、陸送場面でこの編成の特徴は完全に失われてしまいましたが、それでもお世話になった車両に変わりは無いので最後までしっかりとお見送り。 行先表示器を失った表情が切ない…
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サイレントラストランの賛否はともかく、どれだけ地味でも本来の役割を立派に全うした散り方は、人々の生活の一部分を担う鉄道車両に相応しい幕引きに感じます。
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日常。 思い描く鉄道情景は人それぞれ。 自然風景も良い、でも一番は街中の雰囲気。人が動かし、人々を運ぶ鉄道。鉄道は人の営みに沿って敷かれている。だからこそフォーカスを当てたい。 少しずつ過去のものになっていく日常風景。 また一つ、大阪の街中から馴染みの色が消える。
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2000系時代から数えて60年、たくさんの人に親しまれた2601が本日5551と共に寝屋川車庫から旅立ちました。 運命を共にすることになった2601と5551。搬送後に切断する部分の窓枠は京阪側で丁寧に取り外して養生。 休車からの再起は叶いませんでしたが、くずはモールで再会できる日が楽しみです。
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鉄路で搬送された車両達。 イゴマル=茶色という世代なので、無動力ながらも青色で東海道を走る姿を拝めたことに感動しました。手振れ補正なしのレンズで大博打の流し撮りでお見送り。
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老体。 朽ち果てるまで伝統を保つという鋼の意志。
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嗚呼、ステンレスカー。 高安へ廃回されて今日で10年…
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近鉄電車の断面。
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12200系 特急車として造られた車両の定期運行終了は、役目を終えたことを意味する。 技術が向上するにつれ古い車両は陳腐化していくもの。でもいくら廃れようとも半世紀走り続けた経歴は立派。 時代が求めた姿を纏いし鉄道車両。明日、また一つ昭和の面影が消える。 さらば近鉄特急スナックカー。
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吉野駅の無人化が今年一番の衝撃。特急の終着駅が無人駅化されたのは初…? 駅員の常駐は壺阪山、吉野口、下市口、六田の4駅だけでしょうか。最近は沿線のお祭りも無く活気が失われていく一方。
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車両も色もすっかり特別扱いされる存在に。いつも身近にあったものが遠く感じる。 昭和に先代達が残した意匠を令和まで繋いだ12200系特急車。近鉄特急の伝統と共に本日ラストラン。 -12200系ラストランまであと0日- #ありがとう12200系
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新たなゲート 阪神なんば線桜川駅のデザインテーマは「新たなゲート」 薄汚い難波駅の引き上げ線で折返していた近鉄車たちも、なんば線の開業に合わせて近未来的な駅へとやってくるようになった。テーマに相応しい様相。 スナックカーやあおぞらなどの古臭い電車とのギャップが楽しい空間。
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先日見かけた13031の入換。 陸送場面では気がつきませんでしたが、13000系では初めてのシングルアームですね。 3000系と同じく近代的な顔つきをしているので、こちらの方が似合っているように感じます。
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撮るのもいいけど、もっと乗っておけばよかった。
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パクられたくない撮影地やら写真は被写体が消えるまで開示しないというのが大前提。 ただキッズもキッズでTwitterに上がってきたもんそのまま真似するんじゃなくて、ロケハンやら新しい撮影地の開拓やら、先人達がしてきた「やり方」を真似したらいいのにね。
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伊勢方の前面ガラス損傷のため上本町からVW22を連結して回送された電気検測車はかるくん。 狭軌線検測以外ではかるくんが一般車と組成されることはほぼ無く、それもホーム上で連結作業が展開されました。 一般車と連結して本線を走ったのは2011年のVC40+MF24以来11年ぶりですね。
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鳩隠しの個性。
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淘汰。新時代へ。
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新造車はステンレスカー再来に期待していましたが、現代版SCは叶わずか。
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10年前の10月28日。 孤高の通勤車3000系。不具合が頻発していた2011年、雲一つない快晴の橿原線で最後の優等運用。 この直後にまた再発、試運転を繰り返したものの再起は叶わず翌年廃車。 2011年10月28日 3761レ~3760レ
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送られる60歳と、送り出す74歳。 形はどうあれこれからも京阪の一員として姿を残す両者。2601の門出を祝してしっかりと送り出した旧72。