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本日付読売の養老孟司「時代の証言者」連載は「サツマイモ見たくない」。昔サザエさんを読んだ時、なぜ波平とマスオがこれほどまでにイモの天ぷらを憎悪するのかわからなかったのだが(ぼくは好物)、『サザエさんをさがして』を読んで戦後食糧事情の体験が反映していることを知った。 twitter.com/sazaesan68/sta…
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福岡市長選:神谷貴行氏が出馬へ 共産党市議団事務局長 - 毎日新聞 mainichi.jp/senkyo/article…
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とりあえず違法が確定してよかった。ニセの「中立性」が本当に行政に蔓延しているので心配していた。/九条俳句、公民館だより不掲載は違法 最高裁で確定:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASLDP…
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この選挙戦では『呪いの言葉の解きかた』を書いた上西充子などが「野党は反対ばかりで対案なし」論に斬り込んで、この雑な議論を相当崩す努力がされてきた。画期的だ。与党の現状と野党の対案を冷静に議論する時期。 / “「野党は賛成ばかりして対案を出し続けている」が客…” htn.to/5igs5zzBsh
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ウィーン宣言。「国家的及び地域的独自性の意義、 並びに多様な歴史的、文化的及び宗教的背景を考慮にいれなければならないが、すべての人権及び基本的自由を助長し保護することは、 …国家の義務である」「これらの権利及び自由の普遍的性格は、疑うことができない」
kobe-u.ac.jp/campuslife/edu…
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(続き)大塚・大澤信亮『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』p.168-170 手塚的なものの中にある性的なものを暴く批評として吾妻を評価。そして今日(大塚が書いたのは2005年)の「萌え」はそこから批評性を取り去ってその性的な要素に無自覚に戯れ、享楽しているとした。(続く)
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(続き)いわゆる、おたく系のまんが家たちでした。/つまり、手塚的なキャラクターに「生殖器」があること、そしてその延長としての性行為を吾妻ひでおの周りに集まった第一世代のおたくたちがアニメキャラクターを使った性的な表現として描いていくのです。…(続く)
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隣のクラスでは泣いていた生徒が廊下で数人の教師に慰められていた。娘によればいじめだという。「人権授業」の日にいじめで泣く生徒がいるの? 本当に?(学校には未確認) 「思いやり」や「優しさ」が「いじめ防止」としてすら全く機能していない現実を見る。まさに「人権授業」。
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(続き)一歩踏みとどまって、異論に対し耳を傾け対話する、寛容さと理性を持たなければなりません。異論を認めないことは、自分の意見も排除される危険を認めることですから、表現の自由を認めることで、自分の自由も確保されます」。「自分が不快な表現」を規制する立場になってないかどうかの自戒。
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今度、本を出すことになりました。
『不快な表現をやめさせたい!? こわれゆく「思想の自由市場」』というタイトルで、かもがわ出版から上梓します。2020年3月24日に出来予定です。
kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2020/03/…
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(続き)手塚的なまんがが抱え込んでいた身体性は性を隠蔽しているではないかという、その意味で『悪意』の批評だったといえます。…しかし、そのあ『悪意』が最終的に除去されて、ただ、アニメ/まんが的な絵柄によるポルのグラフィとしての、今日の『萌え』に至るわけです」(続く)
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(続き)『ロリコンまんが』の描き手にはありました。当の吾妻ひでおは、自らそれをジャンル化して自らそれを放棄するのですが、結局、この領域が今日の『萌え』の起源になるわけです。…その時点では、それは一種のパロディ、つまり、ぎりぎりの批評的な行為だったといえます。(続く)
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(続き)この記号的なキャラクターをあからさまなポルノグラフィとして表現するという行為は肯定的に評価するなら記号的な身体が隠している性という、戦後まんがの一側面を可視化するいわば『運動』でした。/少なくとも吾妻ひでおによって主導されていた時点では一定の批評性が(続く)