本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(古い順)

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5月27日は、生物学者レイチェル・カーソンの誕生日。 「残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。」(上遠恵子訳『センス・オブ・ワンダー』新潮文庫、P33)
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「難民がインチキだろうがなんだろうが、  助けてくれって言われたら助けるのが  人間じゃねェのかね」 (永六輔『一般人名語録』講談社文庫、P155)
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「現実には「王様は裸だ」と言い出す勇気を誰も持てず、全員が黙ったままになることがほとんどだ。沈黙することを選べば、少数派である王様の愚かなごますり連中が見かけの多数派になる可能性が高くなる。」(トッド・ローズ著、門脇弘典訳『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』NHK出版、P120)
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「10代のための~」や「13歳からの~」といった本の価値に、10代で気付きたかった。
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5月29日は、作家・内田百閒の誕生日。 「人から構われたくない、それはうそである。だれも構ってくれなかったら淋しいだろう。淋しくならない加減で、うるさくない程度におつき合い願いたい。しかしその塩あんばいはだれにも解らないだろう。私自身にもわからない」(『内田百閒随筆集』平凡社、P119)
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「歴史の流れ、社会の動き、政治経済の問題、そういうものを知ろうともしないで、全部失った後でしまった、こんなはずじゃなかったと言っても、もう遅い。あとの祭りです。」(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』文春文庫、P18)
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以前、家にある梅原猛の本を写真におさめたら、撮影失敗して、光の具合でライトセーバーを装備してしまった。 #見た人も何か今は撮れない写真をあげる
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「他人に注意する者は、それが正しい要求であると信じていればいるほど、覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を」(中島義道『カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ』新潮社、P94)
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6月1日は、俳優マリリン・モンローの誕生日。 「マリリンを特徴づける、吐息を漏らすような妖艶な話し方も、吃音が関係していた可能性がある。息を吐きながら話せばどもらない。若いときにセラピストにそうアドバイスを受け、試してみたら確かにどもらなかった。」(近藤雄生『吃音』新潮文庫、P18)
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「論破を得意としている人は、何の意味があるんですか、という問いかけを好む。意味の有無を自分勝手に判断しながら、それを基準値にして、ほら、意味ないですよねと繰り返す。そんな彼らの多くは、なぜかニヤニヤしている。」(武田砂鉄『今日拾った言葉たち』暮しの手帖社、P228)
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ジョジョ立ちする聖徳太子。 (参照:荒木飛呂彦・画、『集英社版 学習まんが日本の歴史2』)
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上岡龍太郎さん死去。ご冥福をお祈りします。 「伝統芸能以外で舞台に立っている人というのはおそらくものすごく不安な気持ちで舞台に立っていると思う。伝統芸の人はそれこそ落語だ、浪曲だ、講談だ、と思うから舞台にドンといてられるんですけどね」(『話芸の達人』青土社、P218)
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「いちばん困っている人たちを掬い上げて、底上げしていかないと、世の中全体はよくならない。なのにだめな奴は切り捨てろという人がいて、他人の痛みについて想像できず、気持ちに余裕のない人が多くなってきた。」(群ようこ『老いとお金』角川文庫、P165)
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「知性は、それを身につければ世界がよりクリスタルクリアに見えてくるというものではありません。むしろ世界を理解するときの補助線、あるいは参照軸が増殖し、世界の複雑性はますますつのっていきます。世界の理解はますます煩雑になってくるのです」(鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社、P26)
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「都市においては、ほとんどすべての空間が私物化されており、そこにいつづけることは難しい。一見、オープンのように見える地下街や商店街やビルの軒下であっても、そこに長時間いれば警備員がやってきて追い出される。」(阿部彩『弱者の居場所がない社会』講談社現代新書、P118)
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「日本人には「人間」の足場がない。従って、私たちの考え方には、何一つとしてしんがない。いつも外側の強力なものに畏服しているだけである。軍部が勢いを得れば軍部に、軍部が倒れて、別の勢力がはいって来れば別の勢力に、ただ無自覚に畏服しているだけである。」(田村泰次郎『肉体の門』P237)
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「一国の政権がやたら「わが国らしさを取り戻せ」などと精神論で愛国を語るときには、その裏側で、形あるものが海外の金持ちにばんばん売られているという現実がある。」(ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』岩波現代文庫、P52)
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障害者の生きづらさの要因を、個々人の「身心の障害」に帰するのではなく、「所謂「健常者」用につくられた社会」に求める視点は重要である。つまり障害者は、他者によって「障害者にされた人たち」という一面を持っているということである。(この視点を社会学では「障害の社会モデル」と呼ぶ。)
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「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。」(フロム『愛するということ』P41)
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「絶望しないことだ。おまえが絶望しないことにも、絶望しないことだ。もうすべてがおしまいになったように見えても、それでもまだ新しい力が押しよせてくるものだ。それこそ、おまえが生きている、ということなのだ。」(辻瑆編訳『カフカ 実存と人生』白水社、P165)
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「最近、政治が使っている社会的孤立って、社会の側が排除しているという話をあまり使わず、孤立しているかわいそうな人がいるから支援しようみたいな話ばかりですね。そもそも政治も含めて、制度がそれこそ排除的ですよ。」(桜井啓太・文、『子育て罰』光文社新書、P222)
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「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、P144)
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「不利な集団からの訴えだけでは、なかなか社会全体の変化につながらないのが現実です。なぜなら、恵まれた集団に所属する人たちは現状維持によって利益が得られているため、変化の必要性を感じにくく、変えたくないと思っているかもしれないからです。」(村山綾『「心のクセ」に気づくには』P204)
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反ナチ運動を指導した牧師マルティン・ニーメラーの詩。
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「幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。自分の人生は自分しか作れない。」(『「自分には価値がない」の心理学』P98)