夢枕獏×谷口ジローのマンガが原作、「神々の山嶺」Prime Videoで配信 natalie.mu/eiga/news/5063… 絶対観て……
文春オンラインで桃井はるこさんに「秋葉原の変遷」というテーマでインタビューしました。大型CDショップの存在感、美少女ゲームブームの熱気、00年代ネット・オタク文化の功罪、そして街の現在……キレキレの発言の連続で刺激的な取材でした! #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/597…
木村花さん母をネット掲示板で中傷した疑い 都内の男を書類送検:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASR14… # 書類送検されてる3人、全員40代。20代のころに2ちゃんねるのノリに染まって、そのまま来てしまったんだろうなぁ。
しっかし、どんだけ反対されても、意地でもインボイス制度は進めます……って感じだよなぁ。「もう始めちゃったから、ずっと何年も準備してきたんだから、何万人死ぬことになろうが絶対にやり遂げますよ!」みたいな、溢れ出るインパール作戦みを感じる。
たぶん条件の悪い賃貸物件が余ってるんだろうなぁ……と、風呂なし物件を推すニュースを見るたびに感じてしまう。コロナ禍以降、自室の過ごしやすさって前よりかなり重要になっただろうし。荷物が置けて睡眠さえできればオッケー……ではないもんな、最早。
「余裕がないからとにかく底上げしてくれ」と言ってるのに、「やる気がある人たちががんばるのをサポートします!」みたいなことばっかりやるんだよなぁ。なんか根本的なとこで国全体の認知が歪みまくってる気がしてしまう。
知り合いの自民党議員が「世襲だからこそ親子二代、長期的な視野で地元のことを考えて仕事ができる側面もある」と書いていて、「うわ、物は言いよう〜。ポジティブ・シンキング〜」と思ってしまったんだよなぁ。ちなみにその人自身は世襲ではないですが。私はこういう考え方、まったく認めません。
百合とかBLとか、いってしまえば一種の「ファンタジーとしての同性愛」をずっと消費してきたことへのうしろめたさみたいな気持ちが私にはあって、だからオタクとして、LGBTQ+の権利問題には、浅くでも関心を払わずにはいられないのよね……。
前々から「ナンにあんこって合いそうだよな」と思っていたのだが、ついにそのものズバリな商品に出くわした。もち、買った。
映画のエンドクレジットに載るのって、労働者が勝ち取った権利なんでしょ。だからおいそれと「そんなもんまで載せるな」だの「長過ぎる」だの言えない気持ちがある。言う人の気持ちがまったくわからんわけではないけども、デモで道が塞がれるのに怒るような真似はしとうないというか。
しかしホント、「俺の優しいおじいちゃんが戦場でひどいことをしたなんて、そんなわけがあるか」みたいなことを、それなりに歳を重ねて、人生経験を積んだあとでも真顔で言えるのって、どういう精神構造してんだろな。小学生とかならしらんけど。
しかしホント、インボイス制度の施行でどんな人であれ回り回って生活コストが上がるのは確定していて、別に稼いでいようがいまいがそれってイヤなもんじゃないのかしらん。いちいち反対している人につっかかっていったり、マウント取りに行ったりする人たちはお金が出ていくのがうれしいのかな。
妙に物分りがいいというか、なんでこんなに「決まっちゃったものはしょうがない」とか「国のやることに逆らっても仕方ない」みたいな感じで、自分たちに不利な政治的な決定を、まるで避けられない天災か何かのようにただただ受け止める空気が強いんだろうね。不思議。
普通に暮らしに直結する話なんだから、シンプルにというか、もうとにかく「難しい話はよくわからんけど、めんどくさいことしたくないし、カネを持ってかれたくないよー、やだよー」くらいのノリで大暴れしたっていいと思うんだけどなあ。
木村貴宏さんは、線に色気があって、シチュエーションやポージングは結構下品だったりするんだけど、全体の印象としてはジトッとしたところがなく、どこか明るい魅力のあるヒロインの絵をお描きになる、思春期から青年期の私にとって、アニメーター・イラストレーターとして絶対的な存在でした……。
「誰が言ったかではなく、何を言ってるかが大事」みたいな話の行き着く先が、若い人が大塚英志を「サブカル知ったかぶりでマンガやアニメに文句を言いたいだけのサヨク」扱いしたり、ひろゆきみたいな小手先の論破芸をありがたがったりするような状況なんだろな。
有料記事がプレゼントされました!3月17日 18:39まで全文お読みいただけます 「『心が女』なら女湯入れる」は誤り トランスジェンダー当事者訴え:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASR3J…
『シン・ゴジラ』に大興奮して、「日本の特撮映画って、日本の映画って、面白いんじゃないのかな?」と期待した大勢の「普通の人たち」のことを、その後の「シン」シリーズは置き去りにしてしまっている感じがするんだよな。出来不出来や、それぞれの作品のおもしろさとは別問題として。
Twitterで労働者目線はかなり強めの、絶対正義に近いポジション取りなんだが、これが労組みたいな形で組織だった抵抗勢力になろうとすると、途端に猛烈なアレルギー反応じみた悪意に晒されるのが不思議なもんよ。
お前が可哀想な庶民である限りにおいては虐げられし我らが仲間だとみなすが、ひとたびそうしたものどもがより集まり権利のために団結しようものなら、お上に逆らう不逞の輩でござそうろう、まったくもってけしからん、みたいな、みたいな。
エヴァ最終話の頃はパソコン通信はあってもSNSはなかったのが大きいというか、マジで昨今、いわゆるエンタメのわかりやすい原則に則ってない作品にぶち当たったときに、自分ひとりとか、気心知れた数名の仲間とだけで作品から受け取ったものを咀嚼する時間がなかなか取れないのは、かわいそうだよな。
ちょっと検索したら、褒めるも貶すも手頃な言葉がホイホイ見つかって、それですぐ「あー、そういうことだったんだ」と納得して、あとは適当にレスバの素材にしたり、祭りのネタにしたりしておしまいでしょ。寒い時代っすわ。
「ウソと断言するのは良くないと思います。あくまでも”一つの説”として理解する事が大事だと思います」 これ、言うよなー! 若い人に限らず、いいかげんなYouTuberの「教養」動画が好きな人たちの定番フレーズ。アニメ関係だと岡田斗司夫氏の動画が好きな人につっこむと返ってきがち。
毎度の話ですが、「表現に関わるものとして、表現規制に繋がるようなものを不快に感じるのは当然」みたいなお気持ちはわかりますよ。そらそうでしょ。でもそこから雑なフェミニスト叩き、女性叩き、リベラル叩きをすんのはおやめなさいよ、って話ですよ。しかもソースはネットの聞き齧りでさぁ。
「アムロ・レイの演じかた~古谷徹の演技・人物論~」第10回(後編) febri.jp/topics/series-… これ、タイトルではわからないけど、富野監督のロング・インタビュー。で、最後にインタビュー全文を読んだ古谷さんのコメントがあるのがすごくいい……。グッと内容が立体的になってて、沁みる……。