mc54006(@bt71_3865)さんの人気ツイート(新しい順)

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関東鉄道のキハ614。部分的に原形を残しながらも徹底的に改造されています。長く使うためには必要な改造だったのでしょう。乗車しておけば良かった。1985(昭和60)年9月15日、取手。
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EF61 6(広)が牽引する荷38レ。1982(昭和57)年12月26日、豊橋。こどもの頃に持っていた図鑑に新形F級直流機はEF60・62~66しか載っていませんでした。ある日、伯父が買ってくれたカラーブックス「日本の鉄道」を見てびっくり。EF61があさかぜを牽いていました。それからEF61は憧れの機関車に。
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1970(昭和45)年日車製モハ103-1001(北マト)。千代田線乗入れの任を解かれて快速線に転用後の姿。検査標記は60-6大井工(全検)とあります。この時期、快速線に転用された103系1000番台は塗色変更されたり冷房が付いた車輛もあれば、そうではない車輛もありました。1985(昭和60)年9月15日、取手。
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東京駅10番線で出発を待つ横須賀線。12番線は伊豆急下田行きの臨時急行の167系。横須賀線は翌年には地下に潜ってしまい、167系の修学旅行色は塗り替えられて消えてしまいました。1979(昭和54)年3月21日。
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国鉄が販売する貨車展示の続きです。サンプル的に改装されたワフ29556のスナップ。証拠写真レベルでありますがご覧に入れます。外装は屋根や引き違い式のサッシになった側窓に注目です。1984(昭和59)年8月9日、東京。
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国鉄が一般向けに貨車の売却を大々的に始めた頃の展示。手前からワフ29762(西ハチ)、ワフ29556(西ハチ)、ヨ6327(南マソ)。ワフ29556は改装例として外観はクリーム色、室内は和室・洋室にリフォームされていましたが、外観は貨車の標記がばっちり入っていました。1984(昭和59)年8月9日、東京。
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馬鹿の一つ覚えですが、急行形直流電車で並べてみました。前頭部屋根…オデコの感じ、いかがでしょう。急行形直流電車は日立製がないので、ここに汽車東京も並べられればコンプリートなのです。写真の角度が違ったり、塗色が異なると見え方が変わってしまって比較が難しいですね。
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調子に乗っているわけでもないのですが、国鉄近郊形の前頭部屋根比較の続編。 汽車は東京工場製と思うのですが1965~68年頃の製品とは少し違って見える気がします。川重統合前の最末期の製品。日車は昔の支店製ではなく豊川蕨工場製。あとは帝車(→東急大阪)と東急がまだ残っています。 #伝われ
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国鉄の近郊形・急行形の前頭部屋根のメーカーごとの違いを言葉で表現するのは難しいものです。似たような角度の写真を並べてみたのですが、伝わりますでしょうか。 #伝われ
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1965(昭和40)年東急製クハ115-151(新ニイ)。静ヌマ(御殿場線用)から転入。新潟では非冷房の自由方向車に、一部のジャンパ連結器を撤去して下り向き専用化した車輛がありました。本車は下り向き使用ですが撮影時点でジャンパ連結器は原形のままのようです。1986(昭和61)3月23日、東三条。
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夜行列車出発前のひと時、ホーム上の売店も繁盛しているようです。1986(昭和61)年3月、上野。
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とれいん誌のツアーに参加した際のスナップ。平成の時代にこんな電車が走っていたなんて今思えば夢のような話です。1990(平成2)年5月20日、東武日光。
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東京駅で出発を待つ327M浜松行き。静シスのグリーン車無し10輛編成。1984(昭和59)年2月以降は完全に静岡地区のローカル運用と共通になったようで号車札もなくなりました。211系が新製され運用間近。MT46A装備の111系MM´もそろそろ終焉かなと思いながら眺めていました。1986(昭和61)年1月19日。
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終焉迫る急行東海。5号車はサロ165-125(1968年日車支店)。新製時から横軽対策車。急行東海の最終期メンバーにはサロ165-125・126があり、両車とも1年足らずの新前橋時代を除けば常に急行東海のK編成で過ごしました。新前橋から大垣への出戻りは1969年7月が正当です。1996(平成8)年3月14日、品川。
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ロマンスカーを撮ったつもりだったんですが…
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上野駅広小路口のスナップ。1988(昭和63)年5月1日撮影。当時は上野が東北・上越新幹線の起点でした。名物だった上野~浅草間の二階建てバスも写っています。
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上野駅地平ホームを通りがかったら懐かしい騒音。覗いてみるとなんと気動車。上野21:24発、キロ59 504ほかの快速エレガンスこまち。すぐそばに20系客車の急行男鹿も。夜行列車はまだまだ元気でした。上野から定期列車の気動車が消えたのは1985年3月でしたか。1989(平成元)年12月29日、上野。
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東急車輛の牽引車。私はTMSの1979年1月号でその存在を知りました。派手目の塗色で知られましたが、年代によって塗色や塗分けも変遷しているようです。写真では褪色気味ですが国電のラインカラー4色で塗分けているようにも思えますがいかがでしょうか。1982(昭和57)年10月。
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横浜線の単線区間が残りわずかになり、それも複線化工事進捗ということで、八王子行きの最後尾クハ103-776の車窓から単線区間を撮ってみたものです。工事の進捗で単線区間らしさはありませんねえ。1980年代前半の横浜線は混色編成が常態化していました。1984(昭和59)年7月15日、たぶん相原~片倉間。
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つくば博が終了し401系初期車は戦列を離れ休車→廃車の道をたどることに。翌1986年、ステンレス車体の415系1500番台が運用を開始。そんなある日、友部駅で上野行き普通列車を待っていると、近づく電車を見てびっくりしました。先頭は引退したはずのクハ401-14でした。1986(昭和61)年3月31日、土浦。
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1961(昭和36)年日立製クハ401-14(水カツ)ほかのエキスポライナー。本車はなかなか顔が拝めずにいるうち基本編成7輛化で中間に入ってしまったのですが、つくば博会期終了近くに組み替えて先頭に出て、引退の花道を飾ったかに思われました。だがしかし… 1985(昭和60)年9月15日、万博中央付近。
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雨の下高井戸。1984(昭和59)年7月。
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川越駅。一週間後には川越線が電化開業という1985(昭和60)年9月24日の撮影。 よく見れば、こじんまりした駅舎はなかなか趣があります。撮影時、もう少し構図を考えて撮っていれば…と思わないでもないのですが、これはこれでよい記録かなあ(笑)
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左:クハ115-21(1963年日車、新カヌ)、右:クハ115-1059(1978年東急、新ナカ)。どちらも非冷房。クハ115-21のジャンパ連結器は2位側にKE58の栓納がありますが、栓受けはKE1だけ。1位側の栓受けはKE58をKE76に交換、KE1は撤去、下り向き専用に改造したようです。1988(昭和63)年3月1日、新潟。
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京王線調布駅のクハ2776。多摩センター方面からやってきた調布止まりの列車でしょうか。影が前面にかかってもお構いなしで撮影しています(笑) 2700系も残り少なくなった頃。ホームから見える看板なども昔の京王線らしい感じがします。1980年12月。