プロ奢ラレヤー🍣(@taichinakaj)さんの人気ツイート(古い順)

こないだ奢りにきたアスペ・ママが「子供が悪い事をしたので、その罰に『息子のゲームのデータを削除』したら、発狂されてしまった、たかがデータに、なぜ?」と言っていたので、「お母さんが悪い事をして、その罰に息子さんの記憶がぜんぶ消えたらどうしますか?」と聞いたら「発狂します」と言ってた
じつはすごく安定志向な人間だったんだけど、高校を卒業してフラフラしてるときに化学にハマって、「化学的に最も安定的な状態は死である」ということを理解した時から、なんだ、死んだらクソ安定するんじゃん、それなら生きてる間くらい不安定でもいいよな、と思って、大体いまこんな感じで生きている
こないだ読んだ「奴隷マネジメント」の本に書いてあった『奴隷に家族をもたせることは(マネジメントの)安定に通ずる』『家族はいわば人質のようなもの』『子供が生まれれば親が逃亡する心配はなくなる』『奴隷の憂さ晴らしには祭りが最高』『賢すぎる奴隷は扱いづらいので買うな』を徹底した会社だ!
こないだ奢りにきた元うつ(?)マンが「19歳まで、ずっとダルくて寝たきりで、鬱だと思われてた」「コメ農家の娘だったので、ごはん食べて寝るだけの生活」「実家を出たら元気になった」「ただのコメ・アレルギーだった」と言っており、人生かけてそんな落語みたいなオチをつくらんくても....となった
4000人に奢られた上での偏見だけど、強い『劣等感』を原動力に、なにか大きな目標を達成していくタイプのひとは、たとえ、どんなに大きな目標を達成できたとしても、最後は、旅の中で自身のうちに育ち切った『劣等感』そのものと戦うことになるので、劣等感で人生をやってる人は、わりとちゃんと詰む。
4000人に奢られた上での偏見だけど、ひとは「急に自殺する」のではなく、徐々に自殺する。すでに精神の自殺を終え、あとは死んだ精神を肉体で追うだけの人が沢山いる。そういう人が衝動に駆られダイブする。他人からは急に死んだ様に見えるが、実際は隣でずっと死んでた。あなたが気づかなかっただけ。
4000人に奢られた上での偏見だけど、ほとんどのメンヘラの原因は『メンタルが弱すぎる』ではなく、『夜が強すぎる』です。だから、『メンヘラを治そう』ではなく、『夜を殺せ』と考えた方がうまくいく。夜を殺すために昼を生かすだけでいい。特別なことはいらない。夜に体力を残さない。ぜんぶ夜が悪い
4000人に奢られた上での偏見だけど、たのしい人生を手に入れてる人は、じつは「たのしい、と一般的に言われていることを無制限にやれる人」ではなく、「たのしい、と感じる視点の数が異常に多い人」なので、たのしい人生を送りたいなら、予算を増やすより、たのしむ力を獲得する方針の方が効果的ですヨ
だれか弱ってる人を見て「救いたい!」と思うのは、たいてい弱ってる人だよ。そして「自分が救われるために、だれかを救おうとする」と、たいてい逆効果になり、どちらも「よけいに衰弱する」というのが定番のオチなので、救う前に救われた方がいいよ。まあ、4000人に奢られた人の、ただの偏見ですが。
「攻撃的な人」になるメリットは、「メンタル負荷を他人に分散することで、うまく軽減できること」なんだけど、その負荷は消える訳ではなく、利子を膨張させながら、他人の中で育っていく。攻撃的になれば、今月のメンタルはどうにかなるが、それは「感情のリボ払い」なので、後でじっくり請求されるヨ
こないだ奢りにきた鬱ウーマンが「キツい時、どんな相手の言葉も私を責めるように感じる」「でも療養して、私が私に優しくしたら皆も優しくなった」「じつは私を責めたのは私で、振り返れば皆ずっと優しかった」と言っていて、ひとの優しさを力に換える力すらないと、ひとは卑屈になるんやなぁ、などと
