「死にたい」と「生きたい」を毎日何度も行き来して、心も体もヘトヘトになる。そんな毎日でも「生きたい」と願い、誰かに「死にたい」と言えたらいいなと思っている。 こんな思いを抱えている子がいるからこそ、「死にたいなんて言っちゃダメ」なんて、言っちゃダメなんじゃない?と思うんですよね。
子どもに「どうすればよかったか」を説く前に、子どもに「どうしてほしかった?」と尋ねています。
子ども達が嫌う余計な一言を紹介するぜ! ・疲れてる? ・前も言ったけど ・だから言ったじゃん ・他の子はできてるよ? ・そんなことで〇〇しないの ・早く言ってくれればよかったのに 余計な一言を言わなかったら1ポイント!10ポイント貯まったら、ハーゲンダッツを食べるんだ!現場からは以上だ!
苦しい気持ちを大人に相談してみようと思っているそこのナイスな君に、おっさんからちょっとしたアドバイスがある。 過去の武勇伝をどや顔で語る大人よりも、過去の失敗談を笑って語る大人に相談するんだ。 弱さを見せられる大人は、君の苦しみに寄り添える大人である可能性が高い。これはガチだ。
大人の不機嫌は子どもを良い子にさせます。 大人の不機嫌を見ると「大人を怒らせないようにしよう」と子どもは自分の事を二の次にして大人のために頑張るので、周りからは良い子に見えるのです。 なので「良い子にしてるな」と思った時、自分は不機嫌を子どもに向けていないかな?と自問しています。
子どもの「めんどくさい」は多義語です。 ・怖い ・ムカつく ・自信がない ・不安だ ・困ってる ・悩んでる ・そばにいて ・頑張りを認めて ・自分はダメだ ・消えたい 子どもの「めんどくさい」はSOSかもしれません。どうかめんどくさがらずに、子どもの「めんどくさい」を受け止めてあげて下さい。
子どもとする『くだらない話』はくだらなくないのです。 肩の力を抜いて、その子がその子として話せる『くだらない話』の時間は、その子が「自分でいいんだ」と感じられる大切な時間です。 『くだらない話』を大切にすることは、その子を大切にすることでもある。私は本気でそう思っています。
経験上、子どもから「イライラする」と相談された時、子どもは『イライラをどうにかしてほしい』よりも、『何でイライラしてるのかよく分からないから一緒に考えてほしい』と思っている事が多かったりします。 なので、相談の場では『イライラを一緒に眺めて考える』という意識を大切にしています。
子どもからSOSを受け取った時、「もっと早く言ってくれればよかったのに」はマジでやめて下さい。 しんどい、相談したい。でも「変に思われたらどうしよう」「怒られたらどうしよう」って感じで不安になりながらも勇気を出して発したSOSですよ? まずはその不安を受け止めて、勇気を讃えましょうよ。
厳しいことを言います。 「愛情不足」と言う支援者は、理解不足なんじゃないかなと思います。
子どもの心は誰にもわかりません。 私も、あなたも、その子自身もわからないのです。 しかし、子どもの心を知りたいと願い、学び、行動する事は、私にも、あなたにもできるのです。 「子どもの心がわかる」と豪語せず、「子どもの心を知りたい」と静かに燃える大人って、かっこいいと思うんですよ。
「そんな事で落ち込まないの」 「そんな事で泣かないの」 この『そんな事で〇〇しないの』シリーズは経験ある大人ならではの言葉です。大人にとっての『そんな事』は子どもにとっての『一大事』かもしれません。 「そんな事で」と言われたら、子どもは落ち込めないし、泣けなくなってしまいますよ。
今更ですが、『見守る』ことができる人ってすごいと思うのです。 子どものピンチにはすぐに飛んでいく準備と覚悟を持った上で、子どもの主体性を認めて、信じて、手を貸したい気持ちをグッと堪える。これを何度も何度も繰り返す。 『見守る』って簡単そうに聞こえて実はかなりのスキルなんですよね。
私が子どもとしょうもない話をしまくるのは、「君が話したい事を、君が話したいように話していいんだよ。」を割と本気で伝えたいからです。
子どもに「昨日眠れた?」とだけ伝えると、「ん?眠れたって言ってほしい感じ?」と、言葉の裏にある大人の期待を感じさせ、眠れてないのに「眠れた」と答えさせてしまう可能性があります。 なので、「眠いわぁ…、〇〇君は昨日眠れたりしたの?」と、フリートーク感丸出しで睡眠状態を聞いています。
「こんな事言ったら怒られるかな」「こんな事言ったら迷惑かけるかな」「こんな事言ったら見捨てられるかな」という思いを抱えたまま、今日もSOSを出せなかった子どもがあなたの周りにいる事を、お忘れなきよう。
「この人、たぶん敵じゃないっぽい」と子どもに感じてもらうために意識している事 ・感情を否定しない ・趣味を批判しない ・呼び捨てにしない ・語気は常にやや弱め ・強みは即フィードバック いきなり味方になろうとするより、まず子どもから【敵じゃない認定】をもらう事が大切だと思います。
経験上、子どもは「自分を大切にしなさい」と言われても、「自分なんか大切じゃない」「大切にするほどの価値は自分にない」と思う事が多いと感じます。 なので私は、「ん?大切にされてるっぽいぞ?」「自分って案外大切な存在なのか?」と子どもが感じられる看護を、ひたすらに提供し続けるのです。
子どもが自傷した傷を見せに来た時、「もうしないと約束しなさい」と言いたくなりますが、この様な対応は子どもを『誰にも頼らない』という更なる自傷に向かわせてしまいます。 なので私は、「よく来てくれたね。傷を見せてくれてありがとう。」と、子どもの勇気を讃える所から対話を始めています。
子どもの「イヤだ」は多義語です。 ・不安だ ・怖い ・疲れてる ・側にいて ・困ってる ・助けて ・イライラする ・イヤじゃない ・甘えたい ・話したい 現場では、子どもから「イヤだ」を聞いた時、「イヤだ」と言えた事を認めた上で、その子が何を感じているのかに集中して話を聞いています。
「しっかり者」と言われる子どもは、「しっかりしなきゃ」と思い詰めているかもしれません。
子どもに笑ってほしい時は 「自分は笑えているか」と自問し、 子どもに安心してもらいたい時は 「自分は安心できているか」と自問し、 子どもに無理をさせたくない時は 「自分は無理をしていないか」と自問する。 子どもの幸せを願う時にこそ、自分の今を確認する事が大切だと思うんです。
「苦しまないと成長できない」 「痛い目に遭わないと成長できない」 「傷つく事で成長できる」 こんな感じで子どもの成長を語る大人を見た時、私の頭の中のノブさんが、「苦痛に耐えたり、傷ついたりして成長するのは筋肉だけでええんじゃ…、心は壊れても元通りにならんど?」とつっこむのです。
「自分の人生の中に子どもがいる」ではなく、「子どもの人生の中に自分がいる」と考えています。
【定期】 私のしない8つのこと