Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(新しい順)

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第4回十字軍「エジプトに行こうと思っていたらコンスタンティノープルを攻め落としていた」 #みんなの狂った旅程を教えて
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この10年ほど、週刊誌やスポーツ紙が視聴率をネタにして執拗に大河叩きを続けたせいで、大河視聴勢は外野の声をあまり気にしなくなったようにも思える。
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トレンドに帯状疱疹が入っている。50歳からワクチンが打てるのでシニアの病気だと思われがちだが、疲労やストレスが溜まると若くても発症するので適度に休んでストレスを抜いていきましょう。 (自分はアンダー50だが発症した)
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トレンドの「えっちベルト」とは未来惑星ザルドスだろうか。
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英語版Wikipedia「暴れん坊将軍」をGoogle翻訳することで得られる栄養分。
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デアゴスティーニから「隔週刊・暴れん坊将軍」が刊行されると聞き、「毎号一つずつのパーツを組み立てて、君だけの上様を作ろう!創刊号はちょんまげが付いて490円!」かと想像したが現実は違った。 (DVDコレクションだった)
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信玄が死に、蒸し風呂に入る家康。今回は実質的に「テルマエ・ロマエ」ではなかろうか。 #どうする家康
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摩利支天は天部の一尊。梵天の子、または日天の妃とされる。陽炎、陽光、月光が神格化されたもので、陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かないことから、戦場を往来する武士の間に摩利支天信仰が広まった。三面六臂または三面八臂で猪に乗った姿を取る。 #どうする家康
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武田信玄の辞世は「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」もしくは「大底還他肌骨好、不塗紅粉自風流」と伝わる。「世の流れに任せて生きよ、飾らず己の姿のままこそが風流である」という意味になる。無常を詠む辞世が多い中で生きることを説く、興味深い辞世である。 #どうする家康
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結城秀康は、天正2年(1574年)2月8日に遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。母は万(於古茶)、幼名は於義伊。万は家康の子を身籠った際に正室である築山殿によって浜松城から退去させられていたため、於義伊は家康の子として認知されず浜名湖の水運を取り仕切る中村家で養育された。
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ゼレンスキー大統領は半裸ピアノや全裸自転車の動画がバズった時に、「恥とプライドは捨てたが国と国民は捨てなかった」という素敵なコメントが付いていたことを忘れない。
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島原の乱は、民衆蜂起であると同時に滅亡した九州の大名(有馬氏、小西氏、天草氏、志岐氏)の浪人の起こした内戦でもある。なお、天草の領民にも幕府方に加勢した者もあり、また数多くの浪人が幕府勢に加わっていた。
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現在のツイッターランドにおけるKONAMIの好感度(イメージ)
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みんな大好きガーナの映画ポスター #好きな映画ポスターを晒す
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ヒストリカルな絵画の再現で一番好きなのは、イリヤ・レーピンの「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」の写真。
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ゴーストフィルムを貼っている車をしばしば見かけるが、大体車の外観も運転マナーもアレな輩ばかりなので実質禁止も当然としか。 クルマの中が見えない「オーロラフィルム」「ゴーストフィルム」についにメス! 国土交通省による「実質禁止」の通達とは webcartop.jp/2023/05/111097…
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夏目吉信は、戦場に留まろうとする家康の馬の尻を刀の峰で打って走らせ、戦場から撤退させた。それを見届けると自らを家康と称し、十文字の槍を持ち、25騎を率いて武田勢の追手に突入し戦死した。享年55。家康はその忠義に感じ入り「信誉徹忠居士」の戒名を与え月拝供養を命じた。 #どうする家康
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巷間で知られる吉信という名前と、史料に残る広次の名をこういう形で活かしたのはとても良かったと思う。広忠に改名を命じられた時、「広」の字を偏諱で賜ったのだろう。 #どうする家康
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三方ヶ原で引き倒される家康の馬印。この次に家康の馬印が引き倒されるのは42年後の大坂夏の陣、同じ武田の流れを汲む赤備えの軍勢によってである。 #どうする家康 #真田丸
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闇バイトの勧誘も単純に「手っ取り早く金を稼ぐ」的な欲望を刺激するだけではなく、「うまく世渡りして成功する」といった(根拠のない)夢や希望を抱かせてモチベーションを維持させるという意味では、自己啓発セミナーやマルチ商法、カルトとの共通点が多いのだと思う。
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大分昔に縁が切れた知人が某マルチ商法に引き入れられた際、部屋中にポジティブワードを書き連ねた紙を貼っていたことを思い出した。 (邪悪な『思考は現実化する』だと思った)
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小梅大夫(しょうばいたいふ) 周代の大夫。字は竹生(ちくしょう) 顔を白く塗り立て、歌舞に秀でていたという。また自らの領地に宿舎を建てて多くの人を住まわせ、その礼金で豊かな生活を送っていたとされる。 (民明書房刊『エンタの死神』より)
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金曜日だ。
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今朝の地震における教訓