「自己肯定感が低いんです」と言う人は、じつは自己肯定感が低いのではなく、自己肯定への「理解度」が低い。自己肯定とは「わたしはすごい!」ではなく、「わたしはこんな感じだが?なにか?」と思える状態だからね。必要以上に、実態以上に自分を持ち上げないといけないのは、むしろ究極の自己否定。
4000人に奢られた上での偏見だけど、「死にたい」と思っている人には、「生きてれば良い事ある」なんて言っても意味がない。彼らに足りないのは、もっと具体的な「通過点としての今日一日」だ。来週いっしょにご飯を食べよう。来月いっしょに山を登ろう。彼らに必要なのは、そんな「具体的な約束」だよ
「ひとりじゃないよ」と言うのはカンタンだ。でも「具体的な約束」は大変なことだ。具体的な約束がなければ、そんな慰めの言葉も「あなたはひとりじゃない、けど、わたしはあなたといられない」という意味にしかならなくなってしまう。なくしたくなければ、約束しよう。自分に無理なく、できる範囲で。
「わたしをもっとチヤホヤしてください」という個人的な要求を、「多様性のある社会に!」と肥大させて語るひとがいる
こないだ公式ラインに、小学生が「どうしても相談したいことがある。電話してもいいですか?」ときたので、「ええよ」と返して、30分くらい駄弁ったんだけど、じつに考えのしっかりした子で、「大人が、いつも『子供だから』というだけで、まったく対等に話を聞いてくれない」と、話していたんだよね
女性の人生の難しさ、社会での待遇云々よりも、「若い女」の一般受容性が高すぎて、実質「通貨」になっており、あらゆる経済、精神、あるいはコミュニケーション的な問題解決を「若い女pay」に依存してしまい、老いると突如文明が消滅しサバンナでサバイバル生活が始まってしまう点にある気がしている
おれは中一のときに「あっ、日本はまだ貴族社会だったんだ」と理解したんだけど、そのキッカケは「銀行2社から親名義で将来、じぶんが返す金を借りさせ、中高一貫の私立中に進学したから」なんよ。私立中に行くと、大学受験や、その先のキャリアがいかに「努力ゲーっぽく見せられた茶番」で、あるか→
RT×10円 ウクライナに寄付します おれのアンチが世界を救う 3/2 くらい締切
ひとに好かれない人って、すぐに「魅力的な人」を目指しがちだけど、まずは「じぶんの機嫌をじぶんで取れる人」になった方がいいよ。ただ「日常的にじぶんの機嫌を他人に取らせる人」をやめるだけで、ある程度のひとはあなたの近くに居続けるようになるし、時間を共に過ごすことで好意は生まれてくる。
こないだ奢りにきた婚活プロが「パートナーを探すコツは『苦手が似てる人』を探すこと」「好きなものには拘りがあり、むしろ揉める原因になる」「苦手は生き方に反映する。コーヒーが好きな人の生き方は多様だが、人混みが苦手な人の生き方は近い」と言っており、それ、ヒトラーも言ってた!となった。
こないだ奢りにきた毒親そだち子育てマザーが「わたしにとって、親に愛されることは最もむずかしいことだった」「子を愛せるか、不安だった」「でも、違った」「まず愛されるのは親の方で、親は、ただそれを子に返すだけだった」と言っており、親に貸した愛が踏み倒されて憎悪に化けるんだな〜、などと
思ってたんと違った
こないだ奢りにきた高偏差値JKが「好きなものが、ない訳じゃない」「だけど、ホントに『好き』と言っていいのか、不安になる」「だって、私より好きな人が沢山いるじゃないですか」と言ってたので、「へぇ。『好き』にも偏差値があるんだ」「じゃあ、どうなれば『好き』と言っていい?」と聞いたら→
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不快な広告のはなし、「すごく納豆が嫌いなひとでも、回転寿司で納豆が流れてきたときに『嫌いなんです!流さないでください!』なんて言わない」という共通認識がくずれて、せかいのすべてが私の私物!わたしの為のせかい!わたしが不快なものはすべて犯罪!みたいに自我が膨張した妖怪のはなしっぽい