1926
酔ってるゆえ連続投稿を許せ。帰途、俺の前を歩く男女がずーと手を繋いで歩いておった。最近、手を繋ぐ男女を見るとすごく微笑ましく思う。そうだ。男女の手は繋ぐためにある。男よ。繋げ。女よ。繋げ。嫁よ。頼むからたまには俺と手を繋げ。アカン、ホント酔った。バイバーイ。
1927
「スーパー寄って帰ります」みたいなメールをするのに「よって」と打つと予測変換で真っ先に「酔って」が出るのは僕の日頃の所業のなせるワザなんかな。前回の呟きの照れ隠しに何か呟かなきゃと思って呟いたらどうでもいい呟きになっちっち。バイバーイ。
1928
酔ってる、自宅晩酌で完全に酔って呟くゆえ、明朝、絶対に後悔する、が、言う、組長もいいが、プロの殺し屋も、ありですぜ奥山さん。ごめんマジ酔ってる
twitter.com/teamokuyama201…
1929
おぎょ!肝心の方々を書いてなかった!浦鉄8/21放送再開の7話ゲストに、OPも担当のあの3人が!正直言ってただのオッサンにしか見えないのに楽器を持った瞬間に泣きそうになるくらい格好よくなるあの3人が!ありがとぉおおぉ!
youtu.be/4fA92iQt-K8
1930
「この台詞がこうなり、克典さんの台詞がその伏線になります」。撮影前に一応のお伝え。淡々と「うん、うん」と聞いたあと、間を詰めるオーダーを受けた克典さん、「ここだけは間を取りたい」。翌朝、いの一番に「あの台詞、ちゃんと二朗くんに渡せた?」。こんなん泣く。「ひきこもり先生」、観れ。
1931
「いいねぇ46歳。一番脂が乗り切った時期だねえ」。よく言われる。何気にプレッシャーを感じる。そんな時期に俺はまだまだ何も成し得ていない。しかし。脂が乗り切った時期は人に決めてもらうことではない。俺の脂は俺が決める。あ、いま名言ね「俺の脂は俺が決める」。酔ってるよ。
1932
前回と前々回の呟きに鑑み、今後は「ベロベロ」という言葉を一切使わずに呟くことをここに誓うのは難しいでしょう。
1933
アレな、酔ったな、かなり酔いりんぐな、なんというかな、芝居に誰かな、点数付けてくんねえかな、イチロー三割五分みたいな、落合三冠王みたいな、無理な、それ無理な、無理ゆえ面白いのな、でもそれ希望な、希望した結果、俺わりと下位だと笑うな、笑って泣くな、でも希望な。
1934
1年前に亡くなられた映画監督の青山真治さんがその著書「宝ヶ池の沈まぬ亀Ⅱ」の中で、9年程前に西島秀俊さんと僕の主演で映画を企画していたことを知る。「やはり彼らはいいのだ、という厳格な事実を現実が証明している」の文字に胸が熱くなる。見ている人は見ている。改めての合掌と、己の精進と。
1935
いま毎日稽古場で歌っているが、不思議なもので、他でも歌うことが続いている。なんだ。歌の神が俺に手招きしているのか。怒らないで冗談だから。こちら黒木華ちゃんと。
prtimes.jp/main/html/rd/p…
1936
まあ、あれだ、「いのちのたたかい」、ぷぷー、なに真面目に言っちゃんてんの、 「いのちのたたかい」って何?バカじゃねーのー!そんな、よく分からない、「いのちのたたかい」、来月、「ひきこもり先生」シーズン2で、きっと観れる。覚悟があるなら、
観れ。
君たちにその覚悟あるなら。
ごめん酔
1937
ホントに単なる例えばだが、例えばプロ野球中継。BSでもCSでも、実況・解説共に凄いレベルの放送がたまにある。そういうの、観たいよな。いや特に意味ないよ。マジで意味ない。酔ってるし。明日も朝早いよ。でも、いいもの観たいよな。全てにおいて。
1938
子供の辛口発言を7つ集めたネット記事を読んでたら、2年前のこれが。息子よ。今夜99人見ておくれよ。あんまりよくないかおが主宰やってるから。
twitter.com/actor_satojiro…
1939
