感じでガンガンいくんですけど、これって米国の国力が後ろ盾になってるんですよ。記者が危うくなっても交渉できる外交資源、俺たちのやってることを国際世論は支持してくれる、という自信。この傲慢さこそ米国ジャーナリズムの強さで、米国の強さだと思います。
ジャーナリズムって国力をもろ反映すると思うんです。米国人記者があんな果敢なのは米国という国が強いからですよ。中国がビザ出さない、といったら、副大統領が乗り込んで直談判。中国人助手を平気で危険な現場送り込むのも日本メディアには真似できません。彼らは米国記者さまに手出ししてみろって、
そりゃジャーナリズムなんて消えていくしかありませんね。活字媒体も減ったしな。
よくわかったのは、もう体をはって現場取材することの意義をほとんどの人が評価しない時代になったってことなんだな。実際、間接情報で世論マーケットに見合ったコメントするほうが、コスト低いし安全だし影響力高いし実入りがいい。それでも現場主義を選ぶことのプライドを選民主義といわれたら、
ジャーナリストっていうのは、そのプロセスにいろいろあったとしても、最終的に社会に貢献できる価値ある情報を持ち帰って広く知らしめることでができたかどうかで評価されるんだよ。だから、生きて残ったもん勝ちなんだ。ひょっとすると政府は相当の外交資源を使い切ったかもしれないけれど、
ド素人がfうっかり捕まったのではなく、経験豊かなジャーナリストが必ず成果を持ち帰る自信をもって赴いた現場だ。だから生還できた。そういう意味では、外務省の支援に感謝はすべきであるとは思うけれど、ジャーナリズムに興味もない人からバッシング受けるいわれはないよね。
安田さんは、政府から立場上行くなといわれたけれど、行けるという自信があったから行った。でもミスって拘束の身となったのは自己責任だ。政府は立場上、持てる外交ソースを使って安田さんの生還のために尽力したけれど、安田さんが生還できたのは彼自身の能力も強運もあってこそだ。
ジャーナリストはいつだって自己責任。だって現場を一番よく知っているのは自分だと思っているから。自分がいけると判断したら、自分を信じていくんだよ。でも、たまに判断間違うこともある。その判断ミスの責任を負うのは自分自身。それだけだよ。誰かを責めたりはできないよ。
安田純平さん、無事生還よかたった!ジャーナリストは生き残ってなんぼさ!本人の能力もあろうが取材の神さまに愛されているって気がする。そして、水面下でだまって交渉していた外務省や関係者の方がたの努力と底力を再認識。
日米分断は中共の基本戦略だが、日本接近方針は胡錦濤政権で失敗して以来だからな。日本はどう対応するかな。日本の外交実力が、試されるな。憲法改正は、国際環境的には期は熟したとみる。問題は国内世論だが、例えば消費増税ドタキャンして、一気に支持率高まったら、不可能じゃないかもね。
中国が言うニューストラクチャーとは、1加3、米国vs日中欧。だから日本が戦後と決別する憲法改正は、反対じゃないんだな。本当は。もし安倍が憲法改正できたら、2020年の五輪は日本にとって自信と誇りに満ちたものになるだろう、とか言うんだよ。
中国の体制内学者やアナリストが憲法改正を、日本の戦後との決別、国家としての正常化と形容するのも驚きだね。日中の歴史経緯から、政府として公式に反対しなければならない、と言うが、国民として受け入れられないものでは無い、と言う。そのあと国際社会のニューストラクチャーの話になる。
中国の金持ちたちに日本経済の回復をどこで感じるかと聞くと、飲食業の活況らしい。行きたい名店がいつも予約一杯なんだと。一方、中国の飲食業界はこの半年猛烈に市場縮小。飲食業界は中国における消費マインドの重要な指標。縮小の最大要因は店舗賃貸料の高騰。しかし、不動産自体は値崩れが始まった
たぶん、こっちに来て、体制内学者や国務院系アナリストの話をきけば、彼らの安倍評価が高いのにびっくりするだろう。理由はシンプルで日本経済の回復を華僑経済を通じて感じでいるからだ。消費税増税で来年から経済悪くなるかもよ、移民政策も失敗すると私が批判的に言うと、彼らの方がなぜか安倍擁護
中共の論理、思考、現状などをつたえるけど肯定しているわけではない。でも、それを知らないと、中国と付き合えない。付き合わないと言い切る人もいるだろうが、それでも付き合わざるを得ない、と考える人があり、そういう人に向けての情報発信である。
新聞記者としてマフィアも人買いも墓荒らしも、売人も取材したことあるけど、彼らの論理を理解するけど彼らの犯罪を肯定したり加担したりは絶対しない。深淵を覗いて深淵に入らないのが、鉄則だもの。覗いた深淵の情報を広く社会に提供することで、予防や対策に役立てもらおうというのが、犯罪取材。
中国の体制の発言やモノの見方を正確に伝えようとすると、すぐ中京共の代弁者とか回し者とか言う人がいるが、相手が何を考えているかわからなかったら、こっちも手のうちようがない、とは考えないのだろうか。相手の思考を理解するということは、自分を守ることの最善の方法だよ。
みんな会えば、モノ売れへん、市場縮小と嘆いていた。政府の市場干渉の度がこすと、ほんとモノか売れなくなってくんの。あと民営企業の締め付けがひどくて、モチベーションただくだり。単に産業構造の調整期とは言えない、と。米国貿易戦争のせいよりも、市場干渉など政策が経済減速の原因やと。
出「しかも国産コンテンツより翻訳もの増やすな、言われて。うちは7割翻訳もので食っていたから、厳しい」福「出版界だけ違うみたいやね、市場縮小。不動産も」出「不動産 はもう市場が消滅してるわ。不動産の値段は今は政府が決めた固定相場やで、事実上」
今日、中国の出版関係者と話した会話。福「中国の出版界、景気どうよ?」出「市場が急激に縮小中。一昨年1500冊の書籍出したが昨年は1000冊しか検閲通らんかったー。香港とか台湾関係者の本は新聞出版総署(宣伝部)だけじゃなく台弁(統戦部)にも回さなあかんし、やってられへん」
だから、こういう日本の女性に対する期待の薄さと表裏一体の、女性にたいする緩さ、甘さがあったからこそ、自分の生きたいように生きることができたのかな、と思う。日本のジェンダー格差順位が中国や韓国より低いのに、女性の幸福度が異様に高いのは、こういうことだと思う。
自分の人生を振り返ると、私はたぶん真面目に働けば、主夫と子供一人くらいは十分養えるくらいの仕事量はこなせたと思うのだが、そうするためには、嫌な仕事も粛々とせざるを得なかっただろうし、上司にもごまをすっただろうし、いくら退職金上乗せとかいわれても42才で会社退職とか決断できなかった
男のゆるい生き方に寛容になるか(そうなると女はもっときりきり働かなくてはならないが)、そういう価値観の変化がない限り、女性大臣や政治家が増えるとか、女性社長や役員が増えるとか、ありえないとか思うのだが、どうだろう。
この女性の方がより多く与えられている生きやすさやゆるさが存在していることを女性自身が自覚して、そんなものは不要、男と同等の競争社会上等だぜ、とタンカをきるか、社会全体が別に男は働かなくていいよね、ライオンもメスが狩りしているんだし、私が養ってあげるよ、と
女社長と結婚している無職男子が主夫として彼女を支えたからといって、社長の旦那として社会的地位が担保されるだろうか。されるかもしれないが、陰でヒモメンとか言われることの方が多いのではないだろうか。