高知東生(@noborutakachi)さんの人気ツイート(古い順)

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俺は、若い頃は年を取ったら人生が終わるような感覚があった。楽しいことは若い頃にしかないという思い込みがあった。だが俺と同じ感覚を持つ若者よ、安心してくれ。大人って生きてきた道ができるんだ。スキルも身についているし、人間関係も蓄積されている。大人だから実現できる夢や仕事も沢山あるゾ
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かつては日本中から嫌われている気がしていたけど、最近は気の合う仲間達ができて、仕事でも再起を応援してくれる人達に出会えて、温かい空気に包まれることが多い。俺は二度と幸せになっちゃいけないと思っていた時期もあったけど、実は俺の幸、不幸は他人の人生には一切影響ないんだよな。楽しもう
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親しくもない人には奢ったり親切にするのに、身近にいる人はぞんざいにしてしまう。俺自身は他人のことなどいちいち気にしてないのに、自分は他人の評価を気にしてしまう。身近な人に親切にして、たいして親しくもない人には見栄を張らない。自分と他人の評価を気にしない、こうすれば人生楽になりそう
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独身になって思うけど男はなんでも自分のことは自分でやった方がいいゾ。俺たち世代以上だと身の回りの世話や家事を女性に任せっぱなしとか、職場でも雑用をやたら部下に押し付けるなんて人がいるだろうけど、面倒を見させられてる方はたまんないよ。やらせてる方は鈍感だけどやってみると大変さが判る
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自分に厳しくしてくれる人こそ自分を思ってくれる人だと変な刷り込みがあったが、結局ガミガミ言われても俺は変われなかったな。逆に今のように自分を大事にしてくれる人に囲まれていると、素直に他人の意見が聞ける。人は懲らしめや罰ではなかなか変われないけど、優しさを与えられると変われるんだな
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人って他人から与えられる言葉や評価に価値を置くけど、本当は自分に与える言葉や評価が大事なんだよな。そんなもんで自分は喜べないし、変れないと思っていたけど、自分の中に自分軸の芽が出てくると、自分の声が自分を育ててくれる。他者が評価してくれなくても自分の満足感の方が嬉しくなる日が来る
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仲間が自死したとの連絡が来る。自分の経験と支援に関わってみて依存症と死は紙一重だと思い知る。生死を分けるのもほんの少しの差のような気がする。なんとか助かって欲しい。手を出すのは簡単でも、誰が罹るか分からない、死ぬまでやめられない、そんな苦しい病気があることをもっと啓発して欲しい
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俺は自分で「あぁなりたい、こうなりたい」と願う生き方を変えて、あるがまま、与えられたものを有難くやってみる生き方に変わった。逮捕後否が応でもそう生きるしかなかった。そのお陰で自分という枠が取っ払われ新しいチャレンジができた。自分を閉じ込めているのは過去からの思い込みや刷り込みだな
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今日で自助グループの仲間に繋がって丸4年。最初は「こんな奴らと一緒にすんな」と思った。そしたら仲間に「高知さんがこんな奴らと思ってる奴らもみんな最初は一緒にするなと思ってんですよ」と言われ驚いた。そうか!それが依存症が「否認の病」と言われる所以か。「こんな奴ら」付き合うと最高だよ
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相手の機嫌の悪さは自分のせいじゃないゾ。相手の機嫌は相手の責任。もし相手の言う通り全てを変えても絶対に満足なんかしないから振り回されない方がいい。案外振り回されない相手には機嫌とったりしてるんだから、自分が感情のサンドバッグになっちゃダメだ。「私がいなきゃダメになる」は脳のバグ
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俺達依存症者の回復プログラムは「助ける者が助かる」という仕組み。それは他人の幸せを願っている時って自分も幸せな気分になって苦しみやストレスから解放されているからなんだって。確かに!ストレスがたまると俺達はまた依存行動に戻りがち。でも他者貢献を実感している時は確かにノンストレスだな
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最近会う人ごとに「昔と変わった」と肯定的に言われる。昔の俺はどんなだったんだ?と思うがカッコつけていたことは間違いない。弱味を見せず、見栄を張ることで人に愛されると俺自身が信じていた。素の自分を出し始めた頃は自分が腑抜けになった気がした。今は素の自分こそ自信が持てる様になってきた
