本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(古い順)

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平野レミが語る「子どもたちには大事なものがちゃんと見えている」という話。 (参照:『おいしい子育て』ポプラ社、P121)
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7月19日は、心理学者・河合隼雄の命日。 「100%正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役立った忠告が、100%正しいとは言い難いことも、もちろんである。」「ひとつの忠告が役立つと、人間は嬉しくなってそれを普遍的真理のように思い勝ちである。」(『河合隼雄』平凡社、P42)
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「バーチャルリアリティの研究では、身長が高く魅力的な容姿のアバターを使うとコミュニケーションが変わり、自身の態度や行動が変容することをギリシャ神話に出てくる自由に姿を変えられる神の名をとって「プロテウス効果」とよんで研究が進んでいます。」(『こころと身体の心理学』岩波書店、P111)
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「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」(パウロ・コエーリョ『アルケミスト 夢を旅した少年』角川文庫、P154)
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「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)
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「体調が悪いなら帰るべきで、元気な人が仕事をすればいいと言うけれど、それって限られた回数で、お互いさまの時だけ頷けるルールのはずだ。結局我慢する人とできる人とで世界がまわっていく。世界。この世界。わたしが生きて手の届く範囲の世界。」(『おいしいごはんが食べられますように』P47)
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「インターネットで検索すれば、自分と同じ年齢なのにすごい人がいくらでも見つかる時代になった。ここで、そうはなれない自分に疲れるのである。生まれたときに自由のチケットを一方的に渡してきて、それを死ぬまでに使い切ることを要求する社会が嫌になるのだ。」(『〈普遍性〉をつくる哲学』P274)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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「他人に注意する者は、それが正しい要求であると信じていればいるほど、覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を」(中島義道『カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ』新潮社、P94)
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「ぼくの趣味は読書ではなく買書だとは度々言ってきました。ところが買書も一種の読書ではないかと思うのです。読むだけが読書ではなく料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです。買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです」(『言葉を離れる』P71)
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「よく、女は生まれながらにしてやさしいとか、細かいことが得意だとか言われますが、あれはウソです。個人差はべつにしても、あれは学習の効果です。子どもは目が見えはじめるとすぐ、生後数ヵ月のころから学習をはじめています。」(田嶋陽子『愛という名の支配』新潮文庫、P91)
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「身体や性をめぐる教育が非常に不十分なまま、少子化対策を「錦の御旗」として、小中高・大学等で生徒や学生に、人生設計の肝は「結婚して子を産み、家族をもつことだ」というライフプラン教育が行われている」(斉藤正美・文、『現代思想』第49巻第4号、青土社、P210)
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「読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。矛盾しているけれど、どちらも本当である。書物というのは、この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。読書という行為は孤独を強いるけれども、独りではなしえない。」(『小説以外』P179)
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「死にたいという者に、「生きていたら必ず幸せになる」と言うことは、実はとても難しい。死ぬのもそんなに悪いことではない。死というのは無に帰ることだから、良くも悪くもない。生きていても無に近い人だっている。九割方はそうではないのか」(水木しげる『人生をいじくり回してはいけない』P28)
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「じつは、ピーマンを切ると、苦味物質が酸素と結び付いて分解されなくなってしまうのです。子どもたちの目をごまかすために小さく刻んだりすると、酸素と結びつきやすくなって、かえって逆効果です。」(稲垣栄洋『一晩置いたカレーはなぜおいしいのか』新潮文庫、P94)
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「「昔は、たいへんでした。あるとき、電車の中で"おまえたち、新しい女には、これしかないんだ"と言って、中年の男性がいきなり私の顔にツバを吐きかけましたよ」とらいてうは後年、住井すゑに語っている(『平塚らいてう著作集月報6』一九八四年四月)。」(奥村直史『平塚らいてう』平凡社、P88)
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「世界の猫の呼び方」 「猫(イエネコ)の世界共通の呼び方(学名)は「Felis silvestris catus(フェリス・シルヴェストリス・カトゥス)」です。」 (参照:服部幸監修『ニャンでかな?』P114)
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「障碍者はたいてい、障碍がない人と同等には社会参加ができないと見なされています。けれどもそれは、社会が障碍者よりも健常者に都合が良く、より多くの自由と選択肢を与えるようにできているからです。」(芹澤恵+高里ひろ訳『10代で知っておきたい「同意」の話』河出書房新社、P137)
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7月23日は、社会活動家・金子文子の命日。 「自分の行為の主体は完全に自分自身であることを人間は自覚すべきである。そうすることによってこそ、初めて、人は誰をも偽らぬ、誰にも怯えぬ、真に確乎とした、自律的な、責任のある行為を生むことができる」(『何が私をこうさせたか』岩波書店、P121)
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「自由には二種類あるのです」「無秩序の時代にあったのは、したいことをする自由でした。今、あなた方に与えられつつあるのは、されたくないことをされない自由なのです。それを過小評価してはいけませんよ」(マーガレット・アトウッド著、斎藤英治訳『侍女の物語』早川書房、P54)
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7月23日は、物理学者・益川敏英の命日。 「お金の出そうな分野でしか人が仕事をしない。あるいはお金になりそうな発明や特許に人が集中する。こうした商業主義に流される科学研究は、国策としての軍事研究にも利用されやすいという一面も忘れてはなりません。」(『科学者は戦争で何をしたか』P89)
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「後になって、事態がさほどひどくはならなかったと言って、事前に警鐘を鳴らした人々をあざけるのは、不当さの極まりと言えるだろう。あざけりの的になったものこそ、人々に貢献しているのかもしれない。」(ハンス・ヨナス:文、『ありえないことが現実になるとき』ちくま学芸文庫、P186)
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「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、P144)
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「インターネットが、歴史的噓が増殖するのを可能としている。というのも、インターネット上では、事実上、事前の検閲なしに、そして一切の制裁もなく、誰でも、どのような名前でも、そしてどのような内容でも投稿することが可能だからだ。」(リン・ハント『なぜ歴史を学ぶのか』岩波書店、P4)
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「「知ったところで、どうしようもないじゃないか」ーーたしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知っていたい」という人間とがあるだろう。」(加藤周一『羊の歌』岩波新書、P190)