某日を持って36有余年の自衛隊勤務を完了し退官致しました。 公私共々関係された皆々様には感謝しております、ありがとうございました。 今後はしばらくは身の振りも考えつつ、今まで培った技術を元に、大戦機修復家(高所含む戦争遺産調査等も)として活動していきますので、ご依頼等あらばご相談を😊
私にとっては当時の工員さんの姿が見える現実的なタイムマシン。痕跡を残す為にも大事にしたい視点ですね。
零戦21型三菱2666號。さて、これだけ貴重な現物であれど、「見たい」という需要は狭い世界故に2年公開してきて頭打ちな事は痛感している。 完全オリジナルとして残された塗装状態で世界一と疑わない私だが、興味無ければスクラップだし、飛ぶ機体、美しく復元された機体に注目が行く事は勿論否めない。
B-29確定ですね。脚を格納したまま着水(墜落)かと。 残る判別は主翼下主脚の左右どちらかで、二本伸びるアームの長さか根元の角度で判別ですが、海外の複数の方が同じと言っていますので、米国らしく共通部品でスペーサー調整か?それともやはりアームの長さが違う?かですね。これらは今後の課題
定年目前となり、手持ちはこれだけになってしまったよ🤔 思い返せば毎年辞めたいと必ず言っていた輩で36年有余、よくぞ続いたなと自分でも思う😆 36年使ったネクタイピンは入隊した教育隊の第1戦車大隊。皆戦車兵となったが一人我儘言って歩兵と北海道にして貰った経緯有。○○班長未だに申し訳ない🙏
先の投稿がかなり伸びていましたので、私が強く思う「動態保存の意義と相反する現物の重要さ」を、過去の発言等により感じ取って頂ける方が少しでも増えて頂ければと考え固定ツイート等をしています。 飛行機だからこそ飛ぶ事には大変意義がある、しかし唯一のオリジナルであれば、その状態で残すべき
職場の大先輩(女性)が定年でゴミ箱に捨てていた下敷き。 勿論サルベージ😅
旧陸軍の複葉練習機「赤とんぼ」復元進む 24年にも大空へ a.msn.com/01/ja-jp/AA11L…
全体写真で伺えることは、正に実物大模型の真価を十二分の発揮していますので、大変意義のある事であり大刀洗の努力に感謝する次第です。 全く素晴らしいです。 私としては今後行かれる方で、直近で見た忌憚なき感想なども頂けましたら幸いです。 readyfor.jp/projects/tachi…
陸軍「疾風」調査委員会、第6回調査 (フラップ内保存処置検討の為、油圧ライン確認、作動油投入、故障探求と対処、作動試験時) 撮影:中村(報國515資料館)
恐縮だが2式大艇が心配だ、何時まで屋外に置いておくのだろう・・・過去にはハリケーンによる発動機脱落、現在の場所では台風被害による動翼破損と受けてきた機体なのに。 船の科学館時代はまだ建物が近くにあり良かった側面も。
日本人所有だった零戦が「Fagen Fighters WWII Museum」に移籍し、日本ではやはり無理だった、廃棄にならなくて良かったと(廃棄は所有者の意向を無視した暴論)結果論で当たり前の様に書いているのを見ると、だから無理なんだよ!~と痛感😓私はこの機体を日本でと支援・努力した方々を称賛し労うのみ
今生きている方々の興味の範囲で「現存唯一の遺産」を表向きだけ生かして食い潰したいのか、それとも生きていた当時の状態を可能な限り残して、現在も将来も遺産として残すか。 この当初の言葉に憤りを感じた方は、冷静になって調べて欲しい。 それが飛ぶ機体、現物考察、保存調査に関係した私の意見
昭和20年、屠龍が船橋上空でB-29 に体当りし水田に墜落。51年後に発掘され、更に23年放置後に私が分解した油圧筒。 日本機は程度の良い現物がほぼ無く、当時物が日の目を見ないのだが、この様な一見程度の悪い物でも分解すれば普通のゴムパッキンが出て来る。 油漏れ対策を追求した形状と構成である🤔 twitter.com/Kominebunzo/st…
これも直ぐに処置すれば錆が防げ当時痕跡が見つかる可能性が高まります。 発掘直後から酸素に触れる訳ですから、泥等に覆われていれば錆びるに任せる訳で、当時の情報が急速に失われます。 エンジンは情報の宝庫。勿体ない 戦闘機「飛燕」エンジンか : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/local/shiga/ne…
日本に到着し20日横浜税関に留め置かれ、書類の不備等で苦悩の紆余曲折がありましたが、4年前の本日!晴れて日本製として通関が認められ、里帰りを果たした記念日なのです。 報国515万歳!
本日は日本戦跡協会さまの尽力と御紹介により、国立科学博物館 筑波研究資料センターに収蔵されるキ115 「剣」を専門家の同席の下に見学することが叶いました。 第一の感想は、日本が航空機としてこの様な機体を設計製造し、運用を計画していた事を、実機のオリジナルの部分を目の当りにした上で(続
明日も明後日も某所で保存指針の検証と処置アドバイス。 大戦機保存が良き方向性に行くように頑張ります。
飛ばしたい気持ちは重々判りますが、オリジナル性を強調しつつ、飛ばす為に唯一の当時物を損耗し、交換し続ける実情を理解しない発信はどうにかならないものか!?と本当に不毛に感じます。 ある意味この機体は細かな当時物等々を交換すれば十分飛ぶと考えています、そもそも生きている機体でもあります
探せば色々と出てくる、未だ生々しい沖縄戦。 比較は痕跡に対して同一ではないが、同じ場所からの遺物。
松戸市役所と千葉県庁にも相談に行った上で、現実的に熟考した結果、第二の人生の方針が決まりました。 大戦機修復家等の仕事を行い、資金的に資料館開設が実現ができる状態になるまでは、そのまま自宅で止む無く行う事と致します。
疾風については貴重さ故に色々と意見がある事は理解できますし、日本側で保管されていた全ての施設において不備があった事は確かですが、多く目にする自虐的すらある指摘の数々は、本当に根拠を当たってから発信しているのか!?と本当に疑問に思うばかりです。今回知覧で白浜→知覧の運送写真を(続↓
お休み前の放言 ちなみに零戦の復元機1機分のアルミ代は2000万円程です。エンジン無し。 これは20年程前のお話ですので、今は一体いくらになるのやら。 よって、レプリカ機でも億越えになる事が普通である事は理解頂けるかと。 その日本機でも私が行っている複製レベルの銘板は無理。それが現実
急転直下です😭明日回収予定でしたが、漁師さん漁協長も何も知らされずに市役所が持って行ったそうです。 私はPOWMIA側に良い状態で引き渡せる用、一刻も早い腐食防止処置をし消え去る情報を伝達するべく頑張っていたのに😭残ったのはレンタル代の7万7千円。市役所さん一刻も早い腐食防止処置してく
補給は途絶し、可動機も無く、修理待ちで残された機体も繰り返される爆撃にて主桁まで刻まれる状態であった。 しかし、主桁上下を鉄板で補強し、弾痕パッチが重なる程の修理を繰り返し、最後のパッチは青竹色のままで飛ばしていた事が伺える😭