Susumu Hirasawa(@hirasawa)さんの人気ツイート(リツイート順)

1926
そんなステルスは今ZCONに後方下部双突肉塊を蹴られている。
1927
ある人から「貴方は音楽のお仕事をしているそうですが、どんな音楽ですか?」ときかれて2か月も誤魔化し続けているというのに。 カラオケのドア一枚開ければ街中で暴露されてしまう危機的な状態にどうすれば耐えられましょうか?
1928
さて、今日もこれでおいとま。 オマエタチは大切な人と左右の鼻の穴になってください。 またこんど!!
1929
もし80年代のニューウエーブバンドが病院を経営していたら、私は迷わず救急車の運転手にこう言う 「突然段ボールの病院へお願いします」
1930
到着すれば既に5台の先客。 供給車は5台を満タンにする量しか運んでこない。 皆手ぐすね引いて待っていたのだろう。これを逃せば命はないと真剣な思いでたどり着いたのだろう。 ああ、私は6台目。
1931
同じ車両でも東京都ははみ出さない。新松戸にはロックンロールの集落があり、柏にはビジュアル系の集落がある。 つくばでさっぱりする前にやられてしまう。 文化は常に川向こう。
1932
あれがルビイとシトリンなら私ぶたれます。
1933
この度のエンディングは2種類3タイプ、ということとなります。 勿論2種類とは OKとNGのこと。 そしてNGには若干異なる2タイプをご用意しております。と書きつつ3タイプめを思いつく墓穴。
1934
日本で臭いメシというのは麦飯のことらしい。 私は麦飯を臭いともマズイとも思ったことがない。タイ米も良い匂いだ。 25歳周辺。P-MODEL初期のころはお金が無くなる前、麦飯が私の常食だった。 あ!麦のようなヤギの目。
1935
私は「いったい誰がヒラサワをこんなにした」と評価される 転換は経たものの、過去の栄光にすがるような醜態は晒して いないと自負する。したい。するはず。する。する時。
1936
なんか雨漏りの応急処置してるみたいだな。 ウチの屋根に雨降んな!
1937
そんな警察官のために40分も割いてやったのだから過去の駐禁の罰金返して。 とくにランドセルのころが最も貧乏なのであの頃の楽器車の駐禁とレッカー代返して。
1938
水素ステーションで「これ応募してください。抽選で当たります」と言って渡されたチラシには当選品の端から端まで肉、肉、肉。 オジサンの顔を立てて応募しますが、私に当てないでください。
1939
BSPはじっと待つが吉。 そうすればきっと吉。
1940
憲兵より怖いお隣さん。
1941
新着マイクの性能が良いとハッキリとわかる。 ヒラサワの声が本人以上の声になる。別人にならないのが残念。 大平透先生の声になるマイクはどこですか?
1942
口で結んだサクランボの枝をそっと多めの飲み代に添えてカウンターに置き、一人バーを去る男ですから。 誰が。
1943
カーーット!!! 物語は終わりました。 小さなスイカの正体は マイクロきうりという野菜です。 きうりです。
1944
「170帰路の1分間」の仕切り直しを考察している。 様変わりして再開されると思われる。 え。
1945
50年の間にこねくりまわした創造のエーテルは常磐線に出没した担ぎ屋のオバチャンが奇跡と共に背負う荷物より重く、その容積は闇夜にヘタをつけたような大きさの茄子より大きい。回顧してそれを呼ぶなら「無駄骨」ではあるがその骨格が有ってのステルスだ。 それを僅か数ミリのアクリル板にするだと?
1946
私が「そうだ」と言い、世間が「バカを言うな」と言ったことは早くて5年、遅くて20年程度以上の遅延を持って世間も「そうだ」と言い始める経験の積み重ねが私の人生と言っても過言ではない。 (そもそも人はこの話に「バカを言うな」と言う)
1947
電話帳を開き(当時インターネットはない)、近所の老人ホームを探す。 葛飾区のとある老人ホームへと15Kg近くあるレコーダーを持って出かけた。なぜか絶対できると確信していたのでアポなしで突撃した。
1948
五代目志ん生師匠が高座で寝てしまったのを見た観客は「志ん生の寝姿見れるなんざいいね、おもしれーから寝かしとこうじゃねーか」と言ったそうで、もしヒラサワがライブが終わるまでずっと床でヒクヒクしていたらどうだろう?
1949
次の夏には浴衣を着て小瀬ちゃんの背中に笹船を浮かべよう。
1950
誰かがプールサイドで呼ぶ声を水中で聞く時のように、「来年」の「時間」を区切っている。 泡の音と共に、ライブの日程が聞こえて来る。 「これでいいですかー?水中の人ぉー」 「異存ありません」と思念すれば良い。それが現実だ。