子どもがルールを守らない時は、「その子が守れないルールを作っていないか」と自問しています。 「その子が守れないルールを一方的に作る」という事は、「その子をルールが守れない子にする」という事です。 守れないルールを一方的に作るくらいなら、そもそもルールなんか作らない方が良いんです。
子どもを助けてあげて下さい。 子どもに「助けて」と言われたら助けてあげて下さい。子どもが「助けて」と言えなくても助けてあげて下さい。そして、子どもが「助けて」と言える事を助けてあげて下さい。 辛い時ほど「助けて」を言うのが怖くなるんです。「助けて」を誰かに言うって、大変なんです。
子どもを守っているようで、自分を守っている大人をたまに見ます。
勇気を振り絞ってSOSを出した子どもに対して、「早く言ってくれればよかったのに」と言ったのならば、子どもからのSOSはそれで最後になるかもしれません。
時々、「自分を救うために子どもを救おうとしていないか」と自問しています。
子どもに「いつでも相談してね」とだけ伝えると、「ん?相談してもいいっぽいけど…どのタイミングで?」と思わせてしまう可能性があります。 なので、「ちょくちょく声かけるからさ、もしその時に話せたらちょっと話聞かせてよ〜」と、相談のタイミングを子どもに丸投げしない形で声をかけています。
頑張り過ぎている子に「頑張らなくていいよ」とだけ伝えると、「今までの頑張りを認めてもらえなかった」と感じさせる可能性があるので、現場では「かなり頑張っているし、少し休んでもいいんじゃない?って思っているんだけど…正直休んでもいいと思えてる?」的な感じで子どもに休息を促しています。
子どもに怒りを感じ、強い言葉を使いそうになった時は、「その言葉をこの子が他の子に使うかもしれないけど大丈夫?」と自問するようにしています。 自分を『叱責モード』から『諭すモード』に切り替え、自分の為の言葉ではなく、その子の為の言葉を使った柔らかい関わりにつなげる私なりの工夫です。
「やるべきことをやってから」と言われた子どもは、2秒で心を閉ざします。
目の前の子どもを「良い子」と感じた時にする事は、「自分は不機嫌になっていないか」という自問です。
「自分は子どもを変えられない」と自覚する事が、子どもを支援するための第一歩なのかもしれません。
児童精神科に勤めて早10年。 子ども達の話を聞きまくってきた私が辿り着いた【子どもの話を聞く時のポイント】をシェアします。 子どもの話を聞く時のポイントは 『子どもの話を聞く事』です。 いいですか皆さん? 子どもの話を聞く時のポイントは 『子どもの話を聞く事』です。 これはガチです。
子どもが自傷した傷を見せに来た時、「もうしないと約束しなさい」と言いたくなりますが、この様な対応は子どもを『誰にも頼らない』という更なる自傷に向かわせてしまいます。 なので私は、「よく来てくれたね。傷を見せてくれてありがとう。」と、子どもの勇気を讃える所から対話を始めています。
「何度言ったらわかるんだ!」を子どもに言わず、「何と言ったらわかるのか?」と自問するのが子どもの支援者だと思います。
私は子どもに「生きてりゃいい事あるよ」を言いません。 ・生きる事に疲れてしまった子 ・生まれてきた事を後悔している子 ・生きたい気持ちを認めてもらえない子 こんな子ども達もいるのです。 「生きてりゃいい事あるよ」と言える人は、生きてていい事があった人です。生きるって、大変なんです。
私が子どもをほとんど叱らないのは「叱らない方が効果的!」と考えているからではなく、「叱ってもあんま意味ないな…」と経験的に理解しているからです。
大人は「話さないとわからないよ?」と言う。 子どもは「話せないの。わからないの?」と思う。 このすれ違いに気づいていますか?
『子どもが朝スッキリ起きてニコニコ登校し、学校では友達と仲良く遊んで勉強し、帰ったら家のお手伝いをし、スマホをやり過ぎず家族との時間を大切にし、翌日の準備をして夜9時には寝るようになる』方法が知りたいですって? _人人人人人人人人人人_ > そんなものはない <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
子どもが発する様々なSOS集『増える編』 ・性的な発言が増える ・忘れ物が増える ・ボディタッチが増える ・聞き返しが増える ・痛みの訴えが増える ・謝る事が増える ・独り言が増える ・まばたきが増える ・夜尿が増える 『いつもより〇〇が増えている』は、子どものSOSである可能性が高いんです。
子どもがこれから進む道を舗装するのではなく、子どもがこれから進む道に休憩所と逃げ道をめっちゃ設置しまくるイメージで看護を展開しています。
子どもの「死にたい」は多義語です。 ・死にたくない ・話がしたい ・認めてほしい ・助けて ・1人にしないで ・甘えたい ・ムカつく ・寂しい ・自分が嫌だ 子どもからの「死にたい」を聞いた時、「死にたい」気持ちを認めて受け止め、どうしてそう感じているのかに心を寄せて話を聞いています。
子どもに怒りを感じた時、自分の感情に集中すると、そこには『裏切られ感』があったりする。 更にこの『裏切られ感』に集中すると、『子どもへの過度な期待』を持っていた自分に気づいたりする。 なので、子どもに怒りを感じた時は「怒りの種を持ち、撒いていたのは自分なのでは?」と自問している。