プロ奢ラレヤー🍣(@taichinakaj)さんの人気ツイート(いいね順)

こないだ奢りにきた鬱で自殺から復活女が「全ての悪は『夜』にある」「私を殺すのは鬱でも私でも社会でもなく『夜に考える』という習慣」「そう気付いてから『夜に考える体力を残さない事』だけ考える様になり『自責』を辞められた」と言っていて、人が立ち直るには『敵の設定』が大切なんだな、などと
こないだ読んだ「奴隷マネジメント」の本に書いてあった『奴隷に家族をもたせることは(マネジメントの)安定に通ずる』『家族はいわば人質のようなもの』『子供が生まれれば親が逃亡する心配はなくなる』『奴隷の憂さ晴らしには祭りが最高』『賢すぎる奴隷は扱いづらいので買うな』を徹底した会社だ!
お前が不幸なのは、お金がないからでも親が意地悪だからでも友達がいないからでも学歴がないからでもスキルがないからでもなく、毎日ご飯が食べられること冬は暖かい部屋で夏は涼しい部屋で過ごせることタダで膨大な情報に触れられること今日も死んでないことについて「幸福だ」と感じる知性がないから
女の生きづらさは、「若い女」の価値が高すぎるせいで、それが実質「通貨」になっていることからも生じてるんだよな。つまり、『若い女Pay』である。 あらゆるコストの支払いを『若い女Pay』に依存してしまう。これは、ちょうどクレジットカードのようなもので、使用者には"使っている自覚がない"。… twitter.com/i/web/status/1…
おれは中一のときに「あっ、日本はまだ貴族社会だったんだ」と理解したんだけど、そのキッカケは「銀行2社から親名義で将来、じぶんが返す金を借りさせ、中高一貫の私立中に進学したから」なんよ。私立中に行くと、大学受験や、その先のキャリアがいかに「努力ゲーっぽく見せられた茶番」で、あるか→
「年齢のわりに能力が高い」ような人は、だいたいは人生における「しんどい系イベント」が前半に偏っていただけの可能性がかなり高いので、見かけたら変に過大評価したり、過剰な期待をよせたりすることなく、ただやさしく接してあげるといいです。なにかの才能があるとかではなく、配分の問題なので。
4000人に奢られた浮浪者の偏見だけど、「誰にも必要とされてない」という苦しみは、「誰かに必要とされること」では、解決されない。それは、ただ「麻酔が効いてる」だけ。解決には、「必要とされる」のでなく、「誰かに必要とされなければいけない」という呪いと、じぶんを分離させる事が大切になる。
これも4000人に奢られた浮浪者の偏見なんだけど、皆が言う「お金が欲しい」の8割は「浪費がしたい」の言い換えだし、「浪費がしたい」のは、「労働によるストレス」と、「過労働の影響で、余暇が少なく、爆発的なストレス解消法しか選択肢にない事」を原因とするものなので、すべては労働が悪いです。
「コイツとは合わないなあ」と感じたら、それは「コイツとは合わないなあ」以上でも以下でもなくただそれだけなので、必要以上に「コイツに痛い目みせてやろう」とか「コイツの足を引っ張ってやろう」とか「コイツを不幸にしてやろう」と考えずスッと距離を取ることが人生ラクに生きていくコツですね。
「ひとりじゃないよ」と言うのはカンタンだ。でも「具体的な約束」は大変なことだ。具体的な約束がなければ、そんな慰めの言葉も「あなたはひとりじゃない、けど、わたしはあなたといられない」という意味にしかならなくなってしまう。なくしたくなければ、約束しよう。自分に無理なく、できる範囲で。
インターネットで「反対意見」が来たときに大切なことは、「そもそも理解していない人」は完全にシカトすることですね。理解したうえでの「批判」はきちんと見ておく価値があるし、場合によっては反論などすべきかもしれないけれど、なにせ「理解していない人」の「理解する気のない人」比率は高すぎる
※せかいはおまえのために存在しません
この世界には「役に立つか、立たないか」を、なぜか「お金になるか、ならないか」で考えている人間が存在していて、彼らはよく「学校の勉強なんて役に立たない」などと言うんだけど、個人的には「学校の勉強すら役に立たせる能力がないのに、なんでお金は役に立たせられると思ってんだろ」と感じます。
ツイッターで『不快な作品』にすごく怒ってるひとの気持ちは、「この作品は不快だ」という感想と、「私はみんなと同じだ」という願望と、「私が不快なのだから、みんなも不快に違いない」という誤謬と、「みんなが不快なものは、私が根絶やしにしなければならない」という正義、で構成されているよね。
「攻撃的な人」になるメリットは、「メンタル負荷を他人に分散することで、うまく軽減できること」なんだけど、その負荷は消える訳ではなく、利子を膨張させながら、他人の中で育っていく。攻撃的になれば、今月のメンタルはどうにかなるが、それは「感情のリボ払い」なので、後でじっくり請求されるヨ
「わかり合おう」ではなく「わかり合えなくても別にいいよね」が大事
こないだ奢りにきた元・偏差値70の現ニートが「昔から何もできない自分が大嫌いで、だから勉強した」「でも、いくら頑張っても上には上がいて、むしろ頑張れば頑張るだけ、上が見えてしまって、心が折れた」と言っており、何もできない自分を許せるようにならないことには救済はないんやなぁ、などと
こないだ奢りにきた有名AV女優が「最近のAV女優は、ホントにお金がないと思います」「ワリが良いのは最初の1本で、そのあとの報酬は段々と下がっていくのが一般的」「いちど脱いだら、もう脱げないですから」などと言っており、なぞに哲学的だった。いちど脱いだら、もう脱げない・・・のである。
議会で寝てる議員のキャッチフレーズ草
「不機嫌で人をコントロールするのは良くない」という浅い考えをやめろ。まずお前がご機嫌になれ。不機嫌にコントロールされるのをやめろ。被害者ぶるな。ご機嫌バトルだと思え。きょうも不機嫌な人の前ですらご機嫌に生きられてる私ってすごいな、と唱えろ。他人の命令口調ごときに機嫌を左右されるな
「子育てに協力する」というと、皆なんとなく「世話を頼む」みたいな極端な考えになりがちなのだが、母と父以外に、信用できる他の大人が「ただ家に居るだけ」でも、教育コストが全然ちがうのよ。こどもにも逃げ場ができる。親と別の意見をもった大人の存在は救いになり、親を俯瞰するキッカケになる。
こないだ奢りにきた婚活プロが「パートナーを探すコツは『苦手が似てる人』を探すこと」「好きなものには拘りがあり、むしろ揉める原因になる」「苦手は生き方に反映する。コーヒーが好きな人の生き方は多様だが、人混みが苦手な人の生き方は近い」と言っており、それ、ヒトラーも言ってた!となった。
「じぶんが健康的な人生を送っているか」を測る指標として、多くのひとは「年収がいくらか」とか、「恋人がいるか」とか、「貯金がいくらか」とか、「休みがどれだけあるか」とか、そのあたりを利用している印象がありますが、ぼくのオススメは「なんもない日にどれだけ早くベッドを出られるか」です。
「承認欲求」みたいに言うけど、つまりは「子供が親に向けてやるやつ」が欲しいだけ。
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こないだ公式ラインに、小学生が「どうしても相談したいことがある。電話してもいいですか?」ときたので、「ええよ」と返して、30分くらい駄弁ったんだけど、じつに考えのしっかりした子で、「大人が、いつも『子供だから』というだけで、まったく対等に話を聞いてくれない」と、話していたんだよね