肉体的に疲れてる時には味噌汁ひとつ作るのも嫌になるんだけど、メンタルがやられてる時には料理に救われる。作業工程をこなすことに集中できるので余計なことを考えずにすむし、手のこんだ美味しい料理が食べられるので一石二鳥。風呂掃除も同じ。カビキラー噴射してひたすら擦ってるとゾーンに入る。
夫は「起きてもいないことであれこれ悩むのは時間の無駄。そんなことより今やるべきことを粛々と消化すべき。暇だから余計なことを考えるんだよ」とバッサリ斬ってくるタイプなので、いまだ生きながらえてる感がある。
「ネガティブ思考の人へ。心配事の9割は実際には起こらない。だから大丈夫!」みたいな話が流れてきたんだけど、「もし残りの1割に当てはまったらどうしよう」と考えて死にたくなるのが真のネガティブ人間なので、まったく響かない。
先月からずっとメンタルの調子が悪いんだけど、終日、家に誰かしら人間がいるせいだと気付いた。「ひとりの時間」がないと死ぬ人間にとって、夫の在宅勤務と子供の夏休みのコンボは地獄。
醜い姿に変えることを「罰」とするのって、ナチュラルボーンブサイクからすれば「え?俺って生きてるだけで罰ゲームなん?」ってなるし、そんな描き方をしておいて「人間は見た目ではない。心である」って言われましても、っていう。
「野獣がイケメンに変わったからベルと結ばれた」と解釈してるのではなく、イケメン王子に戻す(イケメン王子と結ばれる)があたかも「ご褒美」のように描かれている点がモヤモヤポイントなんですが、これは単に私の歪んだコンプレックスの表れなので、本作品が好きな人を否定するものでは全くないです
「ハッピーな人生を送るために、自分を好きになろう」と言われて必死に努力したこともあったけど、「別に無理に己を肯定する必要なくね?」と気づいてからはだいぶ楽になった。コンプレックスまみれの自分から目を逸らして誤魔化し続ける方が遥かにしんどい。
「小泉環境相 靖国神社を参拝」のニュースに「『アーメン』って言ってそう」ってコメントがついてて笑ってしまった。
「昔は面白くて感じのいい人だったのに、どうしてこうなった」と残念に思うことがあるんだけど、往々にして自分の方が変わってしまっているパターンが多い。価値観なんてものは己の立場や環境であっという間に変わるものなんだなと、このコロナ禍においては特に実感する。
「ごんぎつね」はバッドエンドの代表みたいに言われることもあるけど、同じ「献身」をテーマにした作品でも、完全なる善人が犠牲になるという意味で、「ごんぎつね」よりも「泣いた赤鬼」の方が救いがない。大人になってから読み返すといろいろ刺さり過ぎて精神的ダメージがハンパない。
「美女と野獣」についても「人間は見た目ではない。心である」と訴えてるにも関わらず、最終的に野獣がイケメン王子になって”ハッピーエンド”なのは矛盾してるだろと思ってしまって全然入り込めない。おとぎ話は冷静になったら負けなんだと思う。
「みにくいアヒルの子」は本当は美しい白鳥だったから幸せになれたわけで、正真正銘の「みにくいアヒルの子」には全く救いのない話なのがスゴい。どんな努力も報われなかったのに、白鳥になった途端、周囲が掌返しするあたり「人は見た目が10割」の教訓しか得られないし、なぜこれが美談扱いされるのか
0才からずっと保育園に子供を預けていた友人。長いこと後ろめたさがあったので、小学生になった娘に「ずっと保育園で寂しくなかった?」と尋ねたら「え?全然。友達と遊べたしオヤツも出たしすごく楽しかったけど?」と返されたって話。親の思い込みは時として思い込みでしかないとわかる好例。
ジェンダーバイアスをなくそう!つってるのに、桃子を筆頭に女性キャラがピンク、男性キャラが青の服を着てる時点で吹いてしまう。
子供たちのジェンダーバイアスをなくすために、主人公を女性にして鬼と話し合いで平和的に和解する「桃太郎」。ツッコミどころしかなくて笑ったんだけど、そこまでやるなら、きび団子ひとつで命懸けの仕事をさせられるイヌ、サル、キジの労働搾取についても問題視してほしい www3.nhk.or.jp/news/html/2021…
YouTubeで過激発言で耳目を集めてる人、やってることは冷蔵庫に入るコンビニバイトやおでんツンツンマンと同じなんだけど、社会に実害を与えかねないという点で笑って流せない。
SNSのフォロー/ブロック機能をはじめ、今は見たいものだけを選んで見られる世の中だから、単なるトンチキなデマも「”みんな”がそう言ってる。だからこれが真実」と思い込んでしまうんだろうし、洗脳された一部の行動力のあるバカが動き始めたらマジでヤバい世の中になると思う。
「テレビは規制ばかりでつまらない」と言われることもあるけど、メンタリストの人の件然り、無法地帯化したYouTubeを目にするにつけ「メディアの検閲機能はめちゃくちゃ重要」を実感する。
洗剤を自動投入してくれる洗濯機を買った当初は「めちゃくちゃ便利!」と感動してたんだけど、最近は「そこまでできるなら洗濯物を干して取り込んで畳んでタンスにしまうとこまでやってほしい。晩御飯の下ごしらえもついでにお願いしたい」と思うようになったので人間の欲はとどまるところを知らない。
「インスタになれなくたっていいじゃない。ありのままのキミが好きだよ」ってツイッターをきつく抱きしめてあげたい。
フォローボタンにおける「フォロー中/フォロー」の配色を逆転させたのはインスタの真似って話が流れてきたけど、ストーリーを真似て数ヶ月で爆死したフリートの例をもってしてもインスタ憧れ芸人がやめられないツイッター君の執念がスゴい。
またツイッターが謎な仕様変更をして各地で怒られが発生してるけど、ユーザーが嫌がるような仕様変更ばかり繰り返してるあたり、罵倒されて興奮する特殊性癖の持ち主がツイッター上層部にいると考えるのが妥当。
「カフェで隣にめっちゃタイプの人が座ったので声をかけてみました。逆ナンです。声をかけるのは男からなんて昭和よね。いつまでも待ちの女は売れ残る」ってツイートが流れてきたんだけど、「逆ナン」「売れ残る」が出てしまうあたり、まだまだ昭和と言わざるを得ない。
好きな言葉は「あく抜き不要」と「自然解凍OK」です。
ウチは母子家庭で母はフルタイムで働いてたんだけど、夕飯にやたら刺身の盛り合わせが出るので「私の大好物を選んでくれてるんだな。母なりの愛情表現なんだろうな」と思っていた。自分が働く主婦になって、あれは単に調理しなくていいものをチョイスしてただけだったんだなと気づいた。