伊田チヨ子(@chiyocooooo73)さんの人気ツイート(新しい順)

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(結び3)なので、現代の私達が安直に『大正時代の女学生=みんな袴にブーツを履いている』とひとからげにして決めつけるのは、当時を生きていた女の子達の暮らしや考えを疎かに考えてしまっている、 もっと言うと画一的なレッテル貼りをする思考停止なのではないかな…と考えました。
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(結び2)特に10代の多感な女子が一つのファッションスタイルを15年間も支持するかといえば、それは例え大正時代のような昔でもありえないでしょう。 しかも大正時代は第一次世界大戦や震災など社会的な激動が起こった時代です。 ファッションに対する考えや価値観が変わるなという方が無理な話です。
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(結び1)私がこの自由研究をしてみたのは、例えば、100年後の創作物の中で『平成の女子高生』というキャラが全部揃いも揃ってルーズソックスにミニスカートだったら乱暴な解釈じゃないかなって思ったためです。平成の30年間で女子高生のスタイルは、驚くほど様変わりしていっていますよね。
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(補足4)袴に草履を合わせておけば大正のいつの時期であろうと通用する、という感じです。残された写真や雑誌の挿絵も草履姿の女学生は多いです。なにより保守的な大人には歓迎されるスタイルでしょうから。 女学生の中で洋靴派(流行好き)と草履派(堅実派)がいたのかなーという想像もできますね
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(補足3)そして忘れてはいけないのは『いつのな時期も草履こそオーソドックス』であったということ。ブーツが流行っても、パンプスや革靴が流行っても、一定数(いや多数?)袴には草履を合わせる女学生はいました。校則で決められていた可能性もありますし、やはり袴に草履なら間違いはない訳で
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(補足2)しかし上流階級以下は普通の靴を脱ぎ履きして上がる家屋に住んでいるので、編み上げブーツのような手間のかかる靴は合理的ではありません。ですからブーツより更に安価で便利なパンプスや普通の革靴を合わせる流れにシフトしたと考えられます。
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(補足)説明不足の箇所があるので補足をば…なぜ進学率が上がり中流階級も女学生なれる時期になると袴にパンプスが流行るのか、ですが、はやり脱ぎ履きの問題が大きいです。特権、上流階級の家は洋式の土足で歩ける屋敷などが多かったため、ブーツを脱ぎ履きする手間は問題ではありません。(続)
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袴の女学生も、エリート士官も、書生さんも、とんび(和装用インバネスコートね)着た学帽学生さんも一切出てこないと言う、少女漫画文法としては完全失格な大正ラブコメ漫画『ベルと紫太郎』、みんな読んでね! ネット版はいま1話しかないけど今月末から連載再開するよ! comic-walker.com/contents/detai…
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先程の袴ブーツ話の追伸。高畠華宵の描く絵が袴パンプス推しだったのは、彼の美的センスに叶っていたと言うだけでなく、華宵が活躍し出した時期が大正後期〜昭和初期であったため、現実問題として『袴にブーツは既に時代遅れなので需要がない』という側面があったのかもですね twitter.com/chiyocooooo73/…
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(続10)なおプロフ欄にあるようにこのアカウントは基本的にリプライに返信はいたしませんので、ディスカッションは残念ながら出来かねます…あくまで自由研究でこう感じたよの呟きであり、私は研究職でもありませんので、一連の呟きも『思った事』であり正解ではないことをご承知ください。
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(続9)漫画にするのが面倒で文字で呟いてしまいました。このアカウントの意義崩壊かよ。 最初に言った通り私の自由研究なので、地域差、通っていた学校の格式(当時の身分格差はえぐいです)差で風俗も流行も全然違うので、『いや!うちの祖母は違った!』とか全く違う意見も沢山あると思います。
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(続8)袴制服が減り始めた大正後期にはパンプスのほかにオックスフォードシューズのような革靴?を履いている写真もあります。 しかし【袴にブーツ】というインパクトが可愛すぎる&強すぎるため、大正時代の制服といえば【とにかく袴とブーツ】の一辺倒な認識が現代では強固なのかな〜と思いました。
