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女性の偉人が少ないのは、女性を偉人にさせない社会だったからに過ぎない。これは相撲を見て、女性は相撲で活躍しないと言っているようなものである。
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DVせよ浮気にせよ、妻や彼女がいて初めて出来る行為であり、妻や彼女のいない彼らがDVをしないのも浮気をしないのも、優しさや誠実性を証明するものではなく、妻や彼女がないから、結果的にDVや浮気のしようがないだけに過ぎない。 twitter.com/430Yoji/status…
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これは本当に問題で、既存の性文化に社会化されることによって、女性に対して加害的であることが、男性の中の性的な健全性(通常性)の参照点になっている。「普通」自体が加害的なので、何が加害的なのか解らないし、解っていても加害性を過小評価している。 twitter.com/inoue_goku/sta…
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これは男性にとってレイプ指南でしかなく、レイプをセックスと誤信させるものであり、レイプをセックスと言い張るようになるものである。レイプを指南する本、レイプをセックスと言い換える本がモテ本として堂々と普通に売っている社会であることも、日本社会が男尊女卑社会であることの表れである。 twitter.com/_nishinayuri/s…
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「痴漢など大したことはない」という男性もいるが、男性は偶然肘がぶつかった、肩がぶつかった程度で激昂する者がいるし、ましてやそれが意図されたものだと解れば、より多くの男性が「なめられた」と感じ激昂する。女性から見た痴漢とは、それに加えて性的な侵害という要素を持つ犯罪である。
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小学校低学年の時に、野次馬を含め高学年から低学年の男児10名くらいの集団が、泣き叫ぶ一人の女児を押さえ付けて服を脱がして身体を触るという場面を目撃して、大人を呼びに行ったという経験があるが、可視化されていないだけで児童間の性暴力もかなり起きていると思う。 t.co/aXN8dunYSF
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少なくない男性が「女性は感情的で男性は理性的」と思っているが、これは立場の違いによるものに過ぎない。単純にそのことについて女性には感情的になる理由があり、男性には無いだけなのだ。男性が理性的で論理的に振る舞うことが出来るのは、その問題で感情的にならずに済む立場にいるだけだ。
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高級ダイヤの持ち主がヤクザだったらジロジロ見ないはずで、高級ダイヤを見てしまう心理と持ち主によって態度が変わる心理は別の問題であり、「嫌がっていても見ても構わない相手」という女性に対する認識が前提にある。 twitter.com/StupidLearner/…
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こうした女性観は、ジェンダーバイアスによる典型的な代表性であり、女性と縁のない男性、詰まり一般化出来るほどの生身の女性の反応を知らないはずの男性でさえ、この漫画を見て納得していることを見れば、「女性とはそういうものだ」というジェンダーステレオタイプの凄まじさは解ると思う。 twitter.com/ogato_desuyo/s…
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少女の問題として語られて、利用する男性側の問題として語られないのは、「男性はそういうものだ」という自明視が前提にあるからであり、適応する女性側の問題とされている時点で、男性中心社会であることが表れている。 twitter.com/Gigaslave_0330…
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とても酷い事件なので解りやすいと思うが、「女性」だから「標的」されるとはこういうことであり、今襲われていなくても「襲われる側」として日々過ごすことの意味が男性に理解されていない。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190618-…
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「ケーキを切れない非行少年たち」について驚いている人や馬鹿にしている人(男性が多かった)は結構いるが、普段の言動を見る限り、性に関してあるいは女性に関して「ケーキを切れない」状態になっている男性は多く、教育や周囲の環境の影響の問題が他人事ではないことが解る。
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男性が女性に警戒される話になると「黒人の犯罪率が高いと言って黒人を警戒するのと同じだ」と良く言われるが、重要な部分が認識されておらず、女性が男性を警戒するのは、決まって「女性」が「標的」にされるからであり、事実として女性が標的にされる「性犯罪」が「多発」しているからである。
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「どうするべきか」が呼び掛けられるのが、いじめっ子でもなく傍観者でもなく、いじめられっ子である当たりがまさにいじめの構造であり、一方的な被害者に対応責任と勇気が求められることでいじめられっ子はより苦しむ。
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そもそもの「下着」と「エロいものとしての下着」と「下着をエロいものと見なす自分」の三つの区別を付けられない男性は多く、これは時と場と関係性で変わるセクハラの区別が付かないのと同じで、性行為と性暴力の区別が付かないのも本質は同じである。だから性暴力もセクハラも減らない。 twitter.com/wb_opus_1/stat…
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現実の事件と映画では加害者の性別が入れ替えられていることは他の人が指摘済みなのだが、こうした事件をサブタイプ化せずに、ここで改めて男性に考えて欲しいのは「何故男子生徒は事件を起こしたのか?」と「何故監督は性別を入れ替えたのか?」の二つである。 twitter.com/TmhK0310/statu…
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被害者の拒絶や怒りや悲しみを目の当たりした時の、加害者の言う「そんなつもりじゃなかった」という言葉は、「傷付けるつもりではなかった」ではなく「そんな反応をされるつもりではなかった」である場合が多い。
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例えば「オヤジ」だから標的になる「オヤジ狩り」の暴力性と理不尽さは理解出来るのに、「女性」だから標的になる性暴力は「女狩り」とは認識されていないので、その暴力性と理不尽さが全く理解されていない。オヤジ狩りが性暴力と同じ規模で起きていたら、そんな社会を中年男性は理不尽だと思うだろう
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ここで述べられているような、性暴力が起きた時の周囲の反応や起きた後の周囲の反応も女性に対する構造的暴力の一環であり、日本社会では「性暴力は許さない」という建前が機能していないことが表れており、この建前が機能していないことが、女性の社会に対する、特に男性に対する不信感を生んでいる。 twitter.com/anemone_hi_lit…
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所謂「男女平等パンチ」で説明できると思う。少なくない男性にとっては「女性を殴りたいけど我慢した」ことが「女性を守っている」という意識を形成させている。
「男女平等なら女も殴る」→「今まで特別扱いして殴らずに許していた」→「特別扱いによる許し」→「女を守っていた」ということである。 t.co/AbEialnn3R
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AEDの件で彼らの言いたいことは、「女が見捨てられるのは自業自得である」ということであり、女性に受け入れられなかった自身の人生を「女性に見捨てられた人生」と感じているので、他の誰から見ても逆恨みでしかないのだが、彼らにとっては正当な復讐のつもりなのだ。
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性犯罪にしてもセクハラにしても二次加害にしても、それをそこまで悪いことではないと思っている男性は多い。これは理性では女性を同じ人間と解っていても、感性では同じ人間と思っていないからである。犬を調理することの残酷さは解っても、牛を調理するのは当たり前なのと同じである。 twitter.com/oda_maki_musi/…
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知る限りにおいては、女性に誘われたことのない男性ほどハニートラップ信仰が強いし、女性に誘われたことのない男性ほど「女性が誘ってきた」と誤信する。自己の「誘う女性像」と現実の女性あるいは現実の誘う女性のギャップに気付いていない。 t.co/CjOtO2JxmS
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改めて言うと「言説」としての安全ピンにここまで恐怖を感じて、中には無闇に刺す女性がいそうで恐いなどと言っている人もいるのだから、いかに今まで男性が女性からの暴力を気にせず安全で安心にお花畑で過ごしていたのかが良く解る。
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妊婦が殴られた事件もそうだし、子連れの母親がすれ違いざまに殴られた話もそうだし、そもそも多発する性暴力事件もそうだし、ミソジニーは行動に移すから恐ろしい。この暴力性と暴力の実行力こそがミサンドリーとの最大の違いだと思う。