早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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8月1日は「富山大空襲」が行われた日。昭和20年8月1日、170機以上ものB29爆撃機が、富山市内に無数の焼夷弾を投下。2700名以上の方が亡くなった。富山市には7月20日に「模擬原爆」も投下されている。これは長崎型原爆「ファットマン」に似せられた爆弾で、データ収集のために使用された。合掌。
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昭和19年8月2日、岩手県出身の海軍整備兵長・遠藤英悦は、北マリアナ諸島のテニアン島で戦死。遺書にはこう綴られている。「もとより一点の未練なからん。しかれども熱血の裏面すなわち多涙なれば、今宵のこの月を見て、念頭の忽然として故郷の山川草木を浮べ出でぬ」享年若く21。合掌。
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特攻隊員の方々の遺書より。享年は左の前原軍治曹長が24、右の小野田務少尉が19。内容はもちろんだが、戦前の青年の達筆さには心打たれる。
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最新刊『昭和史の声』(飛鳥新社)刊行。約20年に及ぶ取材生活の集大成となる渾身の一作です。南京戦、特攻、BC級裁判など、当事者からの貴重な「叫び」にぜひ耳を傾けていただければと思います。 【Amazon】amazon.co.jp/dp/4864107750/… @AmazonJPより 【特設サイト】hanada-plus.jp/articles/466
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。
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ペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨の数は、実に112万柱にも及ぶ。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して4年。しかし、「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題はなお山積している。遺骨収集は、国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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今年は戦後75年の節目ですが、陸軍中将・樋口季一郎の没後50年にあたる年でもあります。樋口は杉原千畝よりも前に多くのユダヤ難民を救出した陸軍軍人。占守島の戦いによって北海道をソ連の侵略から守った人物でもあります。教科書にはこういった人物の功績こそしっかりと記載してほしいと思います。
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ペリリューの激戦からの生還者、土田喜代一さん。「平和な世の中が、ありがたくて、ありがたくて。無念の思いのまま散っていった戦友たちの分まで懸命に生きようと、それだけを考えていました。それが私の戦後です」。そんな土田さんも、2018年10月に逝去。感謝と鎮魂の思いを改めて。
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営するダニエル・ディソンさん。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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台湾にある「飛虎将軍廟」の祭神は、杉浦茂峰という日本兵。台南上空での航空戦の際、杉浦の乗った零戦は被弾。機体の降下先には集落があったが、彼は零戦を懸命に操作し、村への落下を回避した。結局、杉浦は米軍機の攻撃により絶命。この恩に報いようと集落の人々が建立したのが飛虎将軍廟。
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台湾南部の農業の発展のため、烏山頭ダムを建設した八田與一。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫がつくったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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「なぜ70年以上も前の戦争の話を書くのですか?」と時々聞かれます。しかし、現在の政治や外交、憲法、教育等の問題も「戦争認識」に大きく左右されています。歴史観とは価値基準の土台。だからこそ、より正確な歴史観を丁寧に広げていく作業が、とても重要だと思っています。
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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ペリリュー戦からの帰還兵である永井敬司さんの言葉。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。そんな永井さんも2019年11月4日に御逝去。合掌。
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ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
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パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱もの御遺骨が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。彼らの声に耳を澄ましてほしい。
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ペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨の数は、実に112万柱にも及ぶ。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して4年。しかし「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題はなお山積している。遺骨収集は、国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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靖國神社を参拝。日本の夏はお盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいものです。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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先の大戦を通じた「失敗学」はもちろん重要。軍への批判も多角的に行えば良い。しかし、だからと言って軍そのものを「悪」の一語で括ってしまうような史観はあまりに安直。軍人の中にも樋口季一郎や中川州男のような学ぶべき人士は少なからずいた。こういった人物を教科書でも丁寧に教えていくべき。
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先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された経験を持つ宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。
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8月15日。 日本人が戦争と平和について深く思いを寄せるべき日。 戦時中、多くの方々が「未来の日本人のために」との思いで身命を賭して戦いました。 そんな戦没者の「みたま」に哀悼の誠を捧げるのは、言わば当然のことではないでしょうか。 「未来の日本人」の一人として。
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オピニオンサイト「iRONNA」に、樋口季一郎に関する論考を寄稿しました。樋口の功績は、もっと多くの方々に知っていただきたいと思っています。是非ご一読下さい。 樋口季一郎の埋もれた功績、ユダヤ人を救ったもう一つの「命のビザ」 (早坂隆) - iRONNA ironna.jp/article/15610 #iRONNA