こんばんは
デヴィッド・ボウイは、地球に落ちてきた男を演じていたわけだが、平野紫耀を見ていると、彼はほんとうに地球に落ちてきたのではないか、とおもうことがある。 ガチのスターマン。
めちゃかわいい 右が第二号です これたくさんあったほうがいいよね 🎄🌲
わたしは、平野紫耀を美化しているわけではなく、一貫して、ヘンだ、妙だ、ストレンジだ、と感じており、ここでの表現も、あくまでもその変奏にすぎません。 これはクロサギ初見の第一印象からずっとそうです。 平野紫耀は、変わっています。 とても、変わっています。 twitter.com/aidatoji/statu…
【本日のキャッチフレーズ】 平野紫耀は「魅惑的なズレ」を奏でるのではなく、「ズレの魅惑」に没入させる。 言い換えるなら、わたしたちは「おとしあな」におちたということである。
【急告】 『クロサギ』最終回から数日後、相田冬二による新たな「平野紫耀/クロサギ」論が、別なネットメディアからリリースされます。 ♡♢ご期待ください♧♤
みなさま。 ありがとうございます。 最終回を観終えたらすぐに書きはじめ、そのときだけの視点の文章を完成させます。 リリース予定は、12.26月曜日。誰もが無料で読めるネットメディアです。 12.27zoomトークイベントのお土産平野紫耀論Wセットは、それとは別内容となります。 どちらもおたのしみに! twitter.com/aidatoji/statu…
第9話。 長台詞は、ひとりで間を創るシークエンスだが、平野紫耀はここでオリジナルなエモーションを構築している。 だから 三浦友和「だったらおれもやるしかないな」 平野「わかってるよ」 が効く。ここでは顔を縦に揺らす。頷きにカムフラージュしているが、あれは平野特有の技である。
平野がほんとうにすごいなと思うのは、顔を揺らしたあとの余韻を残していること。 揺れ終わってないんだよ。そこで、観ている側の心象に、微かなヴァイヴレーションがこびりつく。 音楽で言えば、音の一粒一粒を大切に取り扱う編曲者のようなもので、これは綿密な計画性がなければできることではない。 twitter.com/aidatoji/statu…
涙に惹きつけられるひとは多いとおもうが、揺れの余韻は泣きの前兆なのである。 そして、涙が流れること以上に、そのとき平野紫耀の身体が前後に仄かに揺れていることを見逃すべきではない。 うつくしい建築物のような表現。 twitter.com/aidatoji/statu…
平野紫耀は、横に揺れ、縦に揺れ、前後に揺れる。 きわめてサラウンドな演技者であると考えられる。 twitter.com/aidatoji/statu…
黒島結菜「いやだって言ったら?」 平野紫耀「…………」 ここで彼が見せる憂いは、(詐欺師としての)芝居・カムフラージュ・(黒崎本人としての)本音の配分が見事で、カウンターにぽっと花が咲く。 twitter.com/aidatoji/statu…
やばい。 おれのなかで 平野紫耀が ロバート・デ・ニーロと 並んでしまった。 タイトルが出る前に。 twitter.com/aidatoji/statu…
演技はセッション。 これは一つの考え方であるだけで、必ずしも、そうしなくてよい場合がある。 特に、平野紫耀のような魔王タイプは。 彼は常に「こうでなければならない」をすり抜ける、ニュータイプのスタアだ。 twitter.com/aidatoji/statu…
いままでたくさんの映画たちを自分なりに真剣に見てきてよかったとおもうよ。 平野紫耀のなにが、どのように、どのくらいすごいかはっきりわかるから。 おれは勘とか好みとかでこれまでのツイートをしていないと自信をもって言える。 平野紫耀は間違いなくすごいんだ。おれの映画史が証明している。 twitter.com/aidatoji/statu…
平野紫耀が、もし否定されるようなことがあったとしたら、それは、おれののなかの「映画」を否定すると同義なので、徹底的に闘うつもりだ。 映画人は、平野紫耀を、観なきゃ、駄目だとおもう。 平野が表現するように、作品を、クリエイトしているか、真剣に問うてほしい。 twitter.com/aidatoji/statu…
平野紫耀は、その身を捧げている。 芸術に。 この献身に、不満があるにんげんに、おれは、おれのツイートを読んでほしくない。 これ以上を、彼に、求めるな。 彼が、選んだ道を、尊重しろ。 もう、なにも、言うな。 彼は、これだけ、献身している。 もう、文句を言うな。求めるな。
平野紫耀を見ていると、 たかがおれごときでも、 本気でやらなきゃいけないと おもうよ。
平野紫耀お誕生会のケーキが決まった🎂 東京一のパティスリーなので、1.29イベントご参加の方は、どうかおたのしみに🕯
世の中には、こんなにたくさんのかっこいいひとがいて、こんなにたくさんのパーカー着ているひとがいるのに、平野紫耀ほど、かっこよくパーカーを着ているひとがいないのはなぜだろう、とおもった師走の日曜日。
振り返り、からの「手ぇ出すなよ」の間の詰めかたは、やっぱりしびれるねぇ。 時間と空間を自在に扱ってる感、あり。 しかし、あらためて、振り返りの達人。 twitter.com/aidatoji/statu…
「こっち向けよ」と「桂木さん」の間を創り出すのが、平野紫耀流。 息を呑む、とは、まさにこのこと。 twitter.com/aidatoji/statu…
「こっち向けよ」のニュアンスも非凡。怒鳴ってるわけでも、凄んでるわけでもない。彼なりの、強い情が伝わる表現。だが、固執できない哀しみも、宿る。二台の異なる自動車が併走しているかのような、感情の発露。なぜ、こんなことができるのか。 twitter.com/aidatoji/statu…
考えてみれば、平野紫耀の表現に、解説なんていらないんだよ。 見てれば、すごいことはわかるんだから。 なのに、こうして、たくさんの方が、ほんとうは要らんわたしの解説を読みに来てくださること、うれしくおもっています。 平野紫耀は、わたしを饒舌にします。 よろしければ、お付き合いください。
平野紫耀のため息は情報量が多い。 その都度全然違うのだが、確実に使い分けてるんだよ。 名うての料理人が選りすぐりの調味料を使うように。 「だし」とか「かえし」とか、そういう世界でもある。 平野紫耀って、お蕎麦でもあるよな。もちろん、十割蕎麦の手打ち。 観ていて、たぐる快感がある芝居。 twitter.com/aidatoji/statu…