いやはや。「映画は皆の目に触れた瞬間から、あとは勝手に皆が育む」と僕に教えてくれたのは誰だったか。連日、ものすごい熱量の、数多の感想を拝読している。この映画が、この後どんな運命を辿るかは分からんが、少なくとも、絶対に埋もれさせてはいけない邦画ということだけは、一応書いとく。
1940
山奥のホテルで一人晩酌なう。明日から超超過酷なスケジュール。小3病の僕は「俺、いま大変な中、頑張ってる」アピールを嫁にしたくて先程電話したら「君よりスタッフさんの方が大変。あんまり大変大変言うな」との答。ごめんホントごめん今からノロケる。やっぱウチの嫁、最高。
1941
数多祝いリプ深謝。来月披露3作品。映画「はるヲうるひと」、ドラマ「ひきこもり先生」、映画「ザ・ファブル」。イメージだけで推し量る事が到底できぬ俳優の可能性や、他がウンコでも精神年齢8才でも僕ら俳優は芝居に関してだけは特別なんだという事をまなこに焼きつけて下さい。遠慮なく、ご期待を
1942
昨日突然、「"ぼくはメロメロ"ってうた、うたってもいい?」と息子。勿論、自作。嫌な予感、満載。「♪ぼくはメロメロ〜!イエーイ!かわいいおんなのこに〜、イエーイ!ぼくはメロメロ〜!」…嫌な予感、全面的に的中。4才児なのに歌の内容、完全にオジサン。
1943
小山。桜金造さんの「小山遊園地〜」のCM有名。「JIN」の時、桜さんに似てると随分言われた。多分4千人位は今も桜さんが出てたと思ってるだろう。さてその小山で23日「50キス」の舞台挨拶を福田と。栃木は福田の故郷。監督というよりゆるキャラの彼ですが、故郷に錦、讃えてやって頂戴な。
1944
27年前、当時劇団(今はユニット)「ちからわざ」を旗揚げする時、当時の彼女(今の妻)が「劇団の名前さ~『劇団足30センチ』はどう?」と無責任に言い放ち、言い放ったあと自分で20分ほど笑い、劇団員たちにその名前を提案したら1時間ほど無視されたのを急に思い出したが、まあアレだ。青春だったな。
1945
あの~、2話観たけどさ、ま、アレだね、小山春朋くんはアレだね、俺の一万倍は落ち着いてたね。もはや泰然自若としてたね。もう、ほとんど、大人だよね。てか、オジサンだよね。彼、実は45歳くらいじゃなかろうか。つまり確かなことはアレだね、ま、彼こそ仏の器だよね。
1946
そこは、堤泰之と初めて芝居を創り、鈴木裕美の演出を受けた公演で堤幸彦に見出だされ、福田雄一と初めて出会い、「はるヲうるひと」を初めて上演した場所。その、新宿にあった小さな小さな芝居小屋は、僕にとって大きな大きな場所だった。心から言う。おかえりなさい、新宿シアタートップス。
1947
ババ抜きを息子と2人でやり、ババ抜きを2人でやるのもスリリングに欠ける訳だが、負けると悔しいので息子のズルを一切許さず本気でスリリングに勝負して「俺、父親と長男、一人二役できるかも」と言ったら「長男一役にならないようにね」と嫁に言われたのが今日一番のスリリング。
1948
「全ての人にドラマになりうる思い出がある。二朗さん、これだけは信じましょう」 呑みながら僕に熱く語った熊坂出氏の言。この熱さ、鬱陶しい。鬱陶しいが、座長を務める上で、僕が一番肝に銘じた「熱」だ。彼が演出を務める第二回。熱よ。伝われ。「オモヒデ座」、今夜11時放送。
1949
ダサイことを言う。実は「脱力系」という言葉はあまり好きではない。ユル~い気持ちで観て頂くためには、作り手は勇気を持ち、熱く体温を上げ、考え抜かなければと思っている。力もハートもある俳優たちが全力でふざける様を、思う存分「脱力」して観よ。勇者の旅、いよいよ今夜から。
1950
ごめん!明日の撮影がな、朝がかなり早いゆえ、今日はそ、わりと早い立ち上がりで飲んでて、性格に言うと、いま、わりとベロベロ。でねっ!、さっきの呟き、まつがえた、開始時間、23:59でなくて、0:09だった。ご指摘ありがとー。とにかく、こんやだっっ!