mc54006(@bt71_3865)さんの人気ツイート(リツイート順)

1
ロマンスカーを撮ったつもりだったんですが…
2
新幹線500系が東京に来ていた頃のスナップ。1998(平成10)年。
3
横浜線の単線区間が残りわずかになり、それも複線化工事進捗ということで、八王子行きの最後尾クハ103-776の車窓から単線区間を撮ってみたものです。工事の進捗で単線区間らしさはありませんねえ。1980年代前半の横浜線は混色編成が常態化していました。1984(昭和59)年7月15日、たぶん相原~片倉間。
4
かつての国鉄バスの運転席。大事なことが書いてありますね。
5
国鉄の近郊形・急行形の前頭部屋根のメーカーごとの違いを言葉で表現するのは難しいものです。似たような角度の写真を並べてみたのですが、伝わりますでしょうか。 #伝われ
6
国鉄が販売する貨車展示の続きです。サンプル的に改装されたワフ29556のスナップ。証拠写真レベルでありますがご覧に入れます。外装は屋根や引き違い式のサッシになった側窓に注目です。1984(昭和59)年8月9日、東京。
7
国鉄が一般向けに貨車の売却を大々的に始めた頃の展示。手前からワフ29762(西ハチ)、ワフ29556(西ハチ)、ヨ6327(南マソ)。ワフ29556は改装例として外観はクリーム色、室内は和室・洋室にリフォームされていましたが、外観は貨車の標記がばっちり入っていました。1984(昭和59)年8月9日、東京。
8
私の世代、新幹線といえばこれでした。手前に山手線205系に被られてますが、まあいっか(笑) 500系と同じ日の撮影。1998(平成10)年。 500系の写真はたくさんの方にご覧いただきありがとうございました。
9
つくば博が終了し401系初期車は戦列を離れ休車→廃車の道をたどることに。翌1986年、ステンレス車体の415系1500番台が運用を開始。そんなある日、友部駅で上野行き普通列車を待っていると、近づく電車を見てびっくりしました。先頭は引退したはずのクハ401-14でした。1986(昭和61)年3月31日、土浦。
10
調子に乗っているわけでもないのですが、国鉄近郊形の前頭部屋根比較の続編。 汽車は東京工場製と思うのですが1965~68年頃の製品とは少し違って見える気がします。川重統合前の最末期の製品。日車は昔の支店製ではなく豊川蕨工場製。あとは帝車(→東急大阪)と東急がまだ残っています。 #伝われ
11
上野駅広小路口のスナップ。1988(昭和63)年5月1日撮影。当時は上野が東北・上越新幹線の起点でした。名物だった上野~浅草間の二階建てバスも写っています。
12
雨の下高井戸。1984(昭和59)年7月。
13
鳥羽を出発する奈良行き普通列車。キハ35 89+キハ58 573(天イセ)。後方にはズラリと近鉄特急が並びますが国鉄のほうは何とも言えない雰囲気。キハ58には冷房装置がありますが電源がないので非冷房状態。1985(昭和60)年8月。
14
上野駅地平ホームを通りがかったら懐かしい騒音。覗いてみるとなんと気動車。上野21:24発、キロ59 504ほかの快速エレガンスこまち。すぐそばに20系客車の急行男鹿も。夜行列車はまだまだ元気でした。上野から定期列車の気動車が消えたのは1985年3月でしたか。1989(平成元)年12月29日、上野。
15
1961(昭和36)年日立製クハ401-14(水カツ)ほかのエキスポライナー。本車はなかなか顔が拝めずにいるうち基本編成7輛化で中間に入ってしまったのですが、つくば博会期終了近くに組み替えて先頭に出て、引退の花道を飾ったかに思われました。だがしかし… 1985(昭和60)年9月15日、万博中央付近。
16
左:クハ115-21(1963年日車、新カヌ)、右:クハ115-1059(1978年東急、新ナカ)。どちらも非冷房。クハ115-21のジャンパ連結器は2位側にKE58の栓納がありますが、栓受けはKE1だけ。1位側の栓受けはKE58をKE76に交換、KE1は撤去、下り向き専用に改造したようです。1988(昭和63)年3月1日、新潟。
17
左:1978年日車製クハ103-486(北イケ)、右:1979年東急製クハ103-772(南シナ)。山手線の日常風景。205系化が進捗していましたが、まだまだ103系が多数派の頃。486は翌年津田沼へ、772は撮影直後に川越へ転じたようです。1985(昭和60)年8月25日、東京。
18
1968(昭和43)年帝車製クモハ103-148(北マト)。武蔵野線を待っていたらエメラルドグリーンの車輛が来てびっくり。撮影時点では貸出扱いだったようです。当日のメモに所属標記を書いておらず、既に西トタ標記だったのか? JRRの履歴表では5月に転属と記載。1985(昭和60)年2月11日、新松戸。
19
1961(昭和36)年富士重工製キハ57 10(名ナコ)。キハ57は信越線用で一族全車が長野に新製配置。後年名古屋局に移るものも多く本車もその1輛。初期製造で前灯の位置をはじめ前面のディテールが後の製造車とは少し違います。703Dのりくら3号で富山を目指します。1985(昭和60)年3月24日、名古屋。
20
1962(昭和37)年日車東京製クハ111-1(静シス)。111系の第一陣。新製配置は大船。1位側窓拭器は改造によるもので静岡・名古屋局の同形の多くが同様でした。デフロスタは電熱線式で原形。窓下通風口は埋め込み済み。現在保存されている状態とほぼ同じ形態。1984(昭和59)年8月20日、静岡。
21
1974(昭和49)年東急製クハ103-305(北イケ)。ATC準備車として新製された初期グループ(発注予算では第一陣)。いつでも撮れると思っていた赤羽線のカナリヤ色の103系は、埼京線開業の準備が進む中、ウグイス色への変更が進んでいました。いや済んでいたのか。 1985(昭和60)年9月1日、赤羽。
22
新宿2355発441M普通上諏訪行きの乗車が始まり座席の争奪戦が繰り広げられます。一部の乗客は狭いクロスシートには目もくれず早々に床に新聞紙を広げて座り込む(後で横になる)こともしばしば。自分も夜行では戸袋のロングシートに陣取ることが多かった。1986(昭和61)年8月9日。
23
東京駅で出発を待つ327M浜松行き。静シスのグリーン車無し10輛編成。1984(昭和59)年2月以降は完全に静岡地区のローカル運用と共通になったようで号車札もなくなりました。211系が新製され運用間近。MT46A装備の111系MM´もそろそろ終焉かなと思いながら眺めていました。1986(昭和61)年1月19日。
24
夜行列車出発前のひと時、ホーム上の売店も繁盛しているようです。1986(昭和61)年3月、上野。
25
とれいん誌のツアーに参加した際のスナップ。平成の時代にこんな電車が走っていたなんて今思えば夢のような話です。1990(平成2)年5月20日、東武日光。