まじでちょっと、ヤバイんですけど。防暴隊が警察総部を出たというメンションが。
防暴隊300個隊が龍合街に待機、やばい
私服隊(便衣)がHarcourtガーデンに出動と
現地時間零時10分ごろ、立法会の占拠者は完全撤退。よかった。今は外のデモ隊が催涙ガスで追っ払われている
とりあえず、収まったけれど、チケットとったから、ちょっと香港いってくるわ。
香港パシフィックプレイスにいる。抗議の自殺予告があって、みんなで手分けして探しまわって、いる。見知らぬ人たちが大勢スマホ片手にみんなキョロキョロしているのは、自殺止めようしているから。自殺で抗議より、いい方法はいくらでもあると、伝えたいから。
親中派デモ。その隣て、飛び降り自殺しようとした女性が、みんなに取り抑えられていた。親中派に刺激されて、香港人頑張れ、と大合唱がおき、彼女も自殺を諦めたもよう
あなたが必要、と紙に書いて、自殺を止めようとする人たち。
香港、治安は全然悪くないで。アイドルとかアーチストとか、こういう時こそ、香港に来て、香港加油!って言ってあげればいいのに。
クジラを食べる是非を、知能が高いから、という理由で考えると、チンパンジー並みの知能とされる豚を食べ続けていのか、という話になるしな。ようは食べ残しを出さない、食べる以上に殺さない、と一人ひとりが心に決めることしか正解はないと思うのだ。
ちなみに、私は近くのスーパーで、たまーに入るミンククジラの尾の身が、売れのこって半額になっていたら、全部買い占めてしまうくらいに美味と思う。でも、売れ残って廃棄するスーパーって多いらしいね。捨てるくらいなら、獲らないほうがいい、ってなるわな。ウナギもそうだけど、捨てるのが最悪。
香港の勇武派デモは、市民を傷つけない、テロ行為をしない、独立を宣言しない、の三つをまもれば、香港市民と国際社会の支持は得られる、という判断で立法会占拠を断行。一方、中国側は立法会占拠を暴力として報道させて世論誘導できると踏んで、立法会占拠を座視した、ということ。
香港に来る前に、中共側からの今回の香港デモについての見方を色々きいたのだが、香港親中派議員が面従腹背だった、じつはこの法案ができたらこまるのは、中国で商売している彼らで、わざと審議を長引かせた、という声も。
30日の夜の占拠作戦会議の現場にいた若者とも、話したが、彼らは200万人デモで動かせないなら、立法会に突入するしかない、という話でまとまったという。だから、中国の扇動に乗ったわけではない、といっている。
罠にはめられた感は、あったみたい。突入に2時間近くかかっていたから。でも、後戻り出来ない、と。香港に今一番必要なのは、革命だ、という意見もたくさんある、とも。
香港の若者の中には親中メディアに反発して、セルフメディアを立ち上げている人たちがいます。彼らは自前の機材でプロに見劣りしない映像や写真をとり、リポートができます。そういう彼らの映像や写真をかりたり、協力を得るときは、正当な対価を払ってやってください。
ちょっと某大手メディアが彼らを利用した時の協力費が安すぎて、びっくりしました。フリーランスの私ですら、その何倍か払ってるんで。
ちなみに、私の取材に関してもコストがかかり、それを原稿料や印税や講演料やメルマガなどで賄っているわけで、社会意義があるからただでやれ、金のこと言うな、とか言われても、大変困るわけです。
表現の自由も報道の自由も徹底すれば、「暴力」だ。だから自由を行使する側がどの程度の自由が、暴力にならないか、を常に自問自問しながら発言したり行動するんだよ。それは自主規制とか、そんな軽い揶揄で言われるものではなく、表現者、報道者の責任感だ。自由と暴力の分け目の判断基準は公共の福祉
人々が神聖視するもの、権威あるものをあえて壊し挑発する芸術について、芸術とはそういうものだと主張もあるが、それはやはり公共事業として助成を受けるのは変だ。政治権力を批判する芸術が権力から金を受けとり、その権威をかさにきる矛盾に、そうした芸術への本来の賛同者は納得できるのか?
私も人が神聖視するもの、権威あるものを批判的に報じることはあるが、その言論の自由を行使する時には、それなりに慎重に考えているよ。考えないと、新たな暴力を引き起こす可能性もあり、自分や取材協力者の安全にもかかわる。判断基準は、自分が引き受け可能なリスクと公共の福祉との兼ね合い。
公共の福祉とは、単純に言えば社会にプラスになるか、世の為、人の為か。くだんの展覧会の作品、報道ベースで見る限り、自由表現と暴力の葛藤も見えないし、リスクを引き受けることの恐れも感じない。中国のひと昔前のポリティカルアートとそこらへんが違うよね。
同じテーマでも、やりようによっては、自由と暴力のギリギリのはざまを狙って、公共の福祉にも叶う、普遍的価値を見出せる展覧会もできただろうに。中国や韓国の優れたアーチストを本気で発掘して、彼らが本国で表現できない表現の機会を与えるとか、意義あることができただろうに。