→アウティングされた人は、アウティングされた内容を否定する(=何も隠してはいないと宣言する)か、それを肯定する(=今まで隠し事をしていたと認める)か、実質二択を迫られる。いずれしてもアウティングされた特定のセクシュアリティは「隠す必要がある/あったもの」という位置づけになる。
→否定も肯定もしなければ良い、無視すれば良い、と考えるかもしれない。けれども、アウティングを否定しなければ「隠すものがなかったとは言えないのだろう」とみなされる。とりわけ、特定のセクシュアリティがクローゼットに入れられている社会、つまりデフォルトが異性愛である社会においては。
→ N党の反応が卑劣なのはまさにその点だ。 アウティングへの抗議はしばしば「アウティングの内容が本当だったから問題なのか、それとも間違っていたから抗議しているのか」と言った議論に落とし込まれ、肯定か否定か無視かを明確にするよう迫られる。 抗議自体がアウティングの罠に取り込まれる。
→ そのような議論に巻き込まれまいとすれば「当事者からの申し出がない」とみなされ、否定しなかったことになる。 かといって抗議をするとほぼ確実に「それならやはり今まで隠していたのか」という議論になる。 「当事者からの申し出を待つ」というのはそうやって当事者を追い込むことでもある。
亡くなったばかりの故人(しかも政治家)の声を勝手に合成して第三者が作文したものを読み上げさせるというのは、少なくとも倫理的にはかなり問題ありそうな気がしていたし、それを考えるとリンクを貼られた学科側の対応が早いのも当然なのだろうな。 bit.ly/3LI1sDA
映像見たらびっくりするくらい不気味だったので、みんな色々言っているけどそもそもこれは同意の笑い声がある種の暖かい感情を引き起こし得る条件とはみたいなことを考える実験なのではと思って本文を読んだら、「心が通じ合ったように感じた」みたいな話になっていたので、もう人間がわからない。 twitter.com/nhk_news/statu…
→ ある意味で、どう考えても内心とは切り離された営業系スマイルやお愛想やお世辞を若い女性から求める心情というのは、こういうものを嬉しいと思って受け入れるところまで行き着くのか、という驚きもある。
→ 個人的に気になるのはこういうロボット的なものが「高齢社会」と結びつけて提示されがちなところで、私自身ルンバに話しかける系の人間なのでロボットに話しかけても無意味とは全く思わないけれど、それでも、高齢者の孤独を考えるときにまずそこなの?という引っかかりは拭えない。
そもそも国葬があり得ないけど、こんな形の弔意表明の強制なんて絶対に許されない。 twitter.com/mainichi/statu…
これ私も思いました。 NHKドラマの広報文で「女性を取り巻く現実や、女性同士の連帯、そして2人の間で育まれる恋愛を描く作品」出たのは嬉しい。「恋愛だの友情だのの区別ではなく」とかましてや「禁断の」的な表現ではなく、この作品については「女性同士の恋愛」と言ってくれて本当によかった。 twitter.com/nayuta_miki/st…
ええ、そうなんですが、私自身、どちらかがバイセクシュアルやパンセクシュアルでも女性同士の恋愛がきちんと描かれればそれでOKとしてしまいがちだな、と思って。でも、日本でのレズビアン表象の現状を考えると、レズビアンという単語の欠如は確かにきちんと指摘されるべきですよね。 twitter.com/mameta227/stat…
→ 個人的に「レズビアンの語の欠如」が修正されるべきだと思うのは、日本語圏でレズビアンが不可視化されてきたのに加えて、レズビアンがそれと同時に特定の領域で(要するに異性愛男性向けポルノの文脈で)超可視化されてきたから。単に不可視であるにとどまらない負荷がかかってる。
人選も人選だけど未来の幼児教育を男性だけに語らせることに違和感を覚えない人たちに未来の幼児教育を語る企画をさせたらまずいだろうなあという気もする。 twitter.com/hayakawa2600/s…
【東大クィア講座】 通しでは12回目、KOSSに移動しての第2期で3回目のクィア講座です。今年もよろしくお願いいたします。 「トランスジェンダー理論:性別という時間」(全6回) zoom開催・参加費無料・要申込↓ 講師:葛原千景(東京大学大学院総合文化研究科博士課程) 初回は12/1(木)19:30- twitter.com/koss_ut/status…
RT。ツイッターの大量解雇、私も自分のところに流れてくるものしか見ていないけれども、日本語のツイートだと「当然」「成果出してないならクビでしょ」というような意見が目について、すごく気になっていた。労働とか労働者の権利とかをめぐる感覚がなんか決定的にずれている。怖い。
→正直SW論を巡ってここまで話が噛み合わない理由のひとつもそれだと思っている。新書でもSW論が「労働者の権利」の主張とは絶対に切り離せないことは意識的に再強調したけれど、そもそも「仕事なら文句を言うな、我慢しろ」という感覚がまかり通る社会では「労働である」と言う主張が意味を持たない。
原則としてカミングアウトにおいて相手の事情を斟酌する必要などありません。カミングアウトは相手の異性愛主義(今回ならシスバイナリズム)の前提を揺るがすという政治的側面をもつものだからです。とはいえ勿論実際に不利益を被るのは当事者側なので、カミングアウトの判断は慎重に行うわけですが。
→ だからカムアウトは一方的で良いのですが、同時に「一方的にカミングアウトされた」という言い方には慎重であるべきです。相手に一方的にカムアウトされたから自分はこのような振る舞いに追い込まれた、というのは、しばしばフォビックな文脈で使われてきたからです。例えば一橋大学の件のように。
それはそれとして、あなたは当事者ではないと示唆されてカムアウトせざるを得なかったと言う人に向かって誰も強制してないじゃん自他の境界線!と爆笑した人がその後周囲から当事者ではないように扱われるからカムアウトせざるを得なくなったこれはいじめだ、というの流石にエクストリーム擁護では。
「シスの人々が上から押し付けてくる「温情」や「助言」なんて、まっぴらごめんです。トランスたちの言葉をかすめとって、結局は自分の興味のあることを大声で話しつづける「トランスアライ」は、消え去るべき」 これからはトランスの話を - ゆと里スペース yutorispace.hatenablog.com/entry/2022/11/…
女性としてのみ生きてきてこれからも生きていく立場から申し上げれば、「まず」必要なのは、「トランスの人は必ず誰でもトイレを使ってね」という隔離言説の拡散によって人々が現に使っているトイレを今以上に緊張を強いる危険な場にしない事です。多様な学生を見てきた教員としてはそれが最優先です。 twitter.com/trinitynyc/sta…
→ 「まず」それをすべきなのは、トランスの人々は既に共に生活していて、十分な数の誰でもトイレや安全なジェンダーフリートイレを設計し増設/新設するには(それは勿論重要で今すぐ着手しても遅すぎるくらいですが)時間がかかるからです。既に生きている人々の時間を止めることはできないからです。
→ もちろん「まず」同時に必要なのは、新増設されるトイレに限らず、現存のトイレを少しでも安全な場所にしていくことです。それは管理側で人の目を増やすことかもしれないし、性暴力を許容しない教育をきちんとしていくことでもあるでしょう。いずれにせよお金はかかるけれど、やるべき事です。
なんてこと。 クィア系ナイトクラブでの無差別銃撃。 nytimes.com/2022/11/20/us/…
これ、男子学生にも不当だし、ゼミ所属の女子学生の心身の安全も非常に懸念される案件で、本当になんというかとんでもない。 男性の大学教員、ゼミの選考で男子学生を不利に扱う説明「女子は基本的には応募=採用」「公式には言えない」(ハフポスト日本版) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/4d526…