集いのハイライトは教祖様の手先から発せられる神秘の宇宙パワー。このオーラにより自然と体が動き出し健康な肉体や精神が作られるといいます。ストレス解消にはもってこいの神様パワーなんです(自分自身が体を動かすのではなく霊が動かしている)
よいお年をお迎えください
人々は仕事というものをどのように考えているのでしょうか。私は仕事とは金を稼ぐための汚い戦いであると考えていて、仕事に対して何の価値も感じず、職場の人間は全員敵だと思っています。他人に対して親切な態度をとるのも自分の立場を守るために過ぎず、他人の親切もすべてそのように解釈しています
私は悲しみの感情を大切にしたいと思っています。怒りや憎しみや不安や恐怖という感情は自分を滅ぼすこともある怖い感情だと思います。そうした感情を溶かして純粋な悲しい気持ちになって心を緩やかにすることが必要だと思います。喜びや楽しみを無理に作ろうとするより自然な悲しみがよいと思ってます
家族に対して愛を持ちたくても持てなくて悲しみに沈むことが多いと思います。でも喜びをもって人を想うことができないのならば、悲しみをもってでも人を想えばいいと思います。胸の中の悲しみを感じながら深く息を吸ったり吐いたりして海岸の波のように心が動いてそれもひとつの愛なのだろうと思います
野毛山動物園にいきました
台風が近づいています
嫌な思いにとらわれた時は、このように独り言をつぶやいて、誰も聞いていないけれども表現しています
蒸し暑い日が続いています
物が多くて整理がつかないという悩みは深いです。自分の意志で買った物を捨てることは自己否定になります。物に対する執着は、物以上の何かに対する愛や望みから派生していると思います。自分がかつて抱いた愛や希望を今になって意味のないものと断じて消し去るのは自分の心を傷つける痛みだと思います
しかし今になってから「自分は子供のうちに死んだほうがよかった」などと考えてみても実質何の益もありません。私には生まれてきた魂があり、自分を何とか育ててきた父や母の思いが自分の心の中にあります。水槽から深海に突然投げ出された弱い一匹の魚のように周囲をきょろきょろ見回しながら泳ぐです
ゲーム制作会社を経営しているというツイッタラーが子育てについて自論を述べていました。「世の中で生きていく能力のない劣等な子供は昔なら子供のうちに死んでしまったが、現代はそれを大事に守り育ててしまうので、育てられた劣等な子供は大人になって社会に居場所がないことに気づき絶望するのだ」
私たちには他人に依存したい、他人から依存されたいという欲求がありますが、それは心の傷や寂しさを埋めるためにお酒に酔ったり夢を見たりするような悲しい気持ちだと思います。夏の夜のお祭りに響く太鼓や光る提灯と屋台のように儚く愛おしい一時です。そこにずっといることはできないのだと思います
夜遅くに帰宅して電気をつけるとゴキブリが床で気まずそうにじっとしていて、急いで物陰に走りこんでゆくので、むこうも色々気をつかっているんだなって、難しい問題だなって思います。
夢見がちに生きてゆきたいのは山々ですが、夢を追っていると必ず痛みと悲しみに打ちのめされます。現実を直に捉えてその一つ一つの細かい可能性を拾い出している時が一番明るい気持ちのようです。心に抱く美しい光景は夢ではなく心の中に生きて、たとえ今生でなくともいつかたどり着く所だと思ってます
昔はよくプリクラを撮っていました
私は高校時代は帰宅部で、悲しくて寂しい青春でした。もしやり直せるなら、運動部に所属したかったです。そして一人だけこの格好で球拾いとか声出しとかやらされてて部員たちの靴を並べたりとかしているのがよかったです。練習試合の時はお尻を振って踊りながら応援する係です。今からでもやりたいです
学ぶべきものは三角関数とか金融経済とかではなく、翌日にむけた食事や睡眠のととのえかた、部屋の掃除片付け、挨拶のテンションを安定させること、時間配分、優先順位、急いでいる時こそ落ち着く態度、他人の言う事を謙虚に聞いてよく理解しかつ鵜呑みにしないこと、排便のリズム、コミュニケーション
立川や ああ立川や 立川や
人の中には善と悪が共存しているのを感じます。悪が悪いのではなく、善と悪のバランスを失うことが悪いのだと思います。悪を排除して全く善になろうとしたりするとバランスが崩壊してその後には極端に悪が強くなると思います。しかし誰でも結局は信仰と希望と愛を求めずにはいられないのではと思います
私は自分のお尻がちょっとかわいいと思っているのですが、思い込みにすぎないでしょうか
下北沢に変わった格好の人がいました