プロ奢ラレヤー🍣(@taichinakaj)さんの人気ツイート(古い順)

「コイツとは合わないなあ」と感じたら、それは「コイツとは合わないなあ」以上でも以下でもなくただそれだけなので、必要以上に「コイツに痛い目みせてやろう」とか「コイツの足を引っ張ってやろう」とか「コイツを不幸にしてやろう」と考えずスッと距離を取ることが人生ラクに生きていくコツですね。
「好きなものが沢山ある人」はだいたい賢くて、なぜか話がおもしろい。好きなものが沢山あるのは、つまり「物事から良点を見つける能力」が高いということ。だから、当人も「良いもの」に影響されて賢くなるし、いつも視野をひろく保つから「おもしろい話のネタ」を拾いやすくもなる。受信電波が強い。
「怒らない」が出来るだけで偏差値70なんだよな。ほとんどの人間は、つい怒る。怒らないでいるだけで、すべての結果に「マイナスをつくらない」でいられる。つまり、いつも怒っている人にくらべて、トータルでプラスになっている。「怒らない」を徹底するだけで解決することはかなりある。冷静さの差。
これは最近わかったことなんだけど、この世界には「お酒で酔わないと楽しく喋れない人類」というものが存在していて、彼らにとって人生というのは「お酒で酔わないと楽しくないもの」だから、「ふだんからお酒を呑まない人類」が目の前にあらわれると世界観がバグり、世界を救うために攻撃をしてくる。
「イライラしやすい人」に足りないのは精神力なんだけど、そもそも精神力の70%は「適度な睡眠、運動、娯楽」が占めているので、それを改善するために注力すべきは「メンタル強化」でなく、「メンテの強化」のほうだと思う。メンタルの強さは素質なので、諦めてメンテナンスをしっかりやる方がおトク。
よく「行動力すごいですね」と言う人が持っていないのは、「行動力」ではなく、「そこにある問題を発見し、言語化し、解決する方法を考え、しらべ、ひとに伝えて、ヒントをもらい、そこで得た暫定的な答えを"じぶんでも実行が可能なレベル"にまで簡易化して、雑に始める力」なんだけど、理解されない。
「つづける」のコツなんだけど、じつはあれ「忍耐でどうにかする」というアプローチでは全然ダメで、むしろ「楽しくやれる工夫を施す」とか、「ついやってしまうような仕組みを作る」とか、「飽きない工夫をする」とか、そういう「そもそも忍耐を必要とするフェーズに持ち込まない工夫」が大事っぽい。
こないだ元50人規模系アイドルが奢りにきたんだが、あのビジネスの「廃棄」のやり方めちゃエグいな。大した給料ないから貯金もないし、なのにムダに知名度はあるから有名税はごっそり取られるし、人によっては義務教育を破棄して活動してるから「社会性」がインストールされてない。社会復帰も難しい。
「常識を疑え」みたいに言う人が多い気がするけど、「常識を疑い続けると、やがて逮捕され、クソめんどくさい怒鳴りオジサンになって、老後は餃子屋で駄々こねまくって閉店に追いやる」ということが分かったので、たぶん常識は疑わない方がいいです。常識がおかしいと思ったとき、大体お前がおかしい。
議会で寝てる議員のキャッチフレーズ草
じぶんは「他人による誹謗を気にしない」というよりも、「他人に誹謗しなければならない精神状態に陥った人間の言動は、そもそも精度に乏しく、どんな提言であれ多くが参考するに値しない」という、わりとクリティカルな判断を下しているだけなことが分かってきた。酔ったオッサンの話し聞き流し理論。
日本には「ふつうの人であれ」という裏テーマがあり、そして日本における「ふつうの人」とは、だいたい「偏差値65くらい」を指すので、そこで「ふつうの人でいるの、難しくね...??」となった偏差値65以下の人たちが、「わたしもADHDかも...??」と言いたくなるのは、いたって自然なことだと思いまーす。
いま歴史上で最も意味不明な「あちらのお客様からです」が行われていますね。
給付金10万円配らない宣言が面白い。あれがクッソ批判されているところを見ると、やはり「ひとは、いちども手を差し伸べてくれなかった人よりも、最後まで手を差し伸べてくれていた人を恨む」のだな。救済というのは、「やらない」か、「最後までやる」の2択しかない。中途半端にやるのが一番損する。
挑戦者が笑われる世界が終わった
「じぶんが健康的な人生を送っているか」を測る指標として、多くのひとは「年収がいくらか」とか、「恋人がいるか」とか、「貯金がいくらか」とか、「休みがどれだけあるか」とか、そのあたりを利用している印象がありますが、ぼくのオススメは「なんもない日にどれだけ早くベッドを出られるか」です。
そりゃあ女性の生理も大変そうだけど、男性の「人格を『おちんちんに乗っ取られる時間』が、予告なしで高頻度で訪れる」という仕様も、中々に大変なことだと思うな。ぼくは比較的軽いほうだから良かったけど。意志の大きさとかではなく、生理と同じように『おちんちん乗っ取りパワー』にも重さがある。
こないだ奢りにきたSNS釣りアカ職人が、「一番ウソを広めてくれるのは『ウソをばら撒く人』ではなく、『ウソを許せない正義感の強い人』なんですよ。だから、僕らは『正義感の強い人』がつい言及したくなるツイートをしてる」と言っていて、「ミツバチに花粉を運ばせる植物と、ミツバチの話」だった。
「結果が出ないと意味がない」と思うことはやらない方がよい。なぜなら、「結果が出ずとも楽しいから最高」という人間はどの領域にも存在しており、彼らは「結果が出ないと意味がない層」よりも、ずっと優れた過程を踏むので、同時に優れた結果も掻っ攫っていくから。「過程が楽しい人」に負けはない。
「精神がダメになっている人を救いたい」と思ったときは、その人自身の精神がダメになっている可能性がとても高い。健康な人は、しらないうちに他人を救っている事はあっても、「救いたい」とはならない。他人を救おうとするのは、自分が救われていないからで、自分を救えていない人に他人は救えない。
アンパンマンは「無限の在庫」があるからこそ、無限に自分の頭をもぎ取り、飢えた子供に手渡せるわけで。十分に在庫のない人が「自己犠牲」を持ってして、誰かを「救おう」なんて事を考えても、それはシンプルに無謀。余ったものを贈与するのが筋で、余ってないものを贈与しても、呪いあって死ぬだけ。
「わかり合おう」ではなく「わかり合えなくても別にいいよね」が大事
こないだ奢りにきた『結婚相談所』勤務マンに「結局、どういう条件の人が結婚に有利なの?」と聞いてみたら、「男は職業と年収」「女は年齢と顔」と即答されて、大量のデータを読ませた結果、「人類を滅亡させた方がいい」という残酷で正しすぎるアンサーを出したAIみたいになってて、とても良かった。
鬱は「治らない」と考えた方がいい。他人から「治ったように見える人」というのも、本人からすれば「鬱の状態で生きるのが上手くなっただけ」だったりする。僕もそう。壊れた精神は戻らないから、治そう!と考えるより、実生活(鬱の原因)の改善と、「鬱の立ち回り」の習得にリソース割く方が建設的。
「SNSではヤバい人なのに、会ってみたら意外と社会性を感じさせる人」が一番ヤバい人なので、皆さん気をつけましょう。