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〜引用〜
"なぜ沖縄は基地に反対するのか(中略)
日本軍は伊江島にやってきて、東洋一とよばれるほどの飛行場基地を構築した。
戦争がやってきたとき
東洋一の基地は、島を守っただろうか。
その重い答えを、
本土のみなさんでしっかりと受け止めてほしいと思います。"
battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2019/08/…
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"軍は言葉を変え、法をねじ伏せ、14歳から17歳の沖縄の子どもたちを名護国民学校に集め、スパイや謀略家を養成する陸軍中野学校出身者の指揮の下、少年兵のゲリラ部隊を編成した。"
battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2018/04/…
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明日は沖縄慰霊の日。
今日聞かせて頂いたお話をここに。
「慰霊の日は、朝起きたら火ぬ神と仏壇にうちゃとー(お茶湯)して手を合わせる。これはいつもだけど、慰霊の日は線香もうさぎる(供える)。それが済んだら糸満の方に祈るの。元気な時は、部落の慰霊祭にも、糸満の慰霊祭にも行きよった。→
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…軍艦みたいにしようとする。水の汚染の事だって米軍の顔をみて沖縄を守らない。
私はあの形の復帰は失敗だったんだと今は思う。恨みつらみではなくて二度と戦場にしないという思いでいたのに、またこの島々を良いように使おうとしている。この気持ちを言葉にするなら何という言葉かね。↓
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…いつも2等国民で本土の人間には劣るとされていた。だから積極的に日本的なものを取り入れたよ。戦争の時も忠義を尽くす、本当にその思いしかなかった。だから戦争が激しくなる中で見せられたあの日本兵の姿には言葉もなかった。そしてあの屈辱の日と言われる日。私達の想いがわかるかな。…↓
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…県知事は中国の一部にしてほしいと中国に嘆願しているとか、普天間基地は元々田畑で人は住んでなかったとか、こんな妄想があるか。そんな事を本気で信じる人にはあきれてものも言えない。戦中戦後の私達の苦労も想いも知ろうともしないで…。何が美しい国か。こういう人達が国を壊すのよ…。
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ある、やんばる産まれのおばあさんのお話。
「娘時代はお姉さん達に憧れて、ヤマトの紡績に行きたくて仕方がなかった。許嫁がいたんだけどね、乱暴ものだったから嫌で逃げたかったのよ。やんばるは食べるものもろくになくてソテツを食べた。毒抜きにはコツがあるのよ。水に何日かつけるの。
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…そうはならない復帰となった。それでも、日本政府は少しずつ沖縄の負担を軽くしていくつもりだろうと信じて待ったんだ。だけどだぁ、今もこんなだよ。地政学的とか、戦略上とか言う理由で、沖縄の負担なんて軽くしようとする動きはないどころか、沖縄を守るためだと言って、まるで↓…
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「ぬーふすこーねーん(何の不足もないのよ)。」
いつも口癖のようにそう話していたおばあさんの話。
戦争のことについては
「あわりやたん。日本もアメリカもひどかった。思い出したくない。私は戦争の話はしない。二度と戦争はダメ。」語るのはいつもそれだけ。
戦後の暮らしと復帰について↓
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…あのイクサは何だったのか、やはり日本人じゃなかったのか、年寄が話していた事が本当だったのかと思った。だけど占領する米軍のやり方もとにかくひどかった。沖縄の土地はどんどん取り上げる。訴えに耳も貸さない。日本に復帰する、基地のない核抜き本土並みを訴えた。でも、…↓
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「嫁いで少ししてからだね。家も畑も米軍が使うから出ていきなさいって命令されて…。反対運動も盛んだったけど、結局鉄砲持ったアメリカの兵隊がきて、鉄砲向けて、家も畑も取り上げた。ブルドーザーで目の前で壊すのよぉ。見ていられなかったね…。」
米軍に先祖代々の土地を強制的に接収された後↓
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「私はずっと日本人。日本人として生まれて、生きてきた。」
北谷のあるおじいさんの話。
戦争で親兄弟を失い、家も畑も米軍に基地として取りあげられた。
「アメリカーのやりたい放題だったんだよ。今もまだ続いているけど、こんなものじゃなかった。」
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…一番ワジワジーするのは今の沖縄の政治家さぁ。水が汚されても何もできない。やんでぃパイプてー。可哀そうなのはあんたがたの子ども達だよ。うり!お菓子食べなさい!子ども達にも持って帰りなさいよー。」
ぽたぽた焼きの袋を私の方へ優しくポンと投げ渡してそう言った。
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あったことをなかったとされていく時代の中で
恨みではなく
もう一度ひろく知ってもらうために。
"通訳兵として沖縄戦に参加したハーバート柳村さんは、捕虜への尋問中に日本の軍人に殺された人が多数いたとの証言を聞いたと話した…。"
battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2019/06/…
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"今更遅い"
"決まったことは変えられない"
そうやって生み出されてきたたくさんの損失、没落、不幸、悲劇。
それを私たちは沢山たくさん見せつけられてきたじゃありませんか。
#浦添西海岸埋め立て反対
#神宮外苑
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あるフィリピン引揚げのおばあさん。
「"死の行進"。ああやってみんなで逃げたのよ。沖縄の人は別されて、列の後ろ側から歩かされた。照明弾があがったらみんな地面に伏せて、そしたら一勢攻撃。たくさん死んだ。死んだ人を踏んで歩いた。↓
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西銘恒三郎氏が100億減らしたらと提案してたなんて…。事実なら、もっと沖縄県民に伝えてほしい… twitter.com/urutobi/status…
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朝鮮半島の人たちは沖縄の人とはちがってはっきりと言うでしょう。ヤマトの人にも負けないわけ。見ていて気持ちよかった。そのうち友達もできたりしてね。だけど今見ていると、あの国はすごいと思う。沖縄みたいに諦めたりしないさぁ。」
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紡績に行ったら、ヤマトの人から沖縄の人間はいじめられたよ。朝鮮半島の人たちもいじめられた。沖縄の人は今度は朝鮮半島の人をいじめよった。喧嘩もしたよ。どっちもいじめられる同士だったから、あんまりヤマトの人のいじめが激しい時は一緒になって喧嘩したりした。
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立派な服を着た商人と政治家がやってきて言いました。
「ここを埋め立てれば島はもっと発展し、客が沢山くる。君たちの働く場所もできて、もっと豊かになるんだ。」
それを聞いた小さな子が聞きました。
「たくさんのお客はいったい何をしにくるの?軍港を見にくるの?」
#浦添西海岸埋め立て反対
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"米軍は彼女が「慰安婦」でありかつ日本軍から救護の訓練も受けていた「看護婦」であることを…把握していた… 歴史の陽のあたらぬ場所へと追いやられた女性たちは、それでも懸命に生きて、傷ついた島民たちの医療にまわり、子どもや老人たちの命を救っていた
battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/2019/04/…
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…だから、えー、正確な情報とか、教育というのは本当に大事なんだよ。」
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…あんまり目立たせたらあんなのが増えてしまうのよ。だから私達は目立たないように、沖縄出身である事を隠くす様に生きてきたのよ。黙って生きてきたのよ。だから、えー、あんまり沖縄、沖縄するなよ。日本はまだそんな国であるよぉ。」
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"沖縄の住民からなる防衛隊や学徒隊は、日本兵よりもより過酷な任務を背負わされ、戦死者数はとびぬけて多い。
そこにも第32軍の、沖縄の土地だけではない、住民そのものを「皇軍」の砦として利用し、捨て駒にした「持久戦略」の汚さがあった。"
battle-of-okinawa.hatenablog.com/entry/1945/04/…