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(続7)流行は常に流動的なため断言はできませんが、そんな訳で大正も中期も過ぎると袴にブーツは『クラシックなコーディネート』もっと言えば『すでにダサい』という認識が女学生に生まれていたのではないのかな…と思いますし、袴にブーツはそんなに長期間幅を効かせたスタイルでもないと思われます
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(続6)制服の洋装化が起こり始めた大正中期のタイミングで、袴にブーツは急速に廃れている気配があります。当時の写真では勿論、高畠華宵の絵に描かれている女学生を筆頭に、当時の雑誌の挿絵などに描かれた女学生もパンプス姿が目立ちます。右の写真は大正2年ですがすでにパンプス履いてますね(続)
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(続5)遍歴を見ていくと、大正も中期をすぎると制服を洋装に切り替える学校はかなり増えていきます。洋装の制服なら下を履き替えれば体育も容易ですし。 大正女学生=袴 という図式すら結構危ういレベルで洋装の制服は多いです。因みに昭和初期には震災の影響もあり制服はほぼ洋装化されます(続)
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(続4)華美なものを制服の袴に合わせて見栄を張り合わないよう、質素で地味なものを身に付けるように指導する校則が当たり前となりました。(上流階級の多い学校は銘仙までならOKだったようですが)と、同時に、制服の洋装化&ブーツに変わりパンプスを合わせる流行が起こります(続)
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(続4)つまりわかりやすく言えば、お金のある家庭しか女学校進学などできなかったわけです。だから高価な輸入ブーツも購入できたし、それを合わせるために袴を短めに仕立てるなどの流行が起こりました。大正中期に差し掛かると進学率は徐々に増え(それでも低いけど)同時に裕福な家庭の生徒が(続)
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(続3)袴にブーツを合わせるのがいつ頃なのかの詳細な年代は不明ですが、おそらく明治末期(明治40年代〜)ではないかと言われています。西洋から輸入品のブーツが入ってきたことでそれを袴に合わせるブームが起きるわけですが、明治末期〜大正初期までの女学校進学率はせいぜい1割かそれ以下で(属)
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(続2)そもそも、女学生が何故袴なのかというと、明治時代に女子中等教育が始まった時、華族女学校教授の下田歌子氏が当時の宮中の年若い女性が着用していた濃袴をヒントにして女学生の制服を考案したと言われています。ので初期の女学生の袴は丈が長いものを胸高に履いて草履を着用しました(続)
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【女学生は袴にブーツなのか】 これは【大正時代の女学生は袴にブーツ】という現在の一般的イメージに関しての私の自由研究なので話半分にふーんて聞いて欲しいのですが、【袴にブーツ】が流行っていたのは明治末期〜大正中期あたりまで、それ以降は袴にブーツは廃れている傾向にあるようです。(続)
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#ベルと紫太郎零れ話】 ★モダンガールの断髪とは? モガは断髪言うけれど、現在は断髪と言うイメージのみ一人歩きしていて、当時の断髪の詳細な情報って少ないですよね。という訳で、私が今までの取材の中で得た様々な『モガの断髪』の情報をまとめました。 遅ーい夏休みの自由研究です。どうぞ。
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近年取り沙汰されている女性の医大の合格率操作事件は『女医は夜勤に向かないから』という意見がありましたが、大正時代の女医は『女性看護婦と間違いを犯さないから女医こそ夜勤に最適』と言われていました。着眼点がもう現代とは全然違う。時代考証で一番大切なのはモノより当時の視点だと思います。
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こういう、現代の感覚で考えてしまうと勘違いかしちゃうものが多いんです。戦前は無職といえば資産家で羨望の的だったし、 健康体操の書籍や食品は『目方が増える(体重が増える)』(戦前は食事の栄養価が低いため、カロリーをとって体重を増やす事が良いとされた)と謳っていました。
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大正期の女性はパンツ履いてないから下着着けてないという発想について。 そもそもその時期の女性にとっては着物の腰巻が『通常の下着』だったのだから、ちゃんも下着はつけてます。むしろ局部に密着するズロースなどの下着を履く方がはしたないとさえ思われておりました。
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大正時代にはパンツがない!女の子はみんなノーパン!という拡大解釈をお見かけしたので、ちょっと以前に描いた下着の話を上げ直してみました。