mc54006(@bt71_3865)さんの人気ツイート(いいね順)

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東京駅で出発を待つ327M浜松行き。静シスのグリーン車無し10輛編成。1984(昭和59)年2月以降は完全に静岡地区のローカル運用と共通になったようで号車札もなくなりました。211系が新製され運用間近。MT46A装備の111系MM´もそろそろ終焉かなと思いながら眺めていました。1986(昭和61)年1月19日。
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馬鹿の一つ覚えですが、急行形直流電車で並べてみました。前頭部屋根…オデコの感じ、いかがでしょう。急行形直流電車は日立製がないので、ここに汽車東京も並べられればコンプリートなのです。写真の角度が違ったり、塗色が異なると見え方が変わってしまって比較が難しいですね。
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1962(昭和37)年日車東京製クハ111-1(静シス)。111系の第一陣。新製配置は大船。1位側窓拭器は改造によるもので静岡・名古屋局の同形の多くが同様でした。デフロスタは電熱線式で原形。窓下通風口は埋め込み済み。現在保存されている状態とほぼ同じ形態。1984(昭和59)年8月20日、静岡。
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1968(昭和43)年川車製クハ103-637(北マト)ほか10連。先頭の本車は撮影時点で松戸生え抜きでしたがご覧の通り朱色に塗色変更されており、この直後に豊田に移りました。この頃は103系の転配が多く、混色編成も多くみられました。1985(昭和60)年3月13日、新松戸。
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鳥羽を出発する奈良行き普通列車。キハ35 89+キハ58 573(天イセ)。後方にはズラリと近鉄特急が並びますが国鉄のほうは何とも言えない雰囲気。キハ58には冷房装置がありますが電源がないので非冷房状態。1985(昭和60)年8月。
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京王線調布駅のクハ2776。多摩センター方面からやってきた調布止まりの列車でしょうか。影が前面にかかってもお構いなしで撮影しています(笑) 2700系も残り少なくなった頃。ホームから見える看板なども昔の京王線らしい感じがします。1980年12月。
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新宿2355発441M普通上諏訪行きの乗車が始まり座席の争奪戦が繰り広げられます。一部の乗客は狭いクロスシートには目もくれず早々に床に新聞紙を広げて座り込む(後で横になる)こともしばしば。自分も夜行では戸袋のロングシートに陣取ることが多かった。1986(昭和61)年8月9日。
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朝の片町線長尾駅。1985(昭和60)年3月23日撮影。左:クハ103-126(大ヨト、1969年汽車製)右:キハ58 183(天カメ、1962年新潟製)。クハ103は新製配置品川で昔の山手線。森ノ宮を経て淀川に。キハ58は宮原、梅小路、米子等を経て亀山に。当時片町線は長尾~木津間が非電化で気動車での運転でした。
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東急車輛の牽引車。私はTMSの1979年1月号でその存在を知りました。派手目の塗色で知られましたが、年代によって塗色や塗分けも変遷しているようです。写真では褪色気味ですが国電のラインカラー4色で塗分けているようにも思えますがいかがでしょうか。1982(昭和57)年10月。
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1974(昭和49)年東急製クハ103-305(北イケ)。ATC準備車として新製された初期グループ(発注予算では第一陣)。いつでも撮れると思っていた赤羽線のカナリヤ色の103系は、埼京線開業の準備が進む中、ウグイス色への変更が進んでいました。いや済んでいたのか。 1985(昭和60)年9月1日、赤羽。
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1962(昭和37)年日車東京製クハ111-6(四カマ)ほか4連。国鉄民営化を前に全滅かと思われた111系は一部が四国に渡り驚きました。内外ともに手を入れられていましたが、原形はあまり崩れていませんでした。その後あちこち改造されます。東海道時代とは編成が逆向き。1989(昭和64)年1月2日、岡山。
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1965(昭和40)年東急製クハ115-151(新ニイ)。静ヌマ(御殿場線用)から転入。新潟では非冷房の自由方向車に、一部のジャンパ連結器を撤去して下り向き専用化した車輛がありました。本車は下り向き使用ですが撮影時点でジャンパ連結器は原形のままのようです。1986(昭和61)3月23日、東三条。
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今から30年前、JR奈良駅にこんな駅名標がありました。おそらく既存のものに手を加えたものだと思うのですが、なかなかのアイデアと思ったものです。しかし短期間で姿を消してしまったようです。その後、奈良駅は全てが変わってしまいました。ああ。1989(平成元)年4月4日。
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クハ153-552(名カキ)。153系のMM´-156,Tc-552・553は準急伊那増発のため飯田線沿線の有志が利用債を負担したといわれ、この4輛を宮原に配置して捻出した80系で伊那を増発しました。この4輛は晩年、伊那を担当する大垣に転属。伊那には使われなかったはずですが、縁のようなものを感じます。’83/1/4
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1966(昭和41)年川車製クハ165-129ほか11連(静シス)。1979年9月に浜松工で前面強化。113系1500番台と同じく前灯位置が高いですが関連性は無いのでしょうね。長年大垣持ちだった東海のK編成は1989年に静岡移管。移管後しばらくして幌を上り向きに付けるように変更。1989(平成元)年12月30日、真鶴。
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川越駅。一週間後には川越線が電化開業という1985(昭和60)年9月24日の撮影。 よく見れば、こじんまりした駅舎はなかなか趣があります。撮影時、もう少し構図を考えて撮っていれば…と思わないでもないのですが、これはこれでよい記録かなあ(笑)