伊田チヨ子(@chiyocooooo73)さんの人気ツイート(古い順)

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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆姐さん被り ベルがお掃除の場面で度々見せているこの手ぬぐいの被り方、三角巾のオーソドックスな結び方とちょっと違います。 簡単でちょっと色っぽいのでお試しください。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・ベルの普段の帯結び ベルがやっている『吉弥結び』のやり方。半幅帯でできるので浴衣にも合います〜。オーソドックスな文庫結びで可愛くなりすぎるのが苦手な方におすすめ。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・紫太郎の普段の帯結び 紫太郎がやっている『浪人結び』のやり方。(男帯) 結び目が見えないのでいかにもビシッと締めてます!感がなく、さり気ない雰囲気に仕上がります。勿論浴衣にも合います。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆マガレイト 明治後期〜大正時代に東京の女学生に流行した束髪(ヘアアレンジ)。三つ編みを輪にして結って、最後に大きなリボンをつけるのが特徴。 その他様々な束髪が若い女性の中で流行。キヨちゃんの髪型は『耳隠し』をイメージしています。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆大正時代のお化粧 明治期に西洋の美容法が日本へ浸透し、白粉の厚塗りからナチュラル傾向に変化。化粧品も簡便で機能的に変化しました。 現在も大人気のクラブ美身クリームは明治44年、オイデルミンは明治30年生まれ。ベルもせっせと使っています。使えば大正娘気分?
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【ベルと紫太郎零話】 ☆袴 女学生の袴の発祥は明治の華族女学校の制服の女袴。機能性と優美さを併せ持つこの制服は全国へ普及。殆どの女学生は富裕層にあり美意識も高かったため明治末期にブーツが発売されると早速取り入れられ有名なハイカラさんルックが生まれました ※ベルは女学生ではないです
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆大正時代の帽子 日本女性が帽子を被り始めたのは西洋風結い髪の束髪や断髪が定着し始めた以降。それまでの被るものといえば、防寒目的で御高祖頭巾を被る程度。大正期に洋装を着れたのは富裕層の女性であったため、優雅で堂々とした着こなしが見受けられます。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆よくってよ 明治終盤から流行した女学生言葉。すねた時に使うものとされました。小説の世界でも大流行しました。続く3コマ目のベルと紫太郎の会話は明治39年に発表された大野若狭の短編小説の冒頭の会話をそのまま喋っています。(つづく)
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・百貨店と流行色 現代の洋服やコスメには『流行色』がありますが、実は大正時代にも既に流行色がありました。百貨店がその年の世相や出来事を考慮して事前に流行色を考案していたそうです。流行色は雑貨や衣類に早速反映され飛ぶように売れたとか。現代と変わりませんね。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆戦前のクリスマス クリスマスが日本に定着したのは明治中頃。初めは宣教師や欧米の留学生を中心に催されていましたが、やがて商業的な色合いを帯び大正期には現代とほぼ変わらぬ祝い方となっています。夏目漱石や森鴎外の手記にも当時のクリスマスを見ることができます。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・女性の職業 作中のきよちゃんはセルロイドの人形の工場で働いていた過去があります。 戦前にも女性が活躍する職業は沢山ありましたが、とくに百貨店勤務や高等列車のウエイトレスなど、素敵な制服が着れる仕事は少女たちの憧れの的となっていました。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆流行りのメイク 大正〜昭和初期のメイク方法で定番だったものの中に『耳べに』というポイントメイクがあります。今でもさり気なく取り入れられる可愛いメイク方法ですね。因みに眉毛は長め、ファンデは白めが流行でした。『母に似ず モガに生まれて 眉長し』(当時の川柳
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆リボン 明治末期〜大正にかけて女性は日本髪から洋風の束髪になり、それに伴いリボンが流行しました。現在の細めリボンと違い、当時の主流は幅広。一年のリボン消費量は当時の金額の250万円に昇り、その大部分を海外から輸入していました。当時のリボンの関税、なんと50%!
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆透け素材 大正時代は透ける生地のお洒落が流行したようです。 谷崎潤一郎『痴人の愛』にジョーゼットやオーガンジーを単衣に仕立てる記述があります。林芙美子『放浪記』にも "水の流れのような薄いショール を、街を歩く娘さん達がしている。一つあんなのを欲しいものだ"。
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【ベルと紫太郎零れ話】 ★お子様ランチ 昭和5年に日本橋三越の食堂が考案し誕生したメニュー。名前は『御子様洋食』。値段は30銭(同時代の銭湯が5銭、映画が40銭)で、火傷をせぬようアツアツではなくやや冷ましてからテーブルへ運んだそうです。 (※作中は大正11年なので少々嘘をついております
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・凌雲閣(別名・浅草十二階) 先日浅草にて凌雲閣の土台構造が発見されたニュースが流れましたね。今回は、ベルと紫太郎の劇中の背景にもたまに登場する、凌雲閣(十二階)という建物について。 (※諸説多数のため完全に正確なものではありません。)
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【ベルと紫太郎溢れ話】 ☆大正時代のスケート 日本へスケートが来たのは明治初期。当初は富裕層の娯楽でしたが、大正に入りスケート技術書が広まった事で日本中で愛好家が生まれました。スケート靴は高価なため、当時の鍛冶屋が下駄に刃を付けた『下駄スケート』を考案。瞬く間に全国に普及しました
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【ベルと紫太郎零れ話】 ☆大正時代に流行した銘仙という着物と、モダンガールについてのおはなしです(4P)
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【ベルと紫太郎零れ話】 大正時代に流行した銘仙という着物と、モダンガールのお話し、 後編です(4P)
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【ベルと紫太郎溢れ話 ☆マニキュア 日本は古くから紅を爪に塗る爪紅という化粧法があります。明治時代には薄紅インクで爪を染めるお洒落が女学生の中で流行りました。西洋のマニキュアが普及し出したのは大正中期からで『装爪』や『美爪術』などと広まりました。当時は男性向けの美爪も(3枚目に解説
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【ベルと紫太郎零れ話】 ・社交ダンス 戦前の東京や大阪では社交ダンスが大流行し、たくさんのダンスホールが作られました。現代の社交ダンスとは違う独特なルールが存在しましたが、大衆はこぞってダンスを楽しみました。先日のマニキュア事情と併せてご覧ください。(文章多め)
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なにか面白いネタはないかな〜と思って大正時代に発行された料理本を調べているのですが、手の込んだレシピの中にツイッター飯みたいなレシピが堂々と載っているのがいい感じです。
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【ベルと紫太郎零れ話】 先日行ったアンケートで、戦前のファッションを取り上げて欲しいという要望が多かったので、今回からこぼれ話は連続して三回『女学生のファッション』について投稿します。ベルと紫太郎の登場人物に女学生はおりませんが…笑。第一回は『体操服』です。
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【ベルと紫太郎零れ話】 前回から三回『女学生のファッション』について投稿します。ベルと紫太郎の登場人物に女学生はおりませんが…笑。第二回は『女学生の徽章』についてです!
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【ベルと紫太郎零れ話】全3回にわたってお送りしています『女学生のファッション』の3回目です。最後は『限られた中でもオシャレしたい!』です。様々な規定の中で最大限に楽しんだ当時の女学生の工夫など。【※ツリーにお知らせ付き】