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自分が今幸せかどうかって自分の絶対評価で決めればいいんだよな。「健康だから幸せ」でも「友達に恵まれてるから幸せ」でもいい。それを「車を持っていないから」「結婚してないから」「稼ぎが少ないから」とか他人との相対評価にしたら幸せは遠のく。充分与えられているのに気づけないって勿体無い
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田中聖君の判決。生意気だがあえて司法の専門家に言わせて貰うが、検察、弁護士、裁判官の皆さんが誰一人として薬物依存症の正しい知識がないことに愕然とする。検察側は「常習性は顕著で、再犯の恐れは大きい。厳重な処罰が不可欠」と言うが、常習性が顕著=薬物依存症であり処罰ではなく治療が必要
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弁護士は「薬物依存から脱却する意思は強固で、再犯の恐れはない」と言うが、薬物依存は強固な意志の力だけでは脱却できない。今の状況で再犯の恐れがないとは誰にも言い切れない。再犯しないためには、社会に出ても治療や自助グループを継続すること、そして自助グループでは正直になることが大切だよ
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そして聖君とは今度こそ、万が一再発した時でも、正直に打ち明けて貰える信頼関係を築きたいと思う。
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そして極めつきは裁判官の「法軽視の傾向は、非難に値する」という言い分。「いや、法を軽視しているわけではなく、彼は病気なんです。他の病気だったら病人を非難しますか?」と聞きたい。聖君に必要なのは司法の罰や懲らしめや非難ではなく治療の継続だよ。
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「少なくとも薬物依存症の人に『一発アウト』みたいに言うワイドショーは減ったよね。高知さん達の頑張りのお陰」と言われることがある。薬物依存症問題に苦しむ家族の力になれることが一番嬉しい。自分の家族を傷つけてしまった俺の罪滅ぼし。今後も薬物依存は回復できると伝え続けられる自分でいたい
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子どもの自殺が過去最多というニュースにショックを受けた。特に男子高校生が学業不振や進路の悩みで亡くなっているという。俺の勝手な推測だが、それだけ大人達が追い込んでいるのではないか。「良い学校に入って、良い会社に行かなくては、未来はない」どこかでそんな風に刷り込まれているのかも
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子ども達は時代の閉塞感に苦しむ現状の大人達を見て絶望していくのではないだろうか。学歴が役立たないとは言わない。でもそれが全てでもないし大人になった方が世界はぐっと広がるはず。でも大人達が夢や希望を持てる社会じゃなかったら、子ども達に夢や希望を叶えろと言っても無理な話だ
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子どもは大人より助けを求められない。大人より理不尽な我慢を強いられる。その上コロナ禍で楽しい青春時代の行事を奪われてきた彼ら。もっと手厚いケアを与える必要があるのではないか。多様性を認めて貰える学校のあり方を検討すべきではないか。大人達を含め救う手立てを早く講じて欲しいと願う
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俺は近道がないかと探すような生き方をしてきたが勿体ない生き方だったなと今更ながら思う。コネを使って得するより、道なき道を仲間達と開拓した方が、面白いし、自尊心や知恵も身につくし、信頼関係も生まれるし良いこと沢山あるのにな。結果ばかりにこだわってプロセスを楽しむことを知らなかった
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津波で被災し東京の区民住宅に入られた方がその後支援に繋がれず家賃800万円を請求されたという記事を読んだが支援って点ではダメなんだよな。面になっていかないと。あと健康で、家族や友人が身近にいて、社会性というポテンシャルのある人には想像もつかない困難ってあるからその辺も配慮しないとな
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孤独に沈んでいた時に助けの手を差し伸べてくれたのは、事件後に知り合った人達ばかりだった。新しい人間関係は俺の狭い視野に新しい価値観を育ててくれた。今となっては貴重な経験。苦しい人間関係から逃げられないのは、そこしか居場所がないと思いこむからだよな。でも別の場所でも居場所は見つかる
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「俺ができたんだからお前もできる」ってよく言ってたが、これって実は傲慢で相手の失敗を許さない言葉だなと気づいた。人はポテンシャルが違うんだから、できることも人それぞれ。「俺はこれでできるようになったからお前もやってみろよ。お前に向かなけりゃまた考えようぜ」これからはこんな風に言う