男と女というのは身体の区別を表す言葉だと思います。男の心とか女の心という物は存在しないと思います。身体は男だけれども心は女だから女子トイレに入りますと言うのは体重は60kgだけれども心は30kgだから45kg制限の乗り物に乗りますと言っているようなもので単なる違反行為だと思います
集いのハイライトは教祖様の手先から発せられる神秘の宇宙パワー。このオーラにより自然と体が動き出し健康な肉体や精神が作られるといいます。ストレス解消にはもってこいの神様パワーなんです(自分自身が体を動かすのではなく霊が動かしている)
TOEICの結果が届きました。おもったより良くできていて、うれしいです。
ハイヒールが身体に与える負担は大変なものです。あまり長い時間は履いていられませんし、足が長く見えるので履きたいと思っても身体へのダメージを考えて控えるほどです。到底他人に強制すべきものではありません。 twitter.com/seesaakuma/sta…
新宿で遊んでもらいました
自分が理不尽な目にあっていると感じている時は周囲の人に不満をぶつけやすいですが、それをやると孤立を深めてますます自分を追い詰めることになるのはいかんともし難いです。そういう時こそ周囲の人となるべく穏やかに接して関係を保ち、真の敵が誰かを絞り込んで厳しい持久戦を覚悟するのも大変です
若い時は自殺したいという欲求と死に対する恐怖の間で葛藤することがありましたが、年を取ってくると、年齢による身心の変化に敏感になり、死はこちらから求めなくても近づいてくるのを感じます。疲労した体に過去の人生の情景が断片的に回想され、何か「本当は生きたかった」という想いがこみあげます
今から町田へ出かけます。
このまえ溝の口に行きました
私は20代の時からしばしば、何の理由もなく警察官に声をかけられて住所氏名を聞かれたりすることがあって非常に不快で屈辱的でした。でも好きな格好で歩くようになってからは、その格好で住所氏名を聞かれたり所持品検査をされても苦痛に感じなくなって、むしろ身体検査とかもして欲しい感じがします
私は職場の人間関係は全員敵だと思っていればいいと思っています。味方ならいざ知らず、敵だからこそ礼儀正しく穏やかに接するのです。嘘や裏切り、本音と建前、責任のなすり合い、負担の押し付け合い、そういう競技だと思っています。時には敵と助け合ったり心が通じたりする楽しみもあるかと思います
駅前等で警察がヒップホップ系というのでしょうか、特定の種類の服装の人をつかまえて職務質問をしているのに疑問を感じます。私は普段から職務質問されそうな服装はしないように心がけているので他人事ではありますが、服装を理由に警察から疑いの目をかけられるのはちょっと気の毒だなと思いました。
有名なユーチューバー格闘家の人がツイッターを辞めて今後はインスタにするということで、「ツイッターはネガティブな発言が多くて居酒屋の愚痴みたいだ。インスタは泊まったホテルをのせたりとか自分のいいところを見せる」という話でしたので、私たちはツイッターで貧困と孤独を見つめていきたいです
バレエを踊れるようになりたいという望みと、人とつながりたいという望みが、ずっと自分にあったことが、今ではわかります。すべて手遅れになりました。望みは抱くことに意味があると思っています。私の人生は、望みを見つけるだけで精いっぱいでした。
4月は思ったより寒かったです
私は病んでる時、絶望した時に慰めを探したり、気持ちを奮い立たせて道を切り開こうとすることは絶対にしません。どこまでも落ちていく自分の心と体をじっと見守ります。それはまるで、自分が死体になって真っ暗な海の底に沈んでいくようなかんじです。生か死かは自分で決めることではないと思ってます
立川や ああ立川や 立川や
欲情と恋は交錯することが多いので混同しやすいけれども別の物だと思います。欲情は怠惰な物ですが、恋は自分が一つの存在として生きようとしている時に自分がどのような存在になりたいのか、どこへ行きたいのかを表現し暗示するような誰かと遭遇したと感じて、美しい光が射す道に足を向けるみたいです
きょう町田に出かけました。