mc54006(@bt71_3865)さんの人気ツイート(古い順)

26
上野駅広小路口のスナップ。1988(昭和63)年5月1日撮影。当時は上野が東北・上越新幹線の起点でした。名物だった上野~浅草間の二階建てバスも写っています。
27
ロマンスカーを撮ったつもりだったんですが…
28
終焉迫る急行東海。5号車はサロ165-125(1968年日車支店)。新製時から横軽対策車。急行東海の最終期メンバーにはサロ165-125・126があり、両車とも1年足らずの新前橋時代を除けば常に急行東海のK編成で過ごしました。新前橋から大垣への出戻りは1969年7月が正当です。1996(平成8)年3月14日、品川。
29
東京駅で出発を待つ327M浜松行き。静シスのグリーン車無し10輛編成。1984(昭和59)年2月以降は完全に静岡地区のローカル運用と共通になったようで号車札もなくなりました。211系が新製され運用間近。MT46A装備の111系MM´もそろそろ終焉かなと思いながら眺めていました。1986(昭和61)年1月19日。
30
とれいん誌のツアーに参加した際のスナップ。平成の時代にこんな電車が走っていたなんて今思えば夢のような話です。1990(平成2)年5月20日、東武日光。
31
夜行列車出発前のひと時、ホーム上の売店も繁盛しているようです。1986(昭和61)年3月、上野。
32
1965(昭和40)年東急製クハ115-151(新ニイ)。静ヌマ(御殿場線用)から転入。新潟では非冷房の自由方向車に、一部のジャンパ連結器を撤去して下り向き専用化した車輛がありました。本車は下り向き使用ですが撮影時点でジャンパ連結器は原形のままのようです。1986(昭和61)3月23日、東三条。
33
国鉄の近郊形・急行形の前頭部屋根のメーカーごとの違いを言葉で表現するのは難しいものです。似たような角度の写真を並べてみたのですが、伝わりますでしょうか。 #伝われ
34
調子に乗っているわけでもないのですが、国鉄近郊形の前頭部屋根比較の続編。 汽車は東京工場製と思うのですが1965~68年頃の製品とは少し違って見える気がします。川重統合前の最末期の製品。日車は昔の支店製ではなく豊川蕨工場製。あとは帝車(→東急大阪)と東急がまだ残っています。 #伝われ
35
馬鹿の一つ覚えですが、急行形直流電車で並べてみました。前頭部屋根…オデコの感じ、いかがでしょう。急行形直流電車は日立製がないので、ここに汽車東京も並べられればコンプリートなのです。写真の角度が違ったり、塗色が異なると見え方が変わってしまって比較が難しいですね。
36
国鉄が一般向けに貨車の売却を大々的に始めた頃の展示。手前からワフ29762(西ハチ)、ワフ29556(西ハチ)、ヨ6327(南マソ)。ワフ29556は改装例として外観はクリーム色、室内は和室・洋室にリフォームされていましたが、外観は貨車の標記がばっちり入っていました。1984(昭和59)年8月9日、東京。
37
国鉄が販売する貨車展示の続きです。サンプル的に改装されたワフ29556のスナップ。証拠写真レベルでありますがご覧に入れます。外装は屋根や引き違い式のサッシになった側窓に注目です。1984(昭和59)年8月9日、東京。
38
東京駅10番線で出発を待つ横須賀線。12番線は伊豆急下田行きの臨時急行の167系。横須賀線は翌年には地下に潜ってしまい、167系の修学旅行色は塗り替えられて消えてしまいました。1979(昭和54)年3月21日。
39
1970(昭和45)年日車製モハ103-1001(北マト)。千代田線乗入れの任を解かれて快速線に転用後の姿。検査標記は60-6大井工(全検)とあります。この時期、快速線に転用された103系1000番台は塗色変更されたり冷房が付いた車輛もあれば、そうではない車輛もありました。1985(昭和60)年9月15日、取手。
40
EF61 6(広)が牽引する荷38レ。1982(昭和57)年12月26日、豊橋。こどもの頃に持っていた図鑑に新形F級直流機はEF60・62~66しか載っていませんでした。ある日、伯父が買ってくれたカラーブックス「日本の鉄道」を見てびっくり。EF61があさかぜを牽いていました。それからEF61は憧れの機関車に。
41
関東鉄道のキハ614。部分的に原形を残しながらも徹底的に改造されています。長く使うためには必要な改造だったのでしょう。乗車しておけば良かった。1985(昭和60)年9月15日、取手。