mc54006(@bt71_3865)さんの人気ツイート(リツイート順)

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1968(昭和43)年川車製クハ103-637(北マト)ほか10連。先頭の本車は撮影時点で松戸生え抜きでしたがご覧の通り朱色に塗色変更されており、この直後に豊田に移りました。この頃は103系の転配が多く、混色編成も多くみられました。1985(昭和60)年3月13日、新松戸。
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東京駅10番線で出発を待つ横須賀線。12番線は伊豆急下田行きの臨時急行の167系。横須賀線は翌年には地下に潜ってしまい、167系の修学旅行色は塗り替えられて消えてしまいました。1979(昭和54)年3月21日。
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1966(昭和41)年川車製クハ165-129ほか11連(静シス)。1979年9月に浜松工で前面強化。113系1500番台と同じく前灯位置が高いですが関連性は無いのでしょうね。長年大垣持ちだった東海のK編成は1989年に静岡移管。移管後しばらくして幌を上り向きに付けるように変更。1989(平成元)年12月30日、真鶴。
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EF61 6(広)が牽引する荷38レ。1982(昭和57)年12月26日、豊橋。こどもの頃に持っていた図鑑に新形F級直流機はEF60・62~66しか載っていませんでした。ある日、伯父が買ってくれたカラーブックス「日本の鉄道」を見てびっくり。EF61があさかぜを牽いていました。それからEF61は憧れの機関車に。
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馬鹿の一つ覚えですが、急行形直流電車で並べてみました。前頭部屋根…オデコの感じ、いかがでしょう。急行形直流電車は日立製がないので、ここに汽車東京も並べられればコンプリートなのです。写真の角度が違ったり、塗色が異なると見え方が変わってしまって比較が難しいですね。
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1965(昭和40)年東急製クハ115-151(新ニイ)。静ヌマ(御殿場線用)から転入。新潟では非冷房の自由方向車に、一部のジャンパ連結器を撤去して下り向き専用化した車輛がありました。本車は下り向き使用ですが撮影時点でジャンパ連結器は原形のままのようです。1986(昭和61)3月23日、東三条。
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朝の片町線長尾駅。1985(昭和60)年3月23日撮影。左:クハ103-126(大ヨト、1969年汽車製)右:キハ58 183(天カメ、1962年新潟製)。クハ103は新製配置品川で昔の山手線。森ノ宮を経て淀川に。キハ58は宮原、梅小路、米子等を経て亀山に。当時片町線は長尾~木津間が非電化で気動車での運転でした。
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1970(昭和45)年日車製モハ103-1001(北マト)。千代田線乗入れの任を解かれて快速線に転用後の姿。検査標記は60-6大井工(全検)とあります。この時期、快速線に転用された103系1000番台は塗色変更されたり冷房が付いた車輛もあれば、そうではない車輛もありました。1985(昭和60)年9月15日、取手。
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東急車輛の牽引車。私はTMSの1979年1月号でその存在を知りました。派手目の塗色で知られましたが、年代によって塗色や塗分けも変遷しているようです。写真では褪色気味ですが国電のラインカラー4色で塗分けているようにも思えますがいかがでしょうか。1982(昭和57)年10月。
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終焉迫る急行東海。5号車はサロ165-125(1968年日車支店)。新製時から横軽対策車。急行東海の最終期メンバーにはサロ165-125・126があり、両車とも1年足らずの新前橋時代を除けば常に急行東海のK編成で過ごしました。新前橋から大垣への出戻りは1969年7月が正当です。1996(平成8)年3月14日、品川。
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クハ153-552(名カキ)。153系のMM´-156,Tc-552・553は準急伊那増発のため飯田線沿線の有志が利用債を負担したといわれ、この4輛を宮原に配置して捻出した80系で伊那を増発しました。この4輛は晩年、伊那を担当する大垣に転属。伊那には使われなかったはずですが、縁のようなものを感じます。’83/1/4
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関東鉄道のキハ614。部分的に原形を残しながらも徹底的に改造されています。長く使うためには必要な改造だったのでしょう。乗車しておけば良かった。1985(昭和60)年9月15日、取手。
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今から30年前、JR奈良駅にこんな駅名標がありました。おそらく既存のものに手を加えたものだと思うのですが、なかなかのアイデアと思ったものです。しかし短期間で姿を消してしまったようです。その後、奈良駅は全てが変わってしまいました。ああ。1989(平成元)年4月4日。
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京王線調布駅のクハ2776。多摩センター方面からやってきた調布止まりの列車でしょうか。影が前面にかかってもお構いなしで撮影しています(笑) 2700系も残り少なくなった頃。ホームから見える看板なども昔の京王線らしい感じがします。1980年12月。
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1962(昭和37)年日車東京製クハ111-6(四カマ)ほか4連。国鉄民営化を前に全滅かと思われた111系は一部が四国に渡り驚きました。内外ともに手を入れられていましたが、原形はあまり崩れていませんでした。その後あちこち改造されます。東海道時代とは編成が逆向き。1989(昭和64)年1月2日、岡山。
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川越駅。一週間後には川越線が電化開業という1985(昭和60)年9月24日の撮影。 よく見れば、こじんまりした駅舎はなかなか趣があります。撮影時、もう少し構図を考えて撮っていれば…と思わないでもないのですが、これはこれでよい記録かなあ